第24話 吸血鬼について

 瑠璃のおじさんは俺を連れて行くと、小さなカフェに入る。

 最初は瑠璃もついて来ようとしたのが、男同士の話だからとおじさんに止められて、一人で帰っていった。


 そうして案内された席に向かい合う様に座ると、そっとメニューを渡してくれる。


「さあ、なんでも頼んで良いよ?」

「はぁ……」

 

 改めて見ると、凄く好青年のイケメンだ。おじさんと呼ばれている年齢には見えず、恐らく二十代前半くらいだろう。


 瑠璃のお爺さんがドイツ人らしいが目の前の人も純粋な日本人、と言うには肌の色も顔も違っていた。その割には流暢な日本を話し、まったく訛りらしい訛りがない


 着ていたトレンチコートも脱ぎ、高級感のある白いシャツがよく似合う。

 正直、こんな大人に憧れないかと言われたら、嘘になるくらい格好いい男性だ。


「……コーヒーをお願いします」

「なんだ、ずいぶんと遠慮する子だな」


 そう言いながらベルで店員を呼び、コーヒーを二つ頼む。


 女性店員が急いでやって来たところを見ると、このイケメンの注文を取るために控えていたようにも見えた。


 あと、少し離れたところでは他の女性店員たちが悔しそうにしているのが見えて、色んな意味で大変だなぁ、などという謎の感想が湧いてきた。


「さて、それじゃあ自己紹介でもしようか」

「そうですね……」


 にっこり笑っているのだが、瞳の奥は全然笑っていなかった。

 先ほどの溺愛っぷりを見ていると、困惑せずにはいられない。


 ここでデラックスチョコレートパフェなんて三千円くらいするものを頼んでしまったら、俺は帰れるとは思えなかった。


 ――どうして瑠璃の傍にいるのはこんな人ばっかりなんだ!


 玲愛といい、このおじさんといい、ちょっと過保護すぎないだろうか? 

 

 瑠璃がちょっと世間知らずなのは絶対、この人たちのせいだ。あとそれを楽しんでいるであろう舞さん。


 ここは俺がしっかりしないと、そう思っていると、頼んでいたコーヒーがやってきた。

 おじさんはそのコーヒーを軽く口に付けてから、改めてにっこりと笑う。


「私のヨハン・フリードリヒ。名前でわかるかもしれないけど、ドイツ人だよ」

「俺は草薙陽翔です。瑠璃とは今月の最初に出会って、その、婚約することになりました」

「うんうん。そのあたりの事情はしっかり聞きたいところだが、礼儀正しい姿は私としても中々好感を得るね」


 ……思ったより、好感触な雰囲気だ。

 

 最初に会った時は瑠璃を溺愛して、その婚約者になった俺に対してすごく怖い人だと思ったが……どうやら様子が違うようにも見える。


「どうしたんだい? もしかして、瑠璃の婚約者になりたければ私を倒してからいけ、とでも言うと思ったかい?」

「はい……それくらい瑠璃を大切にしているように思えたので」

「なるほど、君にはそう見えたか……」

「うん?」


 意味深な呟き。だがはっきりいって、それ以外のなににも見えなかった。まさか自覚がなしにあんなことをしたのだろうか?


 そう思っていると、ヨハンさんは苦笑しながら再びコーヒーに口を付ける。


「瑠璃のことは大切だし可愛いと思っているよ。それこそ彼女が子どもの頃からずっと見てきたんだからね。ただ――」


 ――同時に怖いとも思っている。


「……え?」

「だって、彼女は吸血鬼。私たちとは根本的に違う存在なんだから」

「私たちとは違う? ヨハンさんも吸血鬼なんですよね?」

「私が? 君にはそう見えるのかい?」


 見える。そう思ったが、こうして改めて見ると初めて舞さんに会った時のような威圧感はなかった。


「私は人間だよ」

「え? でも人間だったらなんで瑠璃たちのことを?」

「君と同じ、吸血鬼の女性と結婚したからさ」


 その考えは盲点だった……。たしかに、吸血鬼の存在を知っているのは同じ吸血鬼か、身内のどちらかだから。


「つまり、先輩?」

「そういうことだね。瑠璃からおじさんと呼ばれるのも、別に血が繋がっているとかではなくて普通に親戚筋で子どもの頃から遊んであげていた名残かな?」

「おお……」


 なんというか、自分みたいな人が他にいるなんて考えたことがなかったからか、ちょっと驚いた。それと同時に、凄いと思う。


 ただ、それだと最初に感じたあの怖さはなんだったんだろう……?


