58


 階段を見上げて、駆け上る。

 どう考えてもテスト期間中とは思えない騒がしさが、耳に届いてくる。

 ジャージ姿の襟首を掴んで、怒鳴り散らしている柳がいた。その柳の腕には、ぎゅっと目を閉じる泉くんがしがみついている。

 柳が何を怒鳴っているのかは、分からない。ただ、それがとても珍しい光景であることには違いない。

 柳は口より先に手が出るタイプだ。

 とにかく、この場を早く納めなければ。このまま柳が悪役で進行する出来事を、見逃していいわけがない。

 ぐっと犯罪者マスクを引っ張って、顔がでないようにしている、胸ぐらを捕まれた強奪犯を、弱者にしていいわけがないのだ。

 なにより、今にも動き出しそうなカレに、動いて欲しくない。


「柳!」


 私の声に、柳の動きが一瞬止まった。その隙を、強奪犯は逃さなかった。

 柳の腕を振り払い、強奪犯は駆け出す。


「待て!」


 逃がすまいと、とっさに伸ばした柳の手に、マスクが引っ掛かった。それを掴んだようで、マスクが引き剥がされる。

 こちらに向かって逃げてくるその顔に、私は眉根を寄せた。木村友也は私を睨んで、すぐ横を駆け抜ける。

 木村友也の後を追う柳。そのすぐ後ろを、泉くんがつけていて、私は腕を捕まれた。


「柳!」


 呼び止めようとしたが、声が届かない。仕方なく泉くんの腕を振り払おうとしたけれど、引っ張られて阻止された。


「どうしたの?」

「柳さん、すごく怒ってて」


 でしょうね。まあ、その割りにはさっきは声に反応したようだけど。


「大久保さんに、ケガさせたって」


 なに? 声にならなかった質問。


「すごく、怒ってたんです」


 泉くんは怯えているのか悲しんでいるのか分からない声音で、返してくれた。


「分かったわ。ありがとう」


 そっと泉くんの手を下げさせて、私は柳の後を追った。

 そんなこと、気にしなくていい。怪我なんて、すぐに治る。現にもう、私の頬に痛みはない。なにより。

 柳の背が階段に差し掛かる。

 私はもう一度、柳の名を読んだ。反応はない。

 名前呼ぶわよ。と、少しイラっとしたが、飲み込んだ。まあ、私のためらしいし。


「待ちなさい、柳!」


 階段に差し掛かる。柳の背は見えても、木村友也の背は私には見えない。


「柳!」


 止まらない足に、私は声を張り上げる。


「彼じゃない! 彼じゃないわ!」


 ようやく、柳の足が止まった。

 私は一息つくと、走るのをやめた。

 立ち止まって私を振り替える柳に、歩み寄る。


「とにかく、外に出るわよ。風紀が来ると面倒だから」


 柳の肩を叩く。


「分かった」


 柳は渋々、返事した。


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