第6話 小百合 謝罪する
【新女将 小百合 苦闘す】
-8-
タレントと取材班が帰ってあと、小百合は会議室に千代と板長を呼んだ。
会議室に3人がそろう。
ドアの外で斗司登が中のやりとりに耳を側立てていた。
「千代さん、板長。さっきの料理はどういうことですか」
怒鳴り散らしたい気持ちを押し殺して小百合が言った。
「すみません。私は止めたのですが、旅館のためだから、どうしてもと板長が……」と千代はうなだれながら言った。
「板長の判断ですか」小百合は板長をにらみつけて言った。
「そうですよ。いけませんか」
板長は開き直ったように言った。
「良いわけないでしょう。いつものお客様に出している料理でお迎えする、ということは何度も話して決めたことだったでしょう」
「でも、これは旅館を立て直す、ひょっとしたら最後のチャンスかもしれないんですよ。
だからバンと派手な花火を打ち上げれば全国からお客が押し寄せるようになりますって」
興奮したように板長は言った。
「それは板長の考えですか」
小百合は、今日の顛末には裏があるように感じていたので言ってみた。
「い、いぇ。番組の責任者が板場に来て、何か視聴者が驚くくらいの派手な料理を用意してくれないか、というものですから、私としても旅館の為になるなら、と思って」
「やっぱり……あの責任者は私にもそう言ってきました、でも、私は取材だからといって日常と違うお料理をお出ししたら、それを見てお越しくださったお客様が番組と違うこの旅館には不正がある、とがっかりされ二度とお越しくださらなく、だからこそ正直であろうと思ったのです」
「そんなことは取材を受ける旅館や、飲食店はどこでもやっていますよ。
二度目って、一度目のお客が来なくて困っているのに二度目のことなんか考えてどうすんですか」
と小百合に向かって吐き捨てた板長だったが、小百合は瞳から涙のしずくを一筋、二筋と流れ出るのに気付き言葉を詰まらせた。
その場に重苦しい空気が流れるのだった。
-9-
その日を境に女将と板長は仕事上の最低限の会話しか交わさないようになった。
小百合はめっきり言葉数が少なくなり旅館従業員全体がギクシャクした感じになった行った。
そして番組の放送日が来た。
小百合は放送を見ることなく旅館の雑用をしていた。
放送の途中から、単発で予約の電話が入り出した。
さすがにテレビの影響力は凄い、と思っていると刺身の舟盛りが出た場面から一気に予約の電話が増え出し、ステーキ肉が岩石の上で焼き上がる場面の後からは予約の電話が鳴り止まない状態になっていた。
騒ぎを聞きつけ予約の受付の応援に戻った小百合は未だ釈然としない心地でありながら
『これで助かる。経営危機から抜け出せる』
と安堵感を感じるのだった。
-10-
早い客は、翌日から訪れ出した。
小百合が引き継いでから初めての賑わいが旅館に訪れた。
昼過ぎのミーティングで今日のお客様は15組です、と事務の久美が言うとどうだ、とばかり勝ち誇ったような顔で板長が小百合を見た。
それを無視してミーティングが終わると小百合はフロント係の係員を呼んで指示を与えた。
4時過ぎ、宿泊客のチェックインが始まりだした。
フロント係はそれぞれの宿泊客に対して「お詫び」と題した1枚のチラシを手渡していた。
客に配ったチラシには
「番組で放送されたのは通常料金ではなく特注の料理でした。
放送に際しては、特注の料理である旨のテロップを入れてもらうことになっていましたが、手違いか放送ではテロップが流れていませんでした。
お詫びに本日は放送の料理をご準備させていただきます」
と書かれていた。
事情を知らずテレビを見て、その料理が食べられる、と思ってきた客は裏切る訳にはいかない、仕方がないと割り切り、足が出るが放送と同じ料理を提供しようと小百合は決めていたのであった。
宿泊日が近い方の予約客に電話と手紙で同趣旨のお詫びと宿泊の確認を行っていった。
それにより、宿泊者は予約があった3分の1以下に激減した。
連絡が行き届くまでに宿泊をして、豪華料理を提供しなければならなかった日数は1週間近くに及び100組近くの赤字宿泊客を受け入れることになってしまったのだった。
キャンセルに際しては「詐欺か」とか「汚ぇ商売をしてるんじゃねぇ」等々の罵声を浴びせられることも少なくなかった。
しかし、その残り3分の1も予約日が近づくに連れて1組、2組と減って行った。
