第17話 春休み最後の日

 桜が咲いてから散るまでがわずかな期間であるように、この春休みという時間もあっという間に過ぎていった。


 俺と瑠璃が出会ってからすでに一週間が過ぎ、明日には新しい学校生活が待っている。


 これから高校生になるというのが未だに実感がわかないが、ただ一つ言えることは、これからの高校生活は楽しいものになるだろう。


 なにせ――俺の隣には、とても可愛い彼女がいるのだから。


「桜、だいぶ散っちゃってるね」

「うん、だけどだからこそ綺麗なのかもしれない」

「……そうだね」


 俺と瑠璃は今、近所の公園を歩いていた。


 今日はいつもより少し暖かいからか、彼女の服も少しいつもより薄い気がする。


 ボタンのところにフリルの付いた白いシャツに、膝下まで伸びたグレーのチェックスカート、それに可愛らしいリュックを背負っていた。


 まだ出会ってそんなに経っていないから当たり前なのだが、会うたびに新しい彼女を見れて嬉しく思う。


「よく考えたらいつもここに来るの夜だったからこうしてお昼に歩くのって実は新鮮かも」

「うん。私もお昼にここ来たことなかったけど……」


 瑠璃がキョロキョロと辺りを見渡すので、俺もつられて見渡すと、公園にはたくさんの子どもたちが遊んでいた。


 時々立って喋っているのは犬の散歩をしている主婦たち。


「夜も昼もあんまり変わらないね」

「あはは……そうかも」


 だけどもし普段と違うとすれば、それは俺たちの方だろう。


 一周が一キロ以上ある大きな公園。時折大きな桜の木が並んでいる道を、俺たちは『手を繋ぎながら』歩いていた。


「いきなり瑠璃から呼ばれて、会いたいって聞いたときは何事かと思ったけど……散歩がしたいなんて」

「だめ、だった?」

「ううん、全然」


 普段はあまり我儘を言わない彼女からの突然の呼び出し。

 最初は気構えた俺だったが、答えは『一緒に桜が見たい』というものだった。


 この白とピンクが合わさった桜を見れるのは、一年に一度だけ。

 それももうすぐ完全に散って、これから緑を広げていくであろう。


 今だからこそ見られるこの景色を一緒に見たいという、彼女の可愛いお願いを、俺は拒否することなど考えられなかった。


 ただ、ゆっくり隣を歩いているときに、つい手を伸ばしてしまったのは予想外。


「嫌じゃなかった?」

「嫌なわけ、ないよ」


 最初はちょんちょん、と軽く触れあうだけだった。それがいつの間にかお互いの手を添え、そして握り合う。


 いつもはなにも握られていないこの掌に、温かくて柔らかい瑠璃の手が収まっている。


 ――小さいし、すっごいスベスベだ……。


 正直、今の自分はかなり緊張している。

 手汗が出ていないか、そんなことを考えながら焦ったりもしていた。


「もうすぐ、高校生活が始まっちゃうね」

「そうだね……不安?」

「ううん。ハルくんがいるから大丈夫。それに……」


 そこで言葉を区切ったのは、きっと以前話していた玲愛ちゃんとやらもそこにいるからだろう。


 控えめな瑠璃が迷いなく一番の親友というだけあって、よっぽど信頼しているらしい。


 それにちょっとだけ嫉妬している自分がいた。玲愛ちゃんが男じゃなくて心の底から良かったと思う。


「だけど、俺も不安だな」

「え? そうなの?」

「うん、だって瑠璃みたいな子がクラスメイトでいたら、絶対に彼女にしたいってみんな思うもん」

「……ぁぅ」


 隣を歩く瑠璃は、顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。


 一つだけ心の中で言い訳をするとしたら、俺は決して瑠璃をからかおうと思って発した言葉じゃないということだ。


