第33話「恐圧」

 ほんの一瞬の出来事だった。


 エルフの少女、フィリアを中心にして波紋のようなものが発生し、それに触れた全員は一瞬にして硬直したのだ。


 俺一人を除いて——



 フィリアは動揺していた。

 この技は、おそらく馬車の時に見た、ドラゴンを威圧したものと同じだ。あの時よりも威力は凄まじそうだが。

 そして、もう一つ気になることとして、これはかつてマナが見せたものと同質な何か を感じさせた点。

 これは一体何なのだろうか。


「おい、みんなに何をしたんだ?」


 俺は低い声で問うた。

 彼女は、一瞬動揺で気づかなかったがすぐに気づいて口を開く。


「恐圧——精霊たちの力を借りて恐怖で威圧する技。指定した対象は必ず硬直、あるいは委縮する——……それなのに、どうしてあなたには効かないの? ここにいる全員に向けて放ったはずなのに……」


 相変らず彼女は動揺していた。

 これほど口を利く彼女は初めてで、そこからも動揺がうかがえる。


 俺自身も、何で効かなかったのかはわからないが、まあ都合がいい。


 だが、そんな動揺とは裏腹に、彼女は硬直したブリトニーに手のひらを向けた。手のひらには魔力が込められており、それと同時に彼女の回りで光たちがそれぞれに魔法の球を生成している。


 ——これはやばい、と心で思い、すぐさま懐を漁る。だが、俺の探すモノはそこにはなかった。


 刃のブーメラン。遠距離から不意を付くにはもってこいの武器。

 ——そうだ、あの時投げてそのままだった。あいつの体にぶっ刺さってそして——いや、そんなこと考える前に今はとにかく行動だ。


 俺はすぐさま武器——クワを持って飛び掛かろうとした。だが——


「撃ってもいいの?」


 フィリアに脅しをかけられた。


 まさか、人質を取って脅しをかけるとは——さっきまでの彼女なら問答無用で攻撃を繰り出していたはずだ。だが、今はどうだ?

 俺に聞き返しているではないか。


「……ダメだ」


 彼女の中で、一体何が考えを変えたのか。

 それは言うまでもない、


「なら、そこにひざまずいて」


 唯一硬直しなかった俺を警戒しているのだ。


 俺を警戒している彼女。俺が少しでも何か行動を起こせば、彼女は俺に警戒して動きを止めるだろう。——なら、まだ可能性はある。


 俺は彼女に従い、その場で跪いた。

 それと同時に、俺の回りを精霊たちが纏わりつく。色的に、おそらくこいつらはさっき凍らせてきた奴らだ。俺が動けないように——動いたら凍り付いてしまうように、一種、氷の結界を周りに張り巡らしているんだ。

 面倒なことを——


 フィリアは、氷の刃を片手にブリトニーに距離を詰めた。


 俺の右腕からはダラダラと血が流れ落ちる。体に残る傷からも。

 そろそろ出血多量でぶっ倒れてもおかしくないんじゃないかと思えるほどだ。回復薬を飲めば多少は落ち着くかもしれないが、何せそんな暇なんてなかったし、今こうして考え事をしている時間も、急を要する今にとっては無駄でしかない。


 だが、焦ったところで氷漬けになるだけだ——


 唯一の救いは、フィリアが魔弾でブリトニーを攻撃せずに、氷の刃で距離を詰めようとしていることだ。よくよく考えたら不自然だよな。

 まあ、そのおかげで時間が生まれてるわけだからこっちとしては儲けもんだが——そうこう考えているうちに、フィリアとブリトニーの距離は、氷の刃が届く距離にまでなっていた。


