第7話 小百合 号泣する
【新女将 小百合 苦闘す】
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商工会を出た小百合と斗司登は旅館に向かって歩きだした。
斗司登が小百合に「お疲れ。大変だったね。お疲れさま」と声をかけた。
「ホントだね。本当にお疲れだよ」
と小百合は笑顔を見せたが、斗司登にとってその笑顔は痛々しくて視線を避けるのだった。
旅館に帰って小百合はスタッフに「今日のお客様は?」と聞くも一件も入っていませんと言われて
「今日の電話番をよろしくね」
と言って自分の部屋に戻ろうとした。
そこへ板長が出てきて話しがあると小百合に言った。
組合会合でのやりとりで疲れていた小百合だったが板長からの話を断ることもできずに会議室で話しを聞くことにした。
会議室に入ると二人は向かい合って椅子に座った。
「話って何でしょうか」
手短に用件を済ませたい小百合が口を切った。
「こんな大変の時期に何ですが、私は今回の騒動の責任を取りたいと思います」
と板長が言った。
小百合は思いもよらない板長の言葉に驚きの表情を浮かべ「責任を取るってどういうことでしょう」と聞き返した。
「言葉通りです。責任を取って板場を辞めさせてもらいます」
突然の板長の発言が、疲れ切った小百合の脳裏を駆け巡った。
確かに板長が、番組スタッフの誘いに乗って豪勢な料理を出しさえしなければ今回の騒ぎは起きなかった訳で
『責任の取り方って間違っているだろう』
と板長を責める言葉が喉まで出かかったが、今は終わったことを責めるよりこれからのことを考える方が大事であると思いを整理した。
今は板長はどうしても必要である。
『辞めたけりゃ、勝手に出て行け』と啖呵を切りたい自分の気持ちをグッと抑えて、小百合は板長を慰留した。
「今、板長に抜けられたら、ただでさえ苦しい旅館はやっていけなくなります。どうか思いとどまってください。お願いします」
と小百合は板長に懇願した。
組合では土下座までした自分である。
この際、この頭くらい、いくらでも下げてやる、そんな気持ちにさえ小百合はなっていた。
しかし、板長は「旅館にこれだけの損害を与えた以上、これ以上この旅館で働くことはできません」と慰留を固持した。
もっともらしく力説した板長だが、この数ヶ月しか接してはいないが、この板長がそんな玉じゃないことは小百合にはわかっていた。
沈みそうな泥船にこれ以上乗っておくバカはいない、というのであろう。
「幸いと言ったら身も蓋もありませんが、今日も宿泊客はいないことですから、今日までで上がらせていただきます」
と一方的に言って板長は会議室を出て行った。
しばらく小百合は会議室でボウッとしたまま座っていた。
ハッとして小百合が時計を見ると30分以上が過ぎていた。
小百合は重い身体を起こして会議室を出て事務室に行った。
そこには心配顔の事務員たちと仲居頭がいた。
小百合の席には板長以外の板前の退職届3通が置かれていた。
板長について板長、子飼いの板前も旅館を出て行ったようである。
残ったのは、斗司登と斗司登の弟分二人だけとなった。
机に置かれた退職届について小百合は触れることもなく
「ちょっと部屋にいます。何か用があるときは内線で呼んでください」
と力なく言うと小百合は事務室を出ていた。
その後ろ姿を斗司登は廊下で見ていた。
部屋に帰った小百合はベッドに横たわり右手を目の上にのせて今日までのことを考えていた。
もともと旅館など継ぐ気はなかった。
祖々父母が始め祖父母、両親とこの旅館を継いできたのを自分が潰すわけにはいかないという思いが湧いてきて旅館を継いだが、それが間違いだったのだ、と。
こうなったのも運命である。
自分が継がなければその時点で廃業していた旅館である。
それが数ヶ月延びただけでも自分の責任は果たしたんじゃないか。
本来であれば今も東京にいて銀行員として大きな仕事をしていたはずである。
それを捨てて来ただけでも両親、先祖に対する義理は果たしたと思う。
続けようと思っても客は来ないし、客が来ても料理を作る板前がいないのではもはや旅館ではない。
こんな潰れかかり給料も払えない旅館で働いてくれる奇特な板前なんて日本中、世界中を探してもいるわけない。
そんなことを考えていた小百合の頬に涙が一筋流れ落ちた。
それを合図にしたかように商工会から我慢していた思いが激流のように湧き出てきて小百合は号泣するのだった。
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