第13話 小百合 佐賀県に入る
【小百合 視察旅行をする 2】
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高来町から小長井町を過ぎ、車は佐賀県に入って行った。
しばらく走ると右手にホテルが見えてきた。
「こんなところにホテルがあるんだ」と小百合は驚いたように言った。
「ここは竹崎がにを食べさせることを売り物にしているホテルさ」
「竹崎がに?」
「そう、竹崎は蟹が有名で、それを目当てにお客が来るってわけさ」
「そうなんだ。何か集客力がある名産品って大事よね。強みにもなるし」小百合は感心したように言った。
斗司登は、そこからしばらく車を走らせ竹崎、右と書かれた案内板に従い車を右折させた。
佐賀県の端、県境の町、太良町竹崎地区には蟹料理を掲げたホテルや旅館、民宿が何軒もあったのだった。
「すごいね。蟹料理をうたったホテルが、こんな何軒もあるなんてね」
「そうだね。蟹は国見や有明町でも取れるんだけど、多以良蟹は竹崎蟹より安く取引されているらしいんだ。委員長、多以良蟹と竹崎蟹の違いは何かわかるかい」
と斗司登は小百合に言った。
「二つの蟹の違い……何だろう」小百合は思案した。
「同じものさ。同じ有明海の干潟で育ち北側で捕まるか南側で捕まるかで名前が付き、有名な方で確保された蟹は高値で取引されるだけさ。
だから多以良蟹が竹崎で客の前に出される時は竹崎蟹として出される。消費者は多以良蟹を竹崎蟹と思ってありがたがって食べるというわけさ」
「それって変よね」
「でも、それが現実の消費社会の仕組みさ。それは蟹だけじゃない。食材の宝庫、長崎県は消費手段を構築できないから宝の食材を他県に卸し、他県はそれをブランド化して消費者に提供するから原材料以上の利ざやを稼いでいるというわけさ」
「ふぅん。そんな食材、他に何があると言うの」
小百合は興味深そうに聞いてきた。
「同じ、佐賀県で言えば呼子のイカがある。呼子と言えばイカ、イカと言えば呼子というふうに北部九州では呼子のイカは有名だけど、有名になればなるほど消費数は増え、呼子産のイカだけでは賄いきれない。
そこで佐世保の九十九島あたりで取れる活きイカを活魚運搬車で呼子まで運んで呼子イカの名称で出しているんだ。
佐世保では新鮮な活きイカが取れているのに、佐世保で活きたイカを出している店は少なく、佐世保のイカ、という認識を持った市民、県民は皆無なんだ……
佐世保で、活きいかをお手頃な値段で出してくれる店は、ささ泉くらいかな?」
「それって変よね」
「それだけじゃないんだ。福岡では冬場ふぐより珍重される高級魚にアラがあるんだけど、これも五島沖等で水揚げされているんだ。
昨日も言ったけど、ふぐも長崎県でたくさん養殖されているけど長崎のふぐ、て言わないようね。ふぐは下関が有名だよね」
「そうか。本当に長崎県て食材の宝庫なんだね。それに宣伝下手、商売下手」
「それが長崎県民の県民性と言えるのじゃないかな」
「ふぅん……」
「歴史の話になるけど、明治維新に際し、長崎は最先端の情報が集まっている街で維新の英傑と呼ばれた人の多くが長崎に来て最新の海外事情を学び、歴史の表舞台に躍り出ていった。坂本龍馬なんか、その筆頭だよね。
日本の西の端、長崎に全国から時間と労力を使って志が高い若者が集まってきた。
そんな全国の志ある若者の憧れの場所、長崎に住みながら、また、長崎の近い場所に住みながらその地の利を活かした長崎県の志士は皆無なんだ。
歴史の専門家に聞けば誰かいるかも知れないけど、学がない俺が知るような長崎県出身の歴史に名を残した志士は一人もいない。
ここにも、長崎県人の県民性が表れているんじゃないかと俺は思っているんだ」
「……」小百合は驚いた表情で斗司登を見つめた。
「何だよ」小百合が見つめていることに気付いた斗司登は照れたように言った。
「いやぁ、団長から明治維新の解説が出るなんて、思ってもいなかったので驚いちゃって。
中学時代の団長からは想像もできない変化だなって思って。どうして団長は、そんな博識になったの」
感心したように小百合は言った。
「それは人も10年経てば成長もするし、変化もするよ。俺の場合は高校を中退し、あっちこっちをブラブラ渡り歩いているうちに聞きかじった耳文学や、実際に見聞きした現実社会とその社会の裏側を学んできたってことかな。
もちろん社会に出てみて自分の無学を思い知らされることばかりで恥ずかしくなって本を読むようにしたし、テレビも歴史や経済の番組を選んで見るようにしているんだ」と言った。
「うん。偉い、偉い」と小百合が戯けて言うと「委員長に褒めてもらえると又頑張ろうと思うよ」と斗司登が真面目な顔で返したので小百合は急に自分の顔が赤くなっていくのがわかり二人の間に沈黙の時間が生まれた。