 彼女が氷の刃を振り上げる。そして、


「——さようなら、野獣さん」


 一瞬のうちに、振り上げられた氷の刃は、ブリトニーの頭上へと振り下ろされ————


 ヒュンッ————


 寸前、フィリアの体は、氷柱つらら状の血に貫かれた。



★ ☆ ☆ ☆



 咄嗟だった。

 ブリトニーがられてしまう——それをなんとかしなければ——その一心で、咄嗟に血の流れる腕をそちらに向けて振り下ろしていた。その時、流血の一部がそちらの方へ飛び散ったかと思えば、それが周りの光に触れ氷柱つららとなり、フィリアの体を貫いたのだ。


 これには俺も驚いた。意図して狙ったものでもなかったから。

 しかし、その後徐々に俺の胸元を中心にしてどす黒いオーラが放出され、それが俺の身を包んで周りの光たちを遠ざけていったので、おそらく今回も例のお守りが助けてくれたのだと、俺は心の中でそう思うのだった。


「痛い」


 フィリアの方からそう聞こえた。


「痛い痛い痛い痛い————」


 その声は繰り返され、


「————痛ぁぁぁぁいいいい————ッ!!!!」


 とてつもない、耳に刺さる大声となった。



 ブリトニーへとヘイトを向けていたフィリア。おとなしそうな印象からは一転し、今度は俺にヘイトを向けて、激しい表情でこちらを睨みつけていた。

 そして、彼女はそのまま俺に突っ込んできた。


 ブリトニーの安否が取れただけ一安心だが、俺へのヘイト——さて、どうしたものか。


 俺は、流血の形を維持したまま、遠ざかった氷の精霊に無理やり患部を擦り付けて、止血と同時に簡易的な、腕から生える氷の刃を生成した。大した武器を持ち合わせていない俺にとって、属性込みの武器はありがたいからな。

