第02話「急襲」

 巨大な水晶玉を携えた、長さ1.8メートルほどあるであろう細長の杖を片手に、杖よりも低い160センチメートルないくらいの身長で、黒っぽい色を基調としたドレス調の服を着た目つきの悪い女。声は鋭く、耳に刺さる。

 初めの印象は最悪で、今もなおそれは健在。その女が、今度は目を逸らさずに、しかも睨みつけながら何かを口にしている。


「あんたら、暢気のんきすぎなんじゃない?」


 女から告げられた一言は、今までの印象以上に最悪な、煽りの一言であった——。


「————は?」


 俺は耳を疑い、つい素直なリアクションが飛び出していた。ポールも同じようで、再び動揺し唖然としていた。


 確かに、一切口を利かない姿勢なら、まだ理解はできる。——あまりいい気はしないが。しかし、こちらからコミュニケーションを取ることが難しいような空気を女の方が作っておきながら、唐突に煽り発言を投げかけてくるのはどうかと思うものだ。


 女は続けた。


「だから、あんたら冒険者試験を舐めすぎだって言ってるのよ」


「何が言いたいんだよ」


「……あのねぇ、いい? 冒険者試験は遠足じゃないの。今ここに集められた私たちも、偶然同じ馬車に乗っているだけの関係。試験が始まれば、冒険者の座を奪い争う敵同士。自分の情報を他人に話すなんてことは御法度。それをなに? 暢気のんきな身の上話を話し始めたかと思ったら、今度は『一緒に冒険者になる』? 笑わせないでよ」


「そんなこと、おまえに関係——」


「——あるわよ。周りの空気が読めないわけ? みなピリピリしているのよ。それをあんたらみたいな緊張感のない奴らがいるせいで……。はっきり言って、不愉快——」


「…………」


 彼女の言った言葉は、正直なところ正しかった。

 俺たちは浮かれすぎていたのかもしれない。


 これまで彼女に抱いていた感情は、大きく見直される結果となった。そこには、「ただの嫌な奴」から、「考えを持った奴」への変化があった。

 ——だが、やはりまだ彼女のことが嫌いだ。


「しかもあんた、まさかとは思ったけど、『農家』でしょ? 冷やかしにでも来たわ……け?」


 彼女から再び煽られた、その時であった——。



 ゴォォォォォン————!!


「————ッ!?」


「え、なに……!?」


「な、なんだぁぁあ!!??」


 車体の右側から強烈な衝撃を感じたのと同時に、凄まじく大きな轟音が鳴り響いた。彼らを乗せる馬車は一瞬体勢を崩したが、御者はその衝撃に耐えるよう、必死に手綱を握って安定を保とうとしていた。だが、



 ゴォォォォォン————!!



 再び同じ衝撃が、俺たちを襲う。


「…………?」


「何が起きているんだ……?」


 走行中の馬車、不安定なその中を、バトルアックスの男と天を仰ぐ少女を含む、若い男女たちが立ち上がる。そして、衝撃を感じた右側の布をひらりとめくり、俺たちは外を眺めた。そこには——


「キエェェェェエエエエ!!!!」


「————ッ!?」


 薄暗い霧の中、目の前の景色がはっきりとしないそこには——。

 そこには、黒装束のドラゴンライダー、数体の姿があった。





 黒いフード付きのマントを身にまとい、地をかけるドラゴンにまたがる数人の影。布をめくり、外を眺めた時、そのうちの一人が右腕をこちらに向けた。そこには、小型のボウガンが——


「危ないっ!!」


 ヒュンッ——


 女の叫び声が聞こえ、途端、何かに突き飛ばされ、大きく体勢を崩す。

 そのさなか、銀色の弾丸が、額の真上をかすめる。それは軌道に乗りながら「ストンッ」と言う音を立て、背後の柱に突き刺さったのが分かった。

 間一髪のところだ。突き飛ばされていなかったら、俺の命はもう……。


 俺は周りを見渡した。

 うずくまるポール。

 開いた布の隙間から身を隠しながら、表情一つ変えずに外を偵察するバトルアックスの男。

 こんな状況でもなお、明後日の方向を向きながら何かと戯れる少女。

 そして、目の前に倒れた、さっきまで威勢の良かった女——。


 俺は自分の目を疑った。こいつが、俺を突き飛ばし……いや、俺を「庇った」のか……。


「なんで……どうして俺を庇ったんだよ……!!」


 この女の真意がわからなかった。俺とポールの会話を聞いて、「暢気のんきだ」とか、「敵に情報を与えて」とか、俺たち含む周りの奴らのことを敵対視していたこの女がなぜ、俺なんかを庇ったのか。


暢気のんきな、ものね……。敵に襲われているのに……私の……心配……?」


 女の腕には、小さなかすり傷があった。さっき俺を庇った時に、ボウガンの弾がかすったのであろう。しかし、その傷口は浅く見えるものの、黒く変色し、それが傷口を中心に広がりつつあった。おそらく何かの毒によるものだ。

 こんな状態になりながらも、俺を馬鹿にした発言を飛ばす。そして、傷口を抑えながら、これでもかと言わんばかりに立ち上がろうとしていた。


「ダメだ。立っちゃ——」


「あんたらに……あいつらをなんとかできるわけ……?」


「…………」


 俺の言葉を遮る女。俺たちを信用していないのは間違いない。

 しかし、うまく返す言葉が浮かばない。



ゴォォォォォン————!!



 さっきと同じように、大きな轟音とともに衝撃を受ける。

 立ち上がっていた者たちと、立ち上がろうとしていた女は、再び体勢を崩し倒れこんだ。だが、布を開き、外の様子を確認できるようにしていたため、今回はその正体を目撃することができた。


 ドラゴンライダーによる、真横へのタックル。馬車よりも一回り小さなドラゴンの、体全体を使ったタックルからくる衝撃は尋常じゃない威力だ。ドラゴンと言う生物の、底知れぬパワーを体感し、それと同時に恐怖心が一層増した。


 ふと、とあることを思い出し、気になった。

 御者は大丈夫であろうか。

 集団のドラゴンライダーに襲われ、何度もタックルを食らっているにもかかわらず、馬車は速度を緩める気配がない。

 俺は、運転席側へと目をやった。そこには……。ボウガンの弾が大量に刺さった御者が、平然とした顔で運転を続けていた。


「おいおっさん、あんた平気なのか?」


「…………」


 依然、だんまりを続ける御者。

 反応はない、が運転は安定している。今は御者を信用するしかない。

 ——こんなことをしている場合ではない。戦況を確認しなければ。


 ドラゴンライダーの数は、特徴は、戦力は——。

 数は4~5体。一番手前のライダーは主にタックルで、馬車に直接攻撃を。後方のライダーは腕についたボウガンによる遠距離射撃だ。


 こちら側の状況は、技は、戦力は——。

 未だに恐怖でうずくまるポール。俺と同じように、布の隙間から外を眺め戦況を確認しているのであろうバトルアックスの男。何を考えているのかわからないとんがった耳の少女。そして、俺を庇ったことで重傷の女——。


 移動中の馬車の中で、敵との距離はそれなりにある。近接戦主体であろう、バトルアックスの男は、恐らくあてにならない。

 かく言う俺も近接戦主体。飛び道具の類もあるっちゃあるが、大したダメージは見込めない。杖を持った女、あいつは雰囲気的に魔法使いっぽい。


 しかし、今の状態じゃ……。



 畜生、どうしたらいい——。

 俺は焦り、爪を噛んだ。


「私が……なんとかするから……」


 そうこうしていた時、女が、のっそりと、杖に体重を預けながら立ち上がる。

 黒いあざのようなものは、すでに首元付近まで到達しているのが見えた。

 たしかに、この女が魔法使いなら、現状最高の飛び道具である魔法で応戦ができる。しかし、この体の状態でどうやって。


「なんとかって……どうやって——」


「あんた私を……支えなさい」


 女は俺に命令をした。俺は言われるがまま、肩を組み、女の体を支えた。


「勝算があるのか——」


「信じなさい……」


 言葉を遮られ、強く言い返される。しかし、その言葉にはなんだかすごく重みを感じた。


「聖なる母、アンドロメダよ。そして、我らが父、ペルセウスよ。我が聖なる言の葉において、今——」


 女が目を閉じ、ブツブツと詠唱を始める。やはり魔法使いか。

 ドラゴンライダーが、対角線上に現れた俺と女の姿を目視し、再びボウガンを向け、放つ。しかし、俺は持ち込んでいた武器、と言うより農具でそれをはじいた。だが、それに気づいていない様子で、女は詠唱を続けている。すごい集中力だ。


