第14話 平成3年雲仙普賢岳大火砕流人災
【余談】
夕べのホテルでの斗司登の部屋での語らいに戻る。
-1-
小百合と斗司登は、このホテルに来る前に有明町で夜のつまみ用に買っておいた鳥の塩焼きをつまみに量販店で買って持ち込んでいたプレモルを飲んでいた。
「団長がうちの中学校に転校して来たのは1年の2学期からだったよね…………」
「あぁ、親父が大火砕流で死んで、お袋が委員長の旅館で働くことになり転校したからね」
「団長って、転校してきたころ、無口で全然、話さなかったね」
「いわゆる心を閉ざしていたんだと思うね、今、考えると…………」
「お父さんは消防団で大火砕流に巻き込まれたんだよね」
「あぁ、親父はマスコミに殺されたんだよ」
斗司登は沈痛な面持ちで小百合を見て言った。
酒が入っていたことと、旅先のホテルの一室に幼なじみの同級生と二人っきりという状態が斗司登の心の奥底にしまっている重い扉を開けたのだろう。
これまでけして語ることがなかった斗司登は語り出した。
小百合はこの時、初めて斗司登が心に背負っている思いを知ることになる。
-2-
―― 大火砕流の被害者となった消防団、警察官、タクシー運転手の方々は当時の状況を知る人はみんな「マスコミに殺された」ということを口にする。
その当時、俺はまだ子供で何が起きたのか親父はなぜ死んだのか、がわからず、ただ突然、この世からいなくなった大好き父さんのことを思って泣きじゃくっていた。
その後、当時の状況を見聞きした親類の人たちの話や、高校生になってからは自分で図書館でその当時の新聞を読んで調べたりして、その時、何が起きたのか。
人が何で「マスコミに殺された」というのかの意味を知ることができた。
俺は「何で親父たちは死んだのか」がわかって行く過程で怒りに震え続けたんだ。
-3-
平成3年5月26日に小規模火砕流が発生して軽傷の負傷者が出たことから島原市は同じ日に火砕流は危険であるとして普賢岳の麓の一部に避難勧告を出した。
しかし「報道の自由を当局が規制している」「勧告区域に立ち入るのはジャーナリストとしての当然の権利」と本気で信じ込んでいたマスコミは勧告区域内で一番迫力がある火砕流の映像が撮れる地点を「定点」と自分たちで名付け、流れ下る火砕流の撮影を続けたんだ。
それに対して行政や警察は再三再四、立ち退きの要請をしたが完全無視したのだった。
これだけならマスコミ関係者だけ(タクシーの運転者は巻き添いで亡くなっただろう)が殉職?して注意喚起した行政や警察の関係者は表だって言うことはなかっただろうが、陰では「だから危ないって言っただろう」と言ってマスコミの愚かさを笑うだけで済んだだろう。
ところが、このマスコミの特権意識を持った馬鹿者たちはとんでもないことを仕出かす。
何と、避難勧告を受けて住民が不在になった民家に無断で立ち入り縁側で昼寝をしたり……これなど可愛い方である……、留守宅のコンセントで無断で電気を盗用して機材の充電したりしたのである。
これに立腹した地元消防団が避難勧告区域のパトロールを始めたことが多数の消防団が犠牲になる原因となったのだ。
これが「マスコミに殺された」と遺族や住民が怒っている理由さ。
-4-
テレビで被害者のことを語る場合「消防団やマスコミ関係者等多数の…………」という報道をするが、他にも警察官やマスコミにチャーターされたタクシー運転手も被害にあっている。
「等」でもないし「43人」という数字でもない。
一人一人名前があり、家族が、歴史が、未来があったのである。
それを「マスコミ」が殺したのである。
テレビでは死亡者の中の職業も言ってもらえない警察官の若い隊員二人は、その大火砕流が発生した時には安全な避難できる場所で検問をしていたという。
それなのに大火砕流が発生したことを無線で知ったお二人は「上には報道関係者がいる、彼らに危険を知らせて逃がさねば」という使命感からわざわざ流れ下る大火砕流に向かって行かれて殉職されたのである。
一人の隊員は婚約者もいた、と聞く。
家族は「何でマスコミなど見捨てて逃げなかったんだ、馬鹿野郎」と思われたことだろう。
でも彼らの頭には自分のことより市民、住民の安全しかなかったのだろう。
それまで避難勧告区域に立ち入るマスコミを規制するたびに、キツい言葉を自分たちに投げかけた腹立たしい相手、それがマスコミであったに違いない。
それなのに、そんな快く思っていないであろうマスコミを「助けなければ」と思って、牙を向いて流れ下ってくる火砕流に向かってパトカーで走っていく若く気高い心を持った機動隊員のことを思うとマスコミに対する怒りと同時に彼らに対する尊敬の念が涙と共に溢れて来るんだ。
人として生まれた以上、この人たちに負けないような気高い生き方をしようと、この事実を知った時に俺は思ったものだ。
-5-
彼らが所属していた機動隊の本拠地である佐世保で葬儀が行われたそうだが、その葬儀場にも「マスコミ」は取材に訪れたそうだ。
葬儀場で取材をしようとする「マスコミ」に仲間を失い、悲しみに暮れている隊員たちは「マスコミ」に詰め寄り「お前等のせいで仲間は死んだんだ」と涙を流しながら抗議したという。
「取材の自由」「ジャーナリズム精神」を声高に叫ぶ「マスコミ」もこの時は一言も返す言葉もなかった、と俺が読んだ当時の長崎新聞には、珍しく葬儀翌日の紙面に、この葬儀場での出来事を大きく自戒の言葉とともに記事にしていた。
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