 それと不思議なことに、そこまで冷たいとは感じなかった。


「モリー」


 その時、突っ込み際に彼女が何かを言う。それと同時に、彼女の横から緑色の光が現れ、彼女の体が宙に浮き、そのスピードが上昇した。


 続けて「ミリー」「メリー」と言い放った頃には、足場全体に水があふれ、その次には電流が流れ始めた。


 それは、俺含むその場にいた全員を軽く感電させるような電流で、俺の動きを鈍らせる原因にもなる。



 地に足ついていたら勝算は低い。

 だが、それを見越して俺がジャンプすれば、飛べるであろう彼女の思うつぼ。体も痺れて動けそうにないし、彼女の氷の刃をかわし切ることはおそらく不可能だろう。

 だめだ、良い手が思いつかない。これは完全に終わった——


 俺はその瞬間に、全てを悟り諦めた。

 今までに積み重ね、叶えようとしてきた理想の全てに後悔の念を残したまま。


「さようなら」


 ——彼女の刃が俺の眼前に到達しようとしたその時だ。


                        バッ————————


 俺の視線の先、フィリアの背後から、翼を生やした少女がこちらへと飛び込んできたのだった。



★ ★ ☆ ☆



「ギュバァァァァアアアア!!!!」


「————ッ!」


 一瞬何が起こったのかわからず二度見した。

 翼で宙に浮きながら、こちらへと飛んでくる少女。それは間違いなくブリトニーだった。

 ブリトニーはそのままの勢いでフィリアに飛び掛かり、すんでのところでフィリアを跳ね飛ばした。

 俺を庇ってくれたのか? だが、理性は戻っていないはず。

 しかし、彼女が居なければ俺は今頃やられていた。


 そのままブリトニーが馬乗りになる形で、フィリアに襲い掛かる。怒りなのか、野生特有の圧なのか、彼女は唸り声をあげて、フィリアに向けてナイフを突き立てた。

 フィリアは必死で抵抗するが、それも空しく——周りの精霊たちも、ブリトニーの放つオーラを恐れ離れていく。


 このままでは本当に、ブリトニーがフィリアを殺してしまう。

 それはダメだ。

 詳しくはわからないが、フィリアはポールの仲間、俺にとってのブリトニーと同じだ。俺の仲間が彼の仲間を殺してしまうなんて、そんな悲劇起こしてたまるかよ。



 俺は、何とかしようとその場へ考えもなしに突っ込んだ。だが、そんな浅はかな考えでは、当然どうにかすることもできず……俺はブリトニーによって弾け飛ばされた。


 尻餅をつく俺が、遠くからその現場を目撃する。そして、


 グサッ————————


「————んぎゃぁぁぁぁああああ!!!!」


 ブリトニーの刃が、彼女を貫いた。


 グサッ————グサッ————


「————ッ!」


 フィリアの悲鳴が、辺りに響き渡る。そして、形容しがたい生々しい、肉を刻む音が、その悲鳴に混じりながら俺の耳に届いた。


「……やめろ」


 その光景をまじまじと見せられる俺。もう耐えられなかった。


「やめてくれ……」


 グサッ————グサッ————


 歪なナイフで刻まれるフィリア。助けようにも、再びブリトニーによって振り払われてしまう。何度も、何度も——

 このままではブリトニーが殺人者になってしまう——どうすればいい。


 時間だけがただ無駄に過ぎた。何度彼女は刻んだだろう。何度彼女は刻まれただろう。もう見ていられなかった。


 さっきまで恐怖に感じていた悲鳴も、次第に小さくなって、現在ではほとんど聞こえていない……。今では聞こえないことが恐怖だった。


 俺がどうすることもできずに跪き、地面に額を擦り付け、拳で地面を叩く。無力な自分を責め、拳から血が流れるほど強く、強く叩きつけて、次第に涙まで流れ始めていた。


 ああ、もうどうすることもできないのだろうか。彼女はこのまま——


 そう、思いにふけっていた頃合いで、


「ク……クロム……」


 後方から、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。



★ ★ ★ ☆



 絶望に打ちひしがれ、顔面をぐちゃぐちゃにして拳をついていた俺。その俺の耳に、聞き慣れた声が流れ込む。


「フィリアを……助けてください」


「————ッ!」


 恐圧によって怯んでいたはずのポール。それと気づかなかったが、水浸しで電撃の走っていたはずの足場がきれいさっぱり元通りだ。

 時間の経過からか、フィリアがダメージを負ったからか、全てが少しずつ元に戻り始めているようだ。


 だがポールは、体を動かせるまでには至っていないらしい。


 それで俺に助けを乞うたわけだが、俺だってどうすることもできないんだ。


「……俺だって……俺だって助けようとしたさ! 助けようと何度も何度も突っ込んで——でもダメだった。いくら考えても、良い手が見つからないんだよ!」


 俺は弱い。

 弱いから知恵を絞って戦う。その知恵が潰えてしまえば、俺にはどうすることもできないんだ。

 潜在的な力が貧弱すぎるから、ここぞという時に無能と化す。知恵だけじゃ、どうすることもできないことだってある。まさに俺がそれだ。


 諦めたんだ。諦めたかった。その方が楽だった。

 何も抱えなくていいし、全て諦めてしまえば心が軽くなるんだ。


 ————しかし、


「僕に……良い考えがあります」


 ポールは、俺が諦めることを許してはくれなかった。


 彼のうっすらとした笑顔は、俺の心中を察して慰めてくれているのか——。彼は笑顔のまま続ける。


「彼女は……見た目の特徴からしておそらく……竜人。竜人……と言うよりドラゴンには、正面首筋に逆鱗と言う逆向きの鱗があり、その内側には竜玉があると言います。竜玉はドラゴンの魔力供給器官……そこに外部から強力な魔力を流し込めば、野生化した彼女をもとに戻すことが可能でしょう……」


 そうなのか。全く知らなかった。

 いや、逆鱗の存在は知っていたが、そこに魔力を流し込めば暴走が収まると言うのが初耳だ。


 ——だが、だとしても、


「そんなこと言ったって! どうやって首に————それにそもそも近づこうったって翼で弾かれて間合いなんて詰められたもんじゃないんだぞ!? ……そんな状況でどうやって首に魔力を流せってんだよ!」