国道を走っていると、あっちこっちに「竹崎蟹」という看板が目についた。
その内の1軒に入ってみた。
「さっき、呼子のイカの話をしたけど、唐津でも活きイカの刺身を出す旅館ホテルが多いんだ。
その中には活きイカに加えて伊勢エビの刺身付きで1万6千円くらいで泊まれるとこもあるんだ。
活きイカと伊勢エビの刺身が食べられるって、それだけで宿泊する価値は大ありだね。
しかも大都市福岡に長崎県より近いと来ている。
そんな魅力的な宿泊どころを向こうに回して、辺鄙な長崎県の温泉町に人を呼び込むか、至難の業だと思うよ」
「そうね。自分が旅行をしようと思った時にわざわざうちの旅館に来ようとは思わないかもね」
「俺たちの故郷、というひいき目を取り除いて見れば、これまでのうちの旅館の料理には秀でたもの、特徴がなかったと思うんだ。
確かに刺身は新鮮だけど、よそと差別化が図れるほどではなかった。うちの旅館まで来て食べたいと思うほどの料理ではなかった。
うちの旅館で食べる食事は、どこの旅館でも食べることができる料理だからあえて、うちの旅館まで足を伸ばして食べに来るほどの魅力はない」
「ひどいな。いくら何でもそこまで言うことないんじゃない」
「それなら聞くけど、東京でどこにでもある料理を出している飲食店が激戦区で生き残ることはできるかい」
「それはそうだけど」
「委員長が、どういう旅館に泊まりたいかどういう旅館だったら遠くても行ってみようと行動を起こそうと思うか、それを考えれば委員長が作らなければならない旅館像は明確になると思うよう」
「そうね、それを従業員全員が考えて形にしていくことが肝要ね。
でも、これまでの話で私たちには大きな優位性があることはわかったわ。身の回りの宝を活かせばいいってことよね」
旅館の将来像を語りながら二人は佐賀県から長崎県に戻って来ていた。
国道207号線を諫早市内に向けて車は走った。
高来町を過ぎ、しばらく走ると長田町に入った。斗司登は長田交差点を左折した。
道を真っ直ぐに走り、島原鉄道干拓の里駅手前の踏切を越え国道251号線に交わる交差点をまた左折した。
そこから1~2分走ったところで斗司登は車を右折させて「うなぎの小里」という登りを掲げてある駐車場に車を入れた。
駐車場はほぼ満杯であった。
いつの間にか午後5時を過ぎていた。
「あっ、このうなぎ屋さん、子供の頃家族と来たことがある」と小百合は言った。
二人は店の中に入っていった。
40分後、二人は店を出て車に乗り込んだ。
「美味しかったね」車に乗るなり小百合は言い「それに、値段が手頃で大満足よ」と続けた。
「うなぎって、美味しいけど値が張り、特別な日に食べるって感じの贅沢食の位置づけなのに、ここでは少し背伸びする金額で美味しいウナギが食べられるから昼間から、いつも満席なんだ」
「値段は手頃なのに、味も量も他店並みとなればお客さんが来ないわけないよね」
「いわゆるコスパ感だよね。高い金を出しておいしい物を食べられるのは当たり前。
ご馳走が出ても、それだけ支払うんだから、これくらいは当然だろうって、意外といいものを食べても感動は少ないことって珍しくないと思うんだ」
「そうよね。期待を裏切るから感動がある。逆の裏切られ方をしたら二度と行くか、と思ってしまう。客商売って難しいね」
「それを、どう実現させていくかがみんなの知恵の出しどころさ」そんなことを語らいながら二人は旅館に向けて車を走らせた。
反転攻勢に向けてのヒント探しの旅が終わろうとしていた。
二人は、今後について車内で話し合いを続けた。
その内容は、この旅行中、繰り返して行ってきたことのまとめの段階に入っていた。
この旅行を通して得た道しるべを活かしてどん底からの反転攻勢をかけて行かなければならない訳で、その戦略は煮詰まっていた。
ただ、その戦略の前に立ち塞がる大きな動かざる障壁があった。
これをどうにかしないことにはどんなよい計画でも実行前に破産してしまうことは明白であった。
大きな障壁、それは旅館の運営資金だった。
借金返済に追われている橘湾荘だったが、この炎上騒ぎで少なかった宿泊客がさらに激減している。
支払いどころか、日々の運営資金にも事欠くほど追い詰められていた。
金融機関で今の橘湾荘に融資してくれるところはなかった。
金融機関以外から運営資金を調達することができなければ練り上げた再建秘策も水疱と期してしまうのだった。
小百合の目の前には、待ったなしの運転資金という大きな壁が立ちはだかっていた。
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