オーストラリア

 大学3年生の夏休みに、オーストラリアに行くことになった。もちろん、正確には、夏なのは日本だけで、南半球のオーストラリアは反対の冬だった。行ったことはなくとも、それくらいは知っていた。カンガルーがたくさんいて、その多くが交通事故で死ぬ国。台風の巻き方も水洗トイレの渦も日本とは真逆の国。と、そんなイメージだ。


 東京では見られない星がオーストラリアの夜空で訪れるのを待っていることも、知っていた。けれど、数学の先生が言っていた言葉は、とうの昔に忘れていた。そもそも、数学の先生じゃなくて、物理の先生だったような気もする。オーストラリアに来たのも、短期の語学研修のためで、地球は丸いかどうかなんて確かめに来たわけじゃなかった。


 ノースクランボルンという名の町が1ヶ月のあいだの私のとなった。世界一住みやすい街と評されるメルボルンまで電車で1時間の郊外の町にあるホストファミリーの家から、海沿いの町フランクストンにある研修先の大学までバスで通った。


 夜になると、ホストマザーとホストファザーは庭に出て、南十字の位置を分かりやすく教えてくれた。2人は星空に詳しいわけでもなんでもないが、見上げるとすぐに十字架で結ばれる4つの星を見つけられた。きっと、東京では見ることができないその星座を、これまで何度となく日本人留学生に尋ねられたからだろう。慣れたものだった。


 生まれて初めて見る南十字は、東京で見るどの星座とも似ていなかった。全天でもっとも狭い領域に、とびきり明るい1等星をふたつもちりばめた贅沢な星座は、東京の夜空で4つの星を結んでも作れない。いつもと違う夜空が、ここが今までとは違う場所だと教えてくれる。大昔の船乗りと同じ方法すぎるのが、くすぐったかった。


 ひときわ明るく輝くアルファケンタウリは、私たちから二番目に近い距離にある星だ。一番目はもちろん太陽だ。けれど、夜空で無数に煌く星と、昼間に無尽蔵に地球を照らす太陽とが、同じ恒星のなかまだと最初に言った天文学者は誰だったか。夜空の星はどう見ても太陽とは違う。同じだと言われてもそう簡単には納得できない。私たちは地球の丸みと一緒で、窮屈な証明をどこかで鵜呑みにすることに味を占めてしまったようだ。それでも、気さくな南十字は何千年も前からそこに在り、今も昔も変わらず訪れる人を楽しませることを忘れていない。


 見上げた夜空には、無数の恒星が輝く。みんな太陽と同じなら、私たちの住む地球のような惑星もきっとどこかの太陽の周りを回っているんだろう。別の太陽の周りを回る別の地球の別の知的生命体が、きっと太陽が明るく輝くのを見つけてくれる。それはアルファケンタウリのように明るくは見えないかもしれないけれど、何座の星と呼んでいるのだろうか。私たちがそれを知ったとき初めて、何千年も訪れる人をひっそりと待っている南十字の気持ちを汲んでやれるだろう。

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