 大声で怒鳴りつけてしまう。

 だが、窮地に追い詰められた俺には、的確な方法が思い浮かばなければ動くことができなかったから——

 しかし、


ドラゴンは……冷気に弱いはずです。翼に冷気を叩き込めば……彼女はきっと怯む。その隙をついて、彼女の首元に魔力を————」


 ポールは俺の腕辺りを見ながらそう言った。

 俺もそちらを見直して——そうか、そう言うことか。



 俺は、涙をぬぐい払って、もう一度構えた。

 胸元のポケットからお守りを取り出し、それを握りしめながら。



★ ★ ★ ★



 冷気に弱いドラゴン


 先ほど見た氷漬けのブリトニーが動きを鈍らせたのが良い証拠だった。確かに、それなりの時間動きが鈍っていたため、彼女もドラゴンと同じく冷気に弱そうだ。


 そして、俺の右腕から生える氷の刃。

 適当に造った武器だったが、まさかこんな形で役に立とうとは夢にも思わなかった。

 これを利用すればきっと————



 俺は再びそこへ飛び込んだ。


※ ※ ※


「加速薬」を使った——


※ ※ ※


 クワ含む重りとなる全てをその場に放置し、今までにない速度で飛び掛かる。速さにすべてを詰め込んで、ただひたすらにブリトニーめがけて突っ走っていた。


 そして、その勢いに任せて、俺は右腕を彼女に振りかざした。


「うおりゃぁぁぁぁああああ!!!!」


 バシュッ————


 だが、あっけなく翼で弾かれてしま————


 俺は、身を挺してその翼につかみかかっていた。そしてその翼を、腕から生えた氷の刃でめった刺しにした。


「グギャァァァァアアアア————!!!!」


 彼女はとてつもない悲鳴? うめき声をあげ、翼をぶんぶん振り回して抵抗する。だが、俺は絶対にはなさなかった。


 そして、諦めたのか、彼女は翼を振り回すのをやめた。

 ——と思いきや、


 バサッ————ッ!


「うあっ!」


 ひっくり返って、今度は俺が馬乗りにされた。


 ものすごい力だ。こんな力で押さえつけられたら、身動きなんてとれやしない。

 無表情のまま片手で俺の首を絞めるブリトニー。身軽そうな体からは一転、恐ろしい重量とパワーで押され、腕すら動かせない。


 そして、彼女は右手に持ったナイフを——


 ポタ……ポタ……


 その時、俺の顔に生温かい液体状のモノが触れた。

 ぼやけた視界の中、彼女の表情を改めて確認する。そこには——



「泣いて……いるのか……?」



 無表情ながらも、瞳から涙を溢れさせるブリトニーの表情がうかがえた。


 彼女自身、意識はなくても、暴走する自分を止めてほしくて、それで涙を流したのであろう。きっと、そうきっと——

 本能的に分かっているのだ。自分自身が暴走していることに。

 そう考えると、余計に悲しくなってしまう。辛くなってしまう——



 そして、一瞬ためらいを見せたブリトニーは、再びそのナイフを振り下ろし————



 バンッ——バンッ————!!!!



 その時、二発の発砲音とともに、彼女の翼が貫かれた。


「グラァァァァアアアア————ッ!!!!」


 とてつもない悲鳴が空間を包み、彼女の意識が、それが放たれたであろう方向へとむけられる。そして、視線も——

 意識が離れたことで、俺に対する拘束も緩んだ。腕も動く。



 ————首元を狙うには今しかない!

        この機を逃すな————!



 俺は、その一瞬の隙をついて彼女に馬乗りになった。そして、その状況に彼女が気づいた時には既に、俺はお守りを彼女の首元に押し当てて、


「戻ってくれ————ッ!!!!」


 彼女に抵抗させる隙を与えないまま俺は、お守り越しに全ての思いをぶつけた。










 そして、彼女を取り巻くすべてのオーラが解消された時、そこにはかつてと同じブリトニーの姿があった————

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