第33話 急変
瑠璃たちの食事事情を解決することを決めてから一週間。
俺は毎日、夜明家にお邪魔するようになっていた。
というのも、舞さんからの提案で食材は夜明家持ちになったからだ。
俺としてはそんなつもりで提案したわけではないのだが、舞さんも折れることがなく、家計的に助かることもあって承認することになった。
「ふんふんふーん」
「なんだかご機嫌だね」
「ハル君と一緒に料理するの楽しいだもん」
キッチンでは俺と並んで瑠璃が野菜を切っていた。最初のころよりもずっと手際も良くなっていて、元々器用な方なんだろうと思う。
「……」
「どうしたの?」
「なんでもないよ?」
毎日家に行くということは、毎日瑠璃の私服を見られるということ。
ここ数日で多少慣れたとはいえ、普段から見慣れている制服と違い、私服やエプロン姿はドキドキしてしまう。
特に最近はどんどん暑くなってきているので、家の中では普通に夏服だ。彼女の白雪のような滑らかな腕やら首元などがチラチラと見え隠れしたりなどして、視線がそこにいかないように注意が必要だった。
「っ――」
そんなことを考えていたからだろう。俺は包丁を滑らせてしまい、指先を切ってしまう。
「……あー、やっちゃったなぁ」
大した傷ではない。多少痛いとは思うが、これくらいなら軽く洗って押さえておけばすぐに止まるだろう。
そんなことより、初心者みたいなことをしてしまったことに若干のショックを受ける。
――瑠璃に見惚れてるんじゃなくて、ちゃんと料理に集中しないと。
「……ぁ」
「ん?」
そんなことを考えていると、隣から小さな声がこぼれたことに気が付いた。
見れば、瑠璃がこちらをじっと見つめている。しかし、その表情はどこか放心したようで……。
「瑠璃? どうしたの?」
「……ハル、くん」
ふらふらと、まるで焦点の合っていない視線が、なんとなく自分の指先に向いていることに気が付く。
「ちょ――⁉」
これはもしかしたら、そう思っていると不意に瑠璃が近寄ってきて、俺の指を咥えてきた。
「ん……おいしぃ……」
「瑠璃⁉ 瑠璃ってば⁉」
「は、ぁ……もっと……もっと、ちょうだい?」
顔を紅くし、潤んだ瞳で見上げながらそんなことを言うが、明らかに正気を失っている状態だ。
それにもっとと言われても、すでにもう血は止まっていた。止まっていたのだが、それでも瑠璃は最後の一滴まで逃さないと、舌をチロチロとしながら舐めてくる。
「る、瑠璃⁉ これ以上はもう駄目だって!」
「やぁ……もっとぉ……」
我儘を言う子どものように、それでいてとても扇情的な表情。もはや俺の頭の中はぐちゃぐちゃになり、頭の中が真っ白になりそうだった。
本当なら、無理やりにでも剥がせばいい。だがそれが出来ない。
この艶めかしさをもっと見ていたい気持ちと、気持ちよさに、抵抗する気持ちがどんどんと失われてしまっていたのだ。
――もう、これ以上は……。
このままでは俺も理性を失って、彼女を襲いかねない。
「ハルくん、ハルくん……」
瑠璃は何度も俺の名を呟きながら、もはや理性を失ったような状態だ。ここで俺までその流れに身を任せて流されるなど、いいはずがなかった。
「っ――ごめん!」
「ぇ? あ⁉」
無理やり、本当に自分の理性を総動員しながら無理やり彼女を引きはがす。
少し乱暴になってしまったが、そうしないと抵抗する気を無くしかけていたから、仕方がなかったのだ。
「あの、その……わ、私……」
正気を取り戻した瑠璃は、怯えた様子で俺を見ていた。先ほど自分がした行為に、戸惑っている様子だ。
そして――美しい宝石のような瞳からポロポロと涙が流れだす。
「や……だぁ……私、私は……」
「……大丈夫だよ」
「で、でも――私!」
「大丈夫! 俺もちょっとビックリしたけど、嫌じゃなかったから!」
瑠璃を安心させるように、俺は彼女を無理やり抱き寄せる。そして赤ん坊をあやす様に、背中をトントンとゆっくりと優しく叩いてあげた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
「あう! うぅ! あぁ! やだよぉ……なんでわた、わたしはこんな……」
腕の中で瑠璃が泣く。なんとか声を抑えようと必死だが、それでも感情が付いて来ないのだろう。
その力は強く、それでいて苦しそうに瑠璃が泣いていた。
これまで瑠璃が泣いている姿は何度か見てきたが、このような姿を見たのは久しぶりだった。
瑠璃は自分が吸血鬼であることを嫌っている。それは出会ったときのことから分かっていたことだ。
ただ気になるのが、今の瑠璃の動転している理由。
以前俺は公園で、瑠璃に我慢しなくていいと言ったはずだ。
そしてそのとき彼女がその言葉を受け入れて、そして血を吸った。
そのときと今回、いったいなにが違うというのだろう?
「俺の血が吸いたいなら、いつでも血を吸っていいんだよ?」
「ちが、ちがうの……今のはちがう、から……」
「瑠璃……」
やはり以前のときとは異なる態度。
とりあえず俺は瑠璃と一緒にキッチンから出て、リビングのソファに座る。そして落ち着くまでずっと抱きしめ続ける。
「ぐす……」
「大丈夫?」
「……」
俺の胸の中で頭を動かすだけで、顔を上げようとしない。だがそれでも、先ほどに比べればだいぶ落ち着きを見せていた。
「あのさ、俺は気にしてないからね?」
「……うん」
返事はするが顔は上げず。仕方ないので目の前にある紺色の髪をそっと触れながら、優しく撫でる。
本当に綺麗な髪だ。それに、緩やかにウェーブした髪はとても柔らかい。
結局、瑠璃が顔を上げたのはそれから一時間後だった。
寂しそうに「ごめんね」とだけ言って、いくら聞いても答えてくれず、結局その日は解散となる。
そして、その翌日から三日間、瑠璃は学校に来なかった――。
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