正直でありたい、お越しいただいたお客様を裏切りたくない、がっかりさせたくない、と言う信念を持って今回の騒動に止めを刺す出来事が起きてしまった。
SNS上で、今回の件が炎上したのだった。
「詐欺商法」「誇大広告」「旅館業の風上にもおけない」等々とネット上に橘湾荘を非難する書き込みが相次いだ。
さらに一人が書き込んだ「制裁を加えよう」を切っ掛けに騒ぎは拡大した。
連日、いたずら電話や嘘の予約が相次ぎ旅館業は大混乱する。
さらに橘湾荘と小百合を追い詰めたのは、その嫌がらせが小浜温泉旅館全体に及んだことであった。
この件は旅館に大ダメージを与えたが、ダメージは小百合の旅館だけではなく、小浜温泉街全体の悪評となり温泉街にダメージを与えた。
-11-
数日後、その件を受けて緊急の旅館業組合の会合が行われた。
その席で小百合は会員から
「お前んとこのせいで宿泊客は減るし、嫌がらせの電話、ファックスは毎日のように来て、その対応に追われている。いったいどう責任を取るんだ」
と激しく異口同音に叱責されつづけた。
会議が始まって20分、中堅どころの旅館の主が小百合を責めている。
40分、別の家族経営の旅館の女将が小百合を責める意見を口角泡飛ばし発言している。
1時間以上が過ぎても別の女将が小百合を責めていた。
その間、小百合は直立したままで組合員の罵声を浴び続けていた。
その後方で付き添いできた斗司登は沈痛な思いでその批判を聞いていた。
小百合は、その罵詈雑言に対してクッと唇を噛み耐え続けた。
あまりの責めに泣き出したい気持ちであったが小百合は
『私は泣かない。涙を流してこの場を逃げるようなことはしない』と
そんな組合人の中で次に発言を求めた若女将いた。
小百合はその女性の方を見た。
中学校時代の同級生、新川澪里であった。
『澪里。澪里も旅館を継いだんだ』と小百合は思った。
澪里の家は小百合の生家と同じく老舗の旅館であったがそれを大改築して温泉街の中心地に大型温泉ホテルを営んでいたはずであった。
澪里は小百合の方を見て
「平原さん、今回の件、どう責任を取るつもりか、ここでハッキリ言ってよ」
と厳しい口調で言った。
「本当に、申し訳ありません……」
「謝罪はいいのよ。あんたが頭をいくら下げても私たちは一銭も得にならないんだから。でも謝罪するなら、ちゃんと謝罪したら」
と澪里は言った。
「……?」澪里の発言を訝る小百合。
「わかんない。そんな言葉だけの謝罪じゃ誠意が伝わらないってこと」
「どういうことですか。どうすれば誠意が伝えるというんですか」
「昔から、日本じゃ深い反省を表す場合には、見ただけでそれがわかる謝罪の方法があるんじゃないの」と澪里は言い切った。
二人はにらみ合い会場には緊迫した空気が流れた。
「本当に組合人の皆様にご迷惑をかけたと心から思っているのならまず、床に額をつけて謝罪するのが筋でしょう。
それとも何、大手都市銀行の総合職のエリート様が、こんな田舎旅館の親父やおばさんたちに下げる頭はないってことかしら」
澪里は、キッと小百合をにらみつけて言い捨て
「さあ、どうなの。まず深々と謝罪して、それからどうするか、話し合うのが筋でしょう」
と続けた。
組合員たちの冷たい視線が小百合に集中した。
沈黙したままの小百合は深く深呼吸をするとその場に跪き、組合人に向かって深々と頭を下げるのだった。
斗司登はそれを後ろから直視することができずに顔を斜めにして目を伏せるのだった。
冒頭から興奮して小百合を責め続けた組合員たちであったが、澪里の激情した言動を見て一気に憤懣が冷めていくのを感じていた。
組合員のほとんどが町内で生まれ育った人間ばかりである。
小百合と澪里と言えば子供の頃から小浜の名花と噂される美形で、その同級生二人が親友でともにブラスバンド部でも活躍していたことは知っている。
そんな二人が諍い、一人がもう一人を激しく責め立てることに興ざめする組合員たちであった。
結局、澪里の発言で小百合に対する追及の声は一気に沈静化して小百合は退室を求められた。
あとは組合員で処分を話し合い、その結果については追って連絡するが、それで異論はないね、と会長から言われ小百合は
「はい。異論ありません」
とだけ答えて会議室を出たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます