第35話「刃のブーメラン」

 一切気づかなかった。

 あれほどの存在なら、多少気配がしてもおかしくないはずなのに——いや、前はしていたはずなのに、今はしなかった。まさかこいつ、成長しているのか?


 ——いや、今はそれよりも……


「グァァァァアアアア————ッ!!!!」


「「「「————ッ!」」」」


 やつの怒号で、そこにいた全員が一瞬にして硬直した。これにはあのベクトールですら、多少動じているようだ。だが、すぐに我に返って状況を把握し、


「おまえらっ! すぐに距離を取れ!」


 全員へ命令を出していた。


 しかし、その命令も空しく、アルルが足をくじいて倒れてしまう。そのアルルめがけて、獣王個体オリジンは前足を大きく振り上げた。


 危ない————


 誰もがそう思い、目をつむったその時だ。

 彼女の前に、俺は咄嗟に立ちはだかっていた。



 まるでさっきと同じ状況だ。だが、やはり体が勝手に動いてしまった。

 オオカミの足はとてつもなく重く、俺のクワではすぐに折れてしまいそうだ。だが、この隙に——


「今のうちに逃げろっ! 奥にブリトニーが寝てるから頼む!」


 そう言いながら俺は「うおりゃぁぁぁぁああああ!!!!」と、持てる力の全てをかけてオオカミの足を支えた。

 そして、アルルがその場から離れたのを確認すると、安心したのか少し力が抜け————


 サッ————————


 その時、俺の隣には、



「——ったく、帰れと言っただろうに」



 あの男が居た。


 不満そうな言葉と、それに似合わない安心したような表情を見せた彼は、俺が苦戦していたその足をいとも簡単に持ち上げて押し返した。


 そして、俺の方を向き、落ち着いた表情で「状況が変わった」と一言こぼし、


「今度は、私の指示に従えるか?」


 彼は俺に問うた。


 それは、先ほどの件があったからだろう。俺が彼の指示を無視し、一人で勝手な行動をしたから、彼からの信頼を失ったのだ。だが、そんな彼が表情を変え、俺に再び問い直してきた。


 俺だって考えたさ。だからこそ、答えは決まっている。


「————はい」


 名誉挽回のチャンスだ。


 ベクトールはうっすらと笑みを浮かべながらうなずくと、再びオオカミの方へ視線を戻した。


 そう言えば、小さなオオカミたちは一切見えないが————敵が少ないことに越したことは無い。



 俺とベクトールはそのままオオカミから距離を保つ。うまい具合に散開しながら奴の気を散らす算段だが、果たして————


「グァァァァアアアア————ッ!!!!」


 ————却下!


 やろう、相変らずの咆哮で俺たちを怯ませてきやがる。残念なことに耳の良い俺には、これは結構堪える。

 そして、相変らずの重圧をその足に込めながら、オオカミは再びこちらへ突進し————


 バゴンッ————————!!!!


「グァァアア————!!!!」


 途端、オオカミは真横から強烈な一撃を食らい、体勢を崩しながら吹き飛ぶ。

 視線を反対に移すと、拳から煙を上げたベクトールの姿がそこにはあった。


 ——まさか、あの巨体を拳一つで吹き飛ばしたと言うのか?


 ベクトールは手首をグルグル回しながらため息をついていた。


「……やれやれ、何て固い体だ」


 どうやら、予想よりもダメージが入っていないようだ。——いや、それでも十分すごいだろ。

 これがAランクの実力と言うものなのか————


 ————と、その後ろから巨大な大剣を構えた女が、その大剣の先を地面に擦り付けながら走ってきた。


「邪魔邪魔邪魔邪魔ぁぁぁぁああああ!!!!」


 走る彼女の体は、一定の間隔で発光し、その都度スピードやパワーなどが増しているようだった。後ろを見ると、彼女のパーティメンバー全員が彼女にバフをかけまくっている。

 どうやらこのパーティ、魔法系ばかりでバランスが悪いと思っていたが、あくまで彼らの役割はサポート、ヴァイオレットをバカみたいに強化して彼女を単体で突っ込ませる戦術をとるパーティのようだ。


 そして、走り込んだ彼女がそのまま空中に舞い————


 バシュッ————!!!!


 持っていた大剣を振り上げて、オオカミの胴体を横から切り裂いた。


 そこそこえぐい音が響き渡り、それ相応のダメージが見込めそうに思えた。だが……、


「……うそ……だろ? 刃が通っていないだと?」


 切り裂いたはずのオオカミの体からは血の一つすら流れておらず、その代わりに大剣が大きく損傷していた。



 固い表皮。異常なまでの戦闘意欲。そして、獣の王たる風格。奴はまさに、


「狼王————」


 牙をむき出し、鋭くとがった爪を立てて、その重圧を生かして攻撃する。まさに野生の王。

 Aランク、Bランクの冒険者を引き連れても勝算の一文字すら浮かばない——浮かばせてすらくれないこいつからは、「獣王個体オリジン」と言う存在の恐ろしさ、圧倒的強さを痛感させられる。


 ————だが、こいつを放置しておくことはできないんだ。


 今でこそ不思議に思う。

 トラウマの原因となったこいつに、俺が目の前で対峙していると言うのに、現在はかつての恐怖よりも周りの人たちを助けなくちゃって気持ちの方が勝っている。

 無論俺は弱いから、誰かを守るなんてそんな大そうなことをいう権利がないことはわかっている。——でも、このまま全部投げ出して、誰一人助からない結末を迎えたとしたら、かつて妹を失った時と同じ感情に陥ると思うから。


 俺自身、誰かのために助けたいんじゃなくて、本当は自分のために助けたいのかもしれない。




 ————だが、そうだとしても。

 それでも助けたいものは助けたいんだよ。俺一人で何とかなるわけないけど、それでも————



 そんな中、オオカミは霧に包まれた森の夜闇に身を潜めた。


「————消えただと!?」


「おい、誰かフラッシュを————!!!!


 うっすらと獣臭は漂うものの、入り混じった血の臭いや刺激臭が邪魔をして、奴の動向を正確に把握することは難しかった。

 そして、俺含む最前線のベクトール、ヴァイオレットを置き去りに、それらの背後にいたであろうパーティメンバーの一人の——


「————ッ! うぎゃぁぁぁぁああああ!!!!」


 絶望たる悲鳴が響き渡った。



 不意を突かれた。

 後衛の一人が背後から、爪で切り裂かれた。


 口から血を噴出して倒れるウォルロ。それ以上に、患部から血が漏れ出して収拾がつかない。生憎体はくっついているが、皮一枚で繋がっている程度だった。


「……お、おい……ウォルロ……? ————ウォルロぉぉぉぉおおおお!!!!」


 振り返りざまのヴァイオレットが、彼の状態を目視して絶望的な悲鳴を上げた。パーティメンバーがやられたのだ、無理もない。

 そしてそのまま戦闘をほっぽりだして、彼女はウォルロのもとへ近づこうと————


「————星よ、かの者を生かせ————」


 その時、彼は温かな光に包まれた。





 月明かりが差し込む霧に包まれる森で、黒色の体毛に包まれた狼王は、俺たちが視認することは不可能。その他の五感を研ぎ澄ましても、さっきやつが突然現れたのと同様、やつの動向を把握することは無理に等しかった。


 しかし、これほど強大で恐ろしい魔物が、なぜ自らの身を隠す技術を身に着けたのであろうか————


 その事情を考察すれば、おのずとやつの動向が探れると踏んだが無駄だったようだ。


「あれは————」


 しかし、アルルの魔法の副産物として生まれた発光が、俺の視線の先にあったあるものの姿をあらわにした。


 その正体は————


「俺の……ブーメランか?」


 光が反射してキラリと輝いた金属製の何か。よく見るとそれは、うっすらと差し込んだ月明かりすらも反射してぼんやりと輝いていた。形状は把握しきれないが、あの時俺は確かにブーメランをぶん投げた。そのブーメランが奴の体のどこかに刺さっていても何らおかしくはないはずだ。

 そして、その光がゆっくりと俺たちの回りを旋回していたため、もしかしたら、と言う結論に至った。


 ——確かめてみる価値はありそうだ。


「アルル、俺に星の力を————」


 さっき見た、ポールの圧倒的力を自らのものにしようと画策する。だが、それをすると、代償に彼女が魔法の一切を使えなくなる。

 現在、ウォルロの治療に当たるアルルにそれを頼むのは野暮。そのため、


「————いや、やっぱりなんでもない」


「————?」


 俺は断った。



 ——さてと、どうしたものか。

 うまくやつの姿を表に出したいものだが————


「————何か考えがあるようだな」


 俺の様子を不思議に思ったベクトールが話しかけてきた。


「ああ、実は————」


 そこで、俺は考えの全てを伝えた。


「……なるほど、それで、お前のブーメランらしきものの光の反射を頼りに、やつの居場所を把握する、と」


「……ただ、それが本当に俺のブーメランかがわからないから何とも言えなくて————」


 そう言うと、ベクトールはうっすらと笑い、


「そのブーメラン、本にしまったことはあるか?」


 そう問い返してきた。

 俺は、


「あるけど……それとこれって何か関係があるの?」


 ベクトールはため息をつき、再び笑い始めた。


「……あんなことがありながら冒険の書の扱い方を復習していないとしたら呆れたものだが、もし仮に復習していたのなら、後はわかるよな?」


「————?」


 本の中にしまう——一度しまったアイテムは本に記憶され——

 その後は————…………————ッ!


「——なるほどッ!」


 そうかわかったぞ。『収納』だ。

 確かあれは、近場にあれば引き寄せて収納できる、と言う性質を持っていたはずだ。


 もし仮にやつの体にそれが刺さっていたとしたら、ヴァイオレットの大剣をダメにするやつの体の中に俺のブーメランが刺さるほど柔い部分が存在するって証明になる。そのままブーメランが回収されて目印がなくなったとしても、ダメージが入るかもしれない場所があるってことがわかるだけでも儲けもんだ。


 だって、俺たちの希望につながるから————



 そうと分かれば早速試してみよう。



『出でよ!』


 俺は冒険の書を広げて、


『収納!』



 光が見えた方に向けて冒険の書をかざした。


 すると————


 みるみる冒険の書は揺れ動き始め、冒険の書がそちらの方角に引き寄せられた。

 なんと————予想外な展開だ。


 俺は慌ててそれにしがみつく。

 なんという力だ。俺の体が浮いてしまうほど強力な力によって引き寄せられ、俺はそのまま宙を舞った。


 そして————


 黒く巨大な獣臭の図体を軽々と超え、そこで目にしたものは————


 俺の視界に入ったそれは、巨大なオオカミの首筋に深く食い込んだ鉄色のブーメランが、光によって反射して輝いている姿だった。

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