 杖の先、大きな水晶玉が異様な輝きを放ち始め、青白い帯状の電撃をまとっている。女は目をクッと見開き、「食らえ!!」と叫びながら杖を大きく振った。


         ピキャーン————!!


 一瞬、強烈な輝きが俺たちの視界を奪う。


 が——


 ……それはほんの一瞬の出来事で、それ以外の変化を起こさなかった。杖の先に感じられた、電撃を帯びた輝きも、あの一瞬で失われている。


「そ、そんな……嘘……でしょ」


「おい、お前の作戦って、もしかして今の目くらましか?」


「ちが……そ……そんな……わけ……」


「…………」


 満身創痍の女の姿。おそらくこれが本当の狙いではなかったのだろう。つまり、何らかの理由で失敗に終わった、と言うことだと思う。

 と、お互い言い合いをしているさなか、三度みたびボウガンの弾丸が飛んでくる。


「危ない!!」


 俺は組んでいた肩ごと、体を床にたたきつけてかわした。

 女は、とっさの回避とはいえ、体を強く打ち付けて痛がっている。しかし、その反応は先ほどよりもさらに衰弱しているように見えた。

 おそらく、さっきの一撃(目くらまし)を放ったことで魔力を多く消耗したことと、毒が体に回っていることが原因であろう。どちらにせよ、現状は変わらず最悪だ。


 俺は女の表情を伺った。女は涙をこらえながら必死に苦しみもがき、言葉をつぶやいている。しかし、その言葉のすべてはどれも、悔しさにあふれたものだった。そして女は、涙の中、覚悟を決めたような表情で、今までよりも大きな、しかし初めの、馬鹿にしてきた時よりも小さな声で言った。


「運転手……さん。馬車を……止めてくれますか……?」


 移動中の馬車。遠距離戦に対して、戦意喪失した者、はなから戦意がなさそうな者も含め、こちらは近距離主体。唯一遠距離型っぽいこの女も、現状、戦える状態ではない。


 俺も「環境を変える」と言う方法を考えなかったわけではない。馬車を止め、地上戦に持ち込めばこちらにも分があったかもしれない。しかし、それはできない。できないんだよ。だって——


「御者!! 馬車を止めちゃだめだ!! 会場まで急いで!! 全速力で!!」


 それをしたら、毒の回りかけたこの女を、見殺しにすることになるだろ——。


 あの覚悟の表情。あれはきっと女自身も、それをわかっての発言だったのだと思う。ここで足止めを食らい、馬車が進まなければ、自分の体が、命がダメになってしまうかもしれないと言うことを。

 ——それだけは死んでもごめんだ。俺を庇って死ぬなんて、俺が絶対許さない。


「ご安心ください……。私の使命は、冒険者を目指す皆様を試験会場まで、時間通りに送り届けることです……。冒険者を目指す皆様以外の事情で、馬車を止めることはございません……」


「それを聞いて安心したよ」


 俺は額に汗をかきながら、しかし表情は、ドラゴンライダーの方を睨みつけながらも笑顔だった。その表情を、あおむけに倒れた女が肘をつき、少しだけ上体を起こして見ていた。それに気づいた俺は、女を横目に、


「俺のせいでごめん。もう少しだけ耐えてくれ」


 女は苦しそうな表情だった。顔の下が黒紫色に変色していた。しかし、気のせいかもしれないが、そんな苦しそうな表情の中に、うっすらと微笑みが浮かんだように見えた。


「も……う……。暢気のんき……なん……だ……から……」


 女はそのまま目を閉じた。その眼のふちには、涙の塊が。それに光が反射して輝いていた。

 そして、一度ひとたび彼女が口を開くことは、無くなった。

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