第12話 医師に言ってもらおうと考えた女
母親の定期検査から1週間後、今度は女自身の年に1度の健診の日が来た。
女は、先週の画像を見たショックから完全に立ち直れてはいなかった。納得がいかぬまま、日々を過ごしていた。
(……あの画像は……見間違い?心臓がまさかのど真ん中にあった!ずっとこれまで見てきたレントゲン写真とは絶対違う!……今度は、私の番だ……嫌だな。もし、もしも……お母さんと同じように真ん中に心臓があったら?この躰がおかしいという事?になるよね……もし、もしも私のこの違和感が、躰が異なるから感じていたのだとしたら?本やネットの画像や記事と同じくど真ん中にあったら?……嫌だな……どうしたらいいんだろう)
女は、ありとあらゆる場面で違和感を感じていた。起床から就寝まで、何かがおかしい。
特に朝の起床時の行動がちぐはぐに思えた。マンデラ経験をした日から3週間も経過すると、頭と躰が伴っていない事に薄々気付いて来る。
自分が考えて、行動に移そうと動くと、何故か噛み合わないのだ。違う行動に移ろうと躰が勝手に動く。癖、又は習慣が異なるのだろうか?
自分の躰であるのに、躰にも自我が芽生えているかの錯覚に陥る。
……まさか、これは自分の躰であって、自分の躰ではない……?
ふと、そんな考えに席巻される脳内。瞬時にいやいや、バカな。そんなオカルト的な。第一、自分の躰が変わったら、一体何処で変わった?自分の躰ごと、あの日は持っていた荷物や服装は全く変わりがなかったではないか。
その後、何処でどう変わったと言うのか……?
時折覗くSNSでは、皆一様に冷静な投稿をしている。何故、そんなに落ち着いていられるのか……理性的に受け止めて建設的に物事を判断して行動出来るのか……感情に左右されてしまう女には、逆立ちしても真似など出来ない事であった。
周囲の風景、環境が変わったと報告している人々もいた。女には全くその様な現象など起きてはいない。先輩マンデラーの彼等は、映像をふんだんに使用して、人体の変化を「良い方向へと」進化した、と評価し喜んでいる。何故、そんなに落ち着いていられるのか女には全く理解不可であった。
(皆さん、躰に違和感が無いのかな……頑丈になったとか進化した、なんて言ってる……どうして気味悪くないんだろう。私が変なのかな……もし、心臓がど真ん中にあったら、私は冷静でいられるかな……医師になんて聞く?質問する?……その前に、質問出来る?)
母親の定期検査の時は、あまりにショックが大き過ぎて医師の言葉さえ耳に入らず、尋ねる事など無理難題であった。
1週間経過しても、まだ信じられない。仮に心臓がど真ん中にあったとして、医師にどうやって話を切り出すのだ?
『先生、私は今月初めにマンデラエフェクトに遭ってしまったんです。クリニックや自宅にあった辞書や百科事典の中身が変わってしまったんです!躰の中身が変わってしまったんです!世界地図も有名絵画も微妙に変わってるし、亡くなったはずの芸能人が生存していたんです!心臓は、確かに左寄りにあったんです!』
なんてどの口から発するのだ?健診先の医師や看護師は、自分がどのクリニックに勤務する医療事務で、看護師や職場環境まで知り尽くしている。
もしも、医師が勤務先へ「健診時の発言により。精神鑑定を要すると判断し、専門の医療機関への診療情報提供書を発行致しました」などと報告されたら……?
女は、自らの発言により波紋を広げ、勤務先の院長先生や看護師の信用を失い、30年以上も自分だけに任されて来た仕事を失い、路頭に迷い、老母や猫たちの生命の危機にまで発展してしまうかもしれない、そんな事態にはなってはならない、と全てがマイナス方向へと思考を引っ張られていた。
女は、どうすれば自らが納得出来るだろう?と考えた。先ずは自らを落ち着かせたい。
女は考えた。
(健診先の先生に発言してもらおう。何とかして、先生の口から私に何か1つでもいい。自然に話してもらおう)
その考えが「引導を渡される」結果になるとは、その時の女には想像も出来なかった。
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