「まあそう言うわけで、なにか聞きたいことがあればなんでも答えてあげようと思ってね。瑠璃がいる手前だと答え辛いことも多いだろうしね」


 今見た感じだと、凄く人の好さそうな好青年としか思えない。


「それじゃあ……さっき言っていた瑠璃が怖いって言うのは?」

「ああ、あれは別に瑠璃に限った話じゃない。単純に、吸血鬼が怖いっていう話だ」

「うん?」


 この人の言っている意味がいまいち掴み切れない。自分もそうだが、種族差を超えてまで結婚をするくらいなら、相当相手のことを好きか、惹かれたはずだろう。


 なのに、なぜ吸血鬼が怖いと思うのか……?


「ハルトくん、君の考えはよくわかるよ。ただね、人ってのはそう単純には出来てなくてね、愛しくて愛しくて、それでも本能的な恐怖には勝てないものなんだ」

「えーと」

「君は、瑠璃を怖いと思ったことはないかい?」


 そんなことはない。そう答えようとして、しかし声が出ない。

 

 それはきっと、思い当たる節があるからだ。ただそれでも、瑠璃のことは本当に愛しいと思う


「そう、人は本能的に吸血鬼を恐れる。それはなぜか? もちろん、我々は彼女たちにとって『食料』だからだ」

「っ――⁉」

「君は吸血鬼が『記憶を消せる』と聞いたとき、こう思わなかったかい?」


 ――記憶を消せるなら、記憶を操ることも出来るんじゃないか?


「そ、そんなこと――!」

「我々のこの感情が、本当に自分の意思で決めたものなのか? もしかしたら、吸血鬼たちに都合の良い『餌』となるように、操られているだけなんじゃないのか? そうは思わないかい?」

「……それは」


 真剣な表情で、まるでミュージカル俳優のような透き通った声は俺の耳にすっと入ってくる。

 同時に、こんな会話を誰かに聞かれたら不味いんじゃ……そう思って辺りを見渡すと、いつの間にかカフェの中には誰もいなくなっていた。


 おそらく、この人は俺のことを心配して言ってくれてるのだ。同じような生き方をするであろう俺に、その生き方を教授してくれてるんだと思う。


「だから私はね、吸血鬼が怖いんだよ。だがそれと同時に、妻のことが愛おしくて愛おしくて仕方がないんだ」

「俺は……」

「うん?」

「俺は、瑠璃のことを怖いなんて思わないです。仮にこの感情が彼女によって操作されたものだったとしても、それでもあの子が愛おしいから!」

「……ほう」


 俺の言葉を聞いて、ヨハンさんが少しだけ瞳を細めて興味深そうに声を零す。


「たとえ――」


 そう、別に俺は迷う必要なんてない。俺のこの感情に嘘はないし、瑠璃のことはとても大切だ。


 あの子と出会い、一緒にデートをして、手を繋いで、笑い合って、泣いて……


 もしかしたら大人はまだたった一週間だと笑うかもしれない。だけど、この一週間で俺は瑠璃の色々な顔を見た。


 だから――。


「たとえこの感情が誰かによって作られたものでも関係ない。あの子が笑い続けられるなら、傍で見守るだけですから」

「……ふ」


 ヨハンさんを睨むように俺がそう言うと、彼は嬉しそうに笑う。笑い、そして優しく微笑んだ。


「そうか……」


 ヨハンさんは会計用紙を手に取ると、そのまま立ち上がった。


「瑠璃の選んだ子が、君で良かったよ」


 それだけ言うと、レジの方に向かって行く。


 ヨハンさんに付いて行くように立ち上がると、いつの間にか人々はカフェにいて、これまで静かだったのが不思議なくらいの喧騒。


 外に出ると、眩い太陽がアスファルトを照らしていて、暖かい春を感じさせる。


「さて、それじゃあ私はここで。これからも、瑠璃のことをよろしく頼むよ、ハルトくん」


 再び来たトレンチコートに白銀の髪の毛が良く似合う。そんな若々しい青年が背を向けて歩く姿は、ただそれだけなのに格好いい。


 ただ、一つだけ思うことがある。


「……あの人、絶対に吸血鬼じゃん」


 自分を試そうとしたのか、それはわからない。ただ一つ言えることは、瑠璃の婚約者として認めてもらえたということだろう。


「よし!」


 なにがよしなのか分からないが、それでも俺は気合を入れてこれからも瑠璃を大切にしていこうと、心の中で誓うのであった。

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