~馬車の中で~

第01話「疑心暗鬼の馬車」

 日が昇りきる、正午少し前。霧が濃くかかった森の中に、一台の帆馬車の姿があった。後ろには人が乗っている。どうやらそれは、荷物ではなく人を運ぶための馬車のようだ。


「定刻だ。まもなく発車する」


 御者が、静まり返った森の中で口火を切る。

 言葉の通り手綱を握り、動き出す馬車。霧のせいではっきりとしない道を、人を乗せた馬車はゆっくりと、しかし徐々に走力をつけながら走り始めた。


 ある程度速度がついてきた頃合のこと。馬車の後ろから迫ってくる何かの気配を、それに乗る人々は感じ取っていた。しかし、馬車は速度が緩むことはない。


「おーい! ……ま、待ってくれよー!」


 声が霧に反響して、森中に響き渡る。それまで馬車の駆ける音しかしなかった森の中で、その者の大きな声がきっかけとなったのか、鳥たちが驚いてはばたく音が聞こえた。ここまでの声で、馬車の人々はその正体にうすうす気づき始めていたが、御者は、馬車を止める素振りを一切見せなかった。


「あ、あの……。後ろから人が……。あの人って……」


「————」


 馬車の一人が、御者に声をかけたが、御者は無反応。

 これは聞こえているが、わざと止めていない。確信犯だ。と、馬車の人々は悟った。


 御者の方に視線をやっていた時、馬車の後ろから「ガキンッ」という金属音が聞こえた。振り返り確認すると、そこには金属製の器具の先端が引っ掛かっていた。形状が、農業用のクワに似ていたがきっと気のせいだろう。

 そしてその金属具が不自然な動きをしたと思った時、


「待てって……言ってんだろ!!」


 グイっと馬車に力がかけられ、一瞬、馬車全体が揺らぎ、後方に少しだけ沈む。そして、その感覚がなくなったかと思ったら、今度は馬車全体にずっしりとした何かの重圧を感じ、同時に、一つの人影が馬車の中に増えていた。

 突然の出来事に、馬車は動きを止め、御者は後ろに顔を覗かせる。


「お客人……飛び込み乗車はご遠慮願いたいものだが……」


「悪い悪い、焦っていてつい、ね。大目に見てはくれないか?」


「……乗車券を、拝見します」


「あぁ、えっと……はいこれ」


「確かに……」


 御者は乗車券を拝見し受け取った途端、何食わぬ顔で運転を再開した。

 飛び込み乗車をした者も、元から馬車に乗っていた者たちの推測通りの存在。この人もまた、彼らと同じ目標を掲げた人間の一人であったのだから。



★ ☆



 この世界には、絶対的な力を持つ魔王が存在している。魔王は、今まで争いのなかった平和な世界に突如として現れ、破壊活動を繰り返し、俺たちを、世界を絶望へと追いやった。

 そして、魔王による被害により、海の向こうまで広がっていた俺たちの平和な世界は現在、俺たちの住むこのアルガリア大陸だけとなってしまったのだ。

 その魔王を討伐すべく、勇気ある者たちはみな冒険者を目指し、力ある者たちは召喚——通称「ガチャ」によって戦場に駆り出された——。



 冒険者になるためにはそれ相応の実力が必要で、決められた場所で試験を受け、それを乗り越えなければならない。

 この馬車は、本日開かれる冒険者試験の会場へと向かうものだった。



 そこに、飛び込み乗車を行う一人の少年。この物語の主人公にして、他の者たちと同じように、冒険者を目指す者の一人。

 茶色の髪は逆立ち、それなりに長いようで、後ろで一本に縛っている。ふわりと優しい目つきに、薄い青色の瞳を持ち、全身「赤」を基調とした服装の、175センチメートル程度の健康そうな面持ち。大きなヤリのようなものを背負っており、それにクロスさせるような形で、斜め掛けのリュックのようなものも背負っている。 


 ……と、事細かに説明はしてみたものの、この少年、実を言うとこの「俺」のことである。正直、自分語りは少し恥ずかしいものを感じる——。



 霧のかかった森の中、今まで「静か」そのものだった空間に、明らかに騒がしそうな存在が放り込まれたことで、その空気はいささかきな臭さすらも感じさせていた。 それはまるで、人間専用車両に誤って亜人が乗ってしまった時のような、そんな居た堪れない空気だ。


 もともと先に乗っていた人々の中には、そんな俺の存在に対して明らかに動揺している少年もいた。金髪で、弱弱しい雰囲気の、気品のある身なりの良い少年。手首を見るとそこには刻印が——って、手首に目が行くのは俺の悪い癖だな。

 俺は、その動揺し怯えた少年に声をかけた。


「ねぇ、ちょっと」


「ひぃっ……!!」


 うずくまって震えていた少年に声をかけた途端、少年は驚いて距離を置いた。


「おいちょっと、待てって」


「…………」


 少年は、何も言わないままうずくまって、じっとこちらを観察していた。

 少年の反応を見ながら周りを観察した。

 右側には、巨大なバトルアックスが特徴的なガタイの良い男。眠っているのか、壁にもたれかかって足を組み座っている。

 正面には、耳のとんがった女の子が、天を仰ぎながら笑顔で何かと戯れ喋っている。……ように見えるがそこには彼女しかおらず、とても異様な雰囲気を醸し出していた。

 そしてすぐ左隣、巨大な水晶玉がついた杖を持つ女、正直こいつが一番感じ悪い。目が合うなりあからさまにわざと「ふんっ!」と言いながらそっぽ向いた。不愛想な女め。こんな奴しかいないのか、この場所には。

 俺は少し呆れ、そして何かを諦めたかのようにため息をついた。


「あ、あの……」


 退屈すぎて、目を閉じ、眠ろうとしていた時だ。先ほど逃げ出した少年が近寄り、声をかけてきた。


「ん?」


「あの……、先ほどは、失礼いたしました」


 怯えてばかりだと思っていた少年からは一変、普通に会話のできる少年のようで、少しだけ安心した。この空間に、まともかもしれない人間がいたという事実に対しても、少しだけ。


「いや、いいよ。ところで、さっきはありがとう」


「何がです?」


「いや、さっき止めようとしてくれたじゃねぇか、馬車を」


「え?」


「運転手に声かけてただろ?」


「確かにその通りですが……、聞こえて……と言うより、見えていたんですか? この霧の中——」


「見えてたから言ってるんじゃねぇか、『ありがとう』って」


「そ、そうですね。ははは……」


 少年の肩をパンパンたたきながら嬉しそうに言う。しかし、少年の表情は少し不思議そうであった。

 だが、先ほどよりは、多少緊張感もほぐれたのか、今度は少年の方から「ところで」と口を開く。


「君も冒険者志望ってことですよね? この馬車に乗っているってことは」


「……そうだよ」


 他愛もない質問だが、多少不自然にも感じた。


 少年は、俺が乗車券を御者に見せていることを確認していた。あの乗車券を発行するには、それ相応の手続きが必要だ。つまり例の乗車券を持っている人間、それは冒険者志望の者だけだ。冒険者を志望している少年なら、そのことをよく知っているはず。なのになぜ、こんな無意味な質問をしたのか。きっと何か理由があるはずだ。


 俺は、そのような不自然さ、疑問を抱えていたため、少し間を置いて返事をした。その反応を察知したのか、少年は少し動揺を見せ、多少の沈黙が空間を包む。

 その空気を感じ取り、自分のせいで生まれたこの空気に終止符を打つべく(話し相手を失うのはいささか気が重たかったので)、少年に新しい話題を振った。


「そう言えば、お互いまだ名乗ってもいなかったよな」


「あ、そういえばそうでした。僕たちまだ名前も知らない者同士でしたね」


 その言葉をきっかけに、お互い同時に「じゃあ」と口を開く。その後「あっ」とした顔になりお互い「どうぞどうぞ」と譲り合っていた。まるでどこかの漫才のようだ。

 二人が赤面し、少しだけ沈黙が走った後、飛び込み乗車の少年の方が「じゃあ俺から」と口を開く。


「俺の名前はクロム……、クロム・ファーマメントだ。呼び方はクロムでいいよ」


 自分の名を名乗り、しかしそれ以外の情報は口にしなかった。基本的に自己紹介をする場合、出身や身分、職業や特技、趣味などを添える場合が多い。が、俺はそれをしなかったため、本能的に何かを隠しているのではないか、と、少年は考察する。

 俺は、考え込む少年に、「君は?」と問う。少年は思い出したかのように口を開く。


「あ、ごめんなさい、クロムさん——」


「クロムでいいよ」


「じゃあクロム、ごめんなさい。完全に聞く体制に入っていました。僕の名前は……ポールです。そのままポールとお呼びください」


 名乗るとき、若干戸惑いがあったような気がして違和感を覚えたが、一応聞き入れることにした。こうして、お互い名乗り合った俺たちは、改めて「よろしく」と手を握り合うのであった。



★ ★



 馬車に乗ってから数十分ほどが経過した。その間、俺とポールの会話は一層弾み、俺たちは意気投合していた。


「……じゃあやっぱりポールも?」


「はい、僕ももちろん」


「黄金の勇者が?」


「好きです!」


「だよなー! やっぱりわかってるなー」


 まず始めに、生まれ年が同じであったという共通点でお互いをより意識し、そこから話が膨らんだ。まさか、この成りで年齢が同じとは、正直驚いている。そして現在では「勇者の中で一番好きなのは誰なのか」と言う話題で盛り上がっていた。

 勇者とは、俺たちが目指す冒険者の中で、最上位の立場にある者たちのことで、現在世界には数人しかいないとされている。

 ここまでくると、はじめの方のギクシャクしていた空気や、相手を疑うところから始めていた会話もとっくに消えている。


 二人の空気が柔らかくなったタイミングで、ポールが「そういえば」と口を開いた。


「さっき聞こうと思ったのですが、聞くタイミングを逃してしまって……。クロムは何故、冒険者になろうと?」


「…………」


 冒険者。それを目指している者たちにとって、最終的にこの疑問にたどり着くのはわかっていた。それに、ポールが最初にした「君も冒険者志望ってことですよね?」と言う愚問の理由も、この質問に繋げるためのきっかけに過ぎなかったのだと、ここにきてようやく理解した。

 しかし、俺にとってこの質問に対する回答は、荷が重すぎるものであった。なので俺が言葉に困っていると、


「……ごめんなさい、冒険者を目指す人に対して、この質問は少しデリカシーがありませんでしたね……」


「……いや、いいんだ。気にしないでくれ。俺も気にしていないからさ」


 冒険者。魔王を討伐するため、世界に平和を取り戻すため、憧れる者が多い職業。しかし、それを目指す者の誰しもが、単純な正義感によって……とは限らない。

 「魔物に家族を殺された」「村を消された」など、心に深い傷を負った者、魔王や魔物に対し怨恨を抱く者の方が、正直なところ多い。中には冒険者の「特権」目当ての奴だっている。

 なので、冒険者を目指す者にとって、目指す理由を聞く行為というものはあまりよろしいこととは言えないのが現状だ。しかし、それを理解したうえでポールは質問をした。あからさまな愚問をし、その話題に結び付けるきっかけを作ろうとしてまで。その様子から、俺はポールの心理を薄々理解する。


 そして俺は、一度ためらったものの、口を開き答え始めるのであった。


「俺は、妹を見つけるために、冒険者を目指している」


「妹を? それはつまりどういう……」


「これ以上は、申し訳ないが言いたくない」


「そう……ですか。いえいえ、こちらこそ、深堀しようとしてしまい申し訳ありませんでした。話してくれてありがとうございます」


「……冒険者になろうって人間が、『魔王倒すため』だとか、『世界に平和を取り戻すため』だとか、そういう理由以外をメインにするのは、やっぱり駄目だよな……」


 初めて見せる、俺の弱腰な姿に、ポールは少し驚いた。

 しかし、


「いえ、そんなことありませんよ」


 と、優しく返した。

 そして、ポールが「待っていました」と言わんばかりに話し始めた。


「実際僕も、冒険者になろうと思った理由は、『強くなるための証明』と言う不純な動機ですから……。僕自身、見てわかる通りとても小心者でして、その……ある時、力を付け、周りに認めさせなければならなくなり、その方法として手っ取り早く、確実だったのが『冒険者になること』でした」


 ポールは、少し弱腰で、しかし堂々と、言葉を発していた。

 今までのポールの行動はすべて、この言葉に準ずるものだったのだ。常に弱腰で怯えているような様子も、「強くなりたい」と言う目標に結び付く。そして、愚問できっかけを作ってまで、「冒険者を目指す理由」を聞き出そうとしていたのも、ポール自身が持つ「冒険者を目指す理由」を肯定するためだったのかもしれない。


「通りで、最初ビビって逃げ出したわけ、か。でもその後、普通に話しかけてくれたのはなんでなんだ?」


「それは、クロムがここにいるほかの人とは違う雰囲気だったからです」


「……どういうことだ?」


 ポールは小声で話し始めた。


「ここだけの話、僕、馬車が出発する少し前に、クロム以外の人に話しかけたんですよ。ですが皆さん、無視したり、『暢気のんきなものね』とか言ったりして、ほとんど相手にされなかったんです……」


 やはりそうか。

 ポールは俺以外の者にも、同じように言葉を交わし、自分自身を肯定しようとした。しかし、相手にされなかったことで、自分が本当に冒険者を目指して良い存在なのか、ここにいても良い存在なのかがわからなくなってしまった。それで最初の態度と言うわけだ。

 しかし、そんな弱いポールにも、他人のために動こうとする優しさがあることを、俺は一番初めに理解していた。だからこそ、ポールに話しかけるきっかけにもなったし、今の俺とポールの関係がある。


 俺は、納得したかのような笑みを浮かべて言った。


「大丈夫、誰が何と言おうと、冒険者になった奴が正解なんだ。——冒険者になるぞ、一緒にな!」


 ポールは、その瞳に涙を浮かべながら、「はいっ!」と大きく頷いた。


 と、そんな時である。


「ねぇ、さっきから聞いてるけどさ……」


 つねるような声が耳を刺した。ポールとの暖かい空気が一変、その声によって一瞬で場が凍る。

 そしてその声の主の方にゆっくりと目をやった俺は、声の正体と目が合い、背筋が凍った。


 大きな水晶玉を携えた杖と、それよりも大きいような、強い眼力。不愛想な女の睨みつけた表情が、そこにはあった。

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