「……」

「な、なんでハル君まで顔を紅くしてるの?」

「いや、自分で言っててちょっと、あんまりにも恥ずかしいこと言っちゃったなって」


 もちろん本心だが、今のは正直忘れて欲しい。

 嫉妬をしたということも恥ずかしいが、こんなセリフを吐いたこと自体がちょっと、時を戻したい気分だ。


「わ、私もやっぱり不安!」

「え?」

「だって……ハル君格好いいから、絶対女の子にモテるもん」

「いやいや……」


 そんなモテる男だったらもっと中学時代にモテたという話だ。


 まあ、たしかに告白されなかったわけではないが、どちらかというと俺と一緒にいた猛の方がよほどモテていた。


 ……よく考えたらあいつ、たしかに顔は良いけどあんな変な性格なのになんであんなにモテたんだろう?


 小学生のときから高校までずっと一緒の腐れ縁の友人を思い出しながら、不思議に思う。


「瑠璃の方がモテるって」

「も、モテないよ。だって性格だって明るくないし……地味だし」

「瑠璃の性格は明るくないんじゃなくておしとやかで、相手をよく見てるし、そもそも全然地味じゃないし」


 そもそもこの子が地味だったら、世の中の女子はみんな地味になってしまう。

 初めて彼女を見たとき、本当の物語から出てきたお姫様と思ったくらいだ。


 満月と散る桜、それにこの子が並んだあの幻想的な雰囲気をきっと、俺は一生忘れないと思う。


 お互い相手を誉めながら歩き、目的の場所を目指していく。


「桜、どんどん散っていくね」

「うん、桜吹雪って言うのも中々いいもんだね。これまであんまり意識してこなかったけど、これが終わると人生が一つ前に進んだって感じがする」

「私も、今まで思わなかったけど、今はそんな気がする」


 そうして辿り着いたのは、この公園で一番桜がたくさん見える場所。つまり、瑠璃と初めて出会った山頂まで来ていた。


「さ、それじゃあ少し座ってゆっくりしよっか」

「うん……あ、あのね」

「ん?」


 俺が山頂にあるベンチに座って散りゆく桜を見ていると、瑠璃が緊張した様子でカバンから一つの包みを取り出した。


 これは、紛れもなく――。


「こ、これ! ハル君と一緒に食べたいと思って作ったの」


 そうして開かれた包みから出てきたのは、ハンバーグ、トマト、卵焼き、それに白いご飯など、色取り取りのお弁当だ。


 中身は俺の好物がずらりとならび、思わず彼女を見てしまう。


「凄い美味しそう……これ、瑠璃が作ってくれたの?」

「う、うん……お義母さんにハル君の好きなもの教えてもらって、頑張ったの」

「そっか……」


 前に俺の家にやって来て二人で話している時、ずいぶんと遅いなと思ったものだが、色々と俺のことを知ろうとしてくれたのだ。

 このお弁当を作ってくれたこともだが、それ以上にその心に嬉しく思う。


「ありがとうね瑠璃」

「……でも美味しく出来てるかは、その――」


 彼女がそう言い切る前に、俺は目の前のハンバーグを食べる。


 肉汁がしっかり沁み込んでいて、ソースと混ざり合ってとても美味しい。


 次に卵焼き。口に含むと少し塩気があり、俺が一番好きな味だ。


「美味しいよ。すっごく美味しい」

「本当⁉」

「うん」


 俺はつい夢中になって他の物にも手を付けていく。

 どれもこれも俺好みの味で、正直手が止まらないくらいだ。


 ふと瑠璃を見ると、こちらを嬉しそうに見て笑っている。


「……俺ばっかり食べてたら駄目じゃん」

「ふふふ。いいの、まだお代わりもあるからたくさん食べて」

「駄目だって、ほら一緒に食べよ」

「あ……」


 俺は箸でハンバーグを掴むと、それを彼女の口元に近づけていく。すると彼女は驚いたような表情をした後、少し困