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 明日香から、里中 実加が一科であることを聞いた。一科のB組。だから待ち合わせ場所を、一科にある自習室にした。返事のなかった相手に待ち合わせを提案しても応じてくれるかは分からない。だから、来ていただけない場合は直接うかがうと明記した。前にも増して、直接私と顔を合わせることを嫌がる生徒が増えた。彼女もその一人だと、私は推測している。

 一科の廊下。私の顔を見て、廊下を歩く生徒たちが避けていく。目的の場所に着いて、ドアノブに手を伸ばした。

 だから、居ないはずがない。

 グループ用自習室には、窓の外を眺める、一人の女子生徒がいた。

 光に照らされて茶色に輝く前下がりの髪が、振り向く。つり目の大きな瞳が、私を捉えたようだ。ワンレンが彼女の表情を露にする。


「あなたが、里中 実加?」

「先輩には敬称をつけるものよ」


 睨まれているのは、つり目のせいでも、気のせいでもないようだ。


「返信を寄越さないのは、無礼に値しないわけ?」

「不躾な手紙に返答しないのは、自己防衛よ」


「聞きたいことがあるのよ」

「私たち初対面 自己紹介」


 どうやら礼儀に厳しい性格らしい。


「はじめまして、大久保 稔流よ」

「はじめまして、里中 実加よ」


「質問しても良いかしら?」

「ええ、どうぞ」


 順を踏まなきゃ、答えてくれないのか。

 これは、みな苦手なタイプかもしれない。


「【魔王】とはどういう関係?」

「【魔王】?」


 見るからに不機嫌になったわね。


「煤原 葵」

「先輩には」

「煤原 葵先輩」


 彼女の言葉を遮って、言い直す。


「仲が良いの?」


 ただ、続く言葉の改訂までは気がむかなった。里中 実加の無言の圧力に、思わずため息がこぼれた。


「仲、良いんですか?」

「ええ。尊敬する先輩よ」


 へーそう。

 どうでもいい会話の躓きに疲れたところに、納得のいかない言葉が飛んできて、さらに疲れが重さを増した。携帯を取りだす手すら重い。


「このメール、送ったのはあなた?」


 メルアドを提示すると、あからさまに目を反らされた。


「あなたが、このメールを送ったんですか?」

「そうよ」

「理由を伺っても?」


 今度は睨まれた。


「理由を伺っても良いですか?」

「葵先輩に頼まれたのよ。どうしても達成したいことがあるって言ってたわ。だから、協力したの」

「あなたと【鎮護の集い】の関係は何?」


 いい加減、勘弁して欲しい。言葉遣い1つで会話が途切れるのは、時間のムダだ。


「関係があるんですか?」

「ないわ。私は【鎮護の集い】じゃない」


 なら、問題はない。の、だろうか。この数分のイラつきを思えば、正直、これから先の会話にやる気がでない。今、勧誘が順調なら、意気揚々と見送るのに。私の中で渦巻くガスのように重い空気を、ため息1つで吐き出した。


「なら、先輩にお願いがあるんだけど。校紀委員会に再加入して貰えないかしら?」


 敬語を使わない私に、変わらず睨みを利かせる彼女を、私は無視することにした。だって、キリがないでしょう?


「校紀委員会は、煤原先輩の肝いりの委員会なのは知っているわよね? 今、その委員会が解散の危機なの。良ければ煤原先輩のために、尽力してくれないかしら?」


 彼女はじっと私を見たまま、動かない。目があったままのこの空間に、私も口を閉ざした。そうして、言い直すつもりはないと暗に示した。


「あなた、どうして自分が校紀委員会に抜擢されたか、分かってるの?」


 折れたのは、彼女だった。


「気まぐれじゃないの?」

「葵先輩は、そんな人じゃないわ」


 どうやら、【魔王】に対しての印象は全く噛み合わないみたいだけど。


「学校の校訓は覚えてるわよね? 自立、斬新、漸進。新しい道を築くために、自ら考え、一歩づつ順を追って進み、自らの道を進め」

「校訓なんて、あってないようなものじゃない」

「そんなことないわ。校訓は学校生活の指針よ。大切なものよ。私たちはその校訓を胸に、学生生活を送っていかなければならないんだから。葵先輩だって、そう言ってたわ」


 学生生活の指針? そんなもの、気にする生徒なんていない。そもそも、


「この学校は、理事長が自分の子供たちのために用意した舞台でしょ。社会に出るまでの前準備のために。様々なことが無条件で許される、最後の時期を有意義で意味あるものにするために」

「学校は私物じゃないのよ。そんなこと、あるわけないじゃない」


 いやに真面目な生徒だ。それも、普通の真面目とは種類が少し違うようだ。まだ一般生徒の方が付き合い易いことだろう。


「ねぇ、どうして退会したの? 幽霊委員だったのは、知ってるわ」


 いぶかしんだ彼女に端的に説明すると、眉間の皺はなくなった。でも、返事はない。 


「【魔王】の指示?」


 憶測を口にすると、彼女は目を細めてしっかりと私を睨んだ。


「あなた、先輩に対する言葉遣いがなってないんじゃない?」

「言葉遣いなんて上っ面は、気にしないタイプなの」


 言い返した私に、彼女の睨み目は和らぐことを知らない。険しくもならなかったけど、論争を生み出すこともできなかったようだ。むしろ、口を堅くしたらしい。まるで置物のように動かなくなった彼女に、私は時間のムダを感じた。

 帰ろうと思った。きっと彼女は、ここで答えを出すことはないだろう。言葉遣いを否定する以外、彼女は自分の言葉を発していない。

 再入会するにしても、しないにしても。釘は指しておこう。私のために。


「礼儀は年齢だけに存在するものじゃないわよね? あなたが委員会に入れば、私の方が立場は上よ」


 去り際の私の言葉にも、彼女は顔をしかめるだけだった。 

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