第19話 近隣の医院の休院と診療情報提供書と履歴書と
3月中旬を過ぎ、彼岸を過ぎた頃であっただろうか。
女は、これまでの度重なる出来事の他に、SNSを開く度に目に映るマンデラエフェクトの記述や映像に翻弄されていた。
決して自らの意思で世界線を跨いだわけではない。
何らかの力によって、強制的に移動させられたのではないか?
しかし躰が違う。脳移植でもされたかの呈だ。精神だけが、強制的にチェンジされたか。
日本地図や世界地図が毎日の様に何処かで描き変えられている。そこに存在しているはずの住民はどうなっているのか?
無人島であったはずが、異なる条件下で住民が存在するらしい。一体何処から彼等は来たのか?
地形が変わった。拡張された。狭まった。それぞれ住民や動植物はどうなった?大陸が初めから無かった事になっている?また、盛んに移動している大陸がある?
過去が、歴史が異なる。いくら学業成績が良くなかったとしても、この相異点に気付かない者がいるであろうか、のレベルの書き換えに等しい。
有名絵画が少しずつ少しずつ変化している。これからもまだまだ変わり続けるのか?
隣家の車が頻繁に替わる。日替わりか?
走行している車のライトが日々異なるタイプのそれを目撃する。また、以前に見た車種に戻る場合も多々有る。
近所の家族構成が異なる。子供たちが自然に増減し、話が噛み合わない。
建築物が一夜にして建つものか。ましてや高層ビルやマンションが。
これらは全て、マンデラー達の報告と受け取れる記述であった。
しかも、それらは女が知り得たごく一部だけの情報である。第三者の実体験だ。が、女はこれらを我が身に起きた現象の様に受け止めていた。
女は嫌悪感に日々悩まされた。我が身に起きてはいない、虚構の世界の事象に飲み込まれてしまい、自力で元の世界線に戻る事も叶わずに、苛立ちと勝手に移動させられた情けなさと虚無感に押し潰されていた。
SNSでは日々思いの丈を綴り、周囲の優しい人々の柔らかな言葉は空を舞っていた。
4月も目と鼻の先に近付いてきた頃、女の職場に異変が起きる前触れがちらほら現れた。
それは4月に入って理由が明らかになる。
近隣の医院が、医師が闘病生活に入る事を理由に突然休院宣言をしたと言う。
休院した医院に通院していた患者達は、それぞれ宛名の無い診療情報提供書を手に、さながら民族大移動の如く、自らの欲する医療機関へと散って行くのであった。
その、民族大移動の余波がクリニックにも降りかかった。毎日毎日、夫婦して後期高齢者たちが診療情報提供書を持参して、女は新患登録に手こずった。
元々クリニックの患者数は少ない。が、従業員数も僅かな為、何とか業務が回っていた。
診療情報提供書と薬剤情報提供書と保険証を提示しての新患登録の連続は、女にとって脅威そのものであった。
クリニックの医師は、休院した医院の医師宛に情報提供書の返事を書いて、女にその都度郵送させた。
その辺りであったと推測される。
女は、ふと「履歴書」の存在に目を向けた。いきなりSNSに、女が生まれてこの方53年、1度も「履歴書」を書いた経験が無く、社会人としてこれで良いのであろうか?と、思いを吐露したのであった。
この「履歴書」についての文面と、周囲のマンデラー達とのやり取りが、後ほど女の存在に関与して来ようとは、その時は皆知る由もなかったと思われる。
女自身のマンデラエフェクトはなりを潜めたと思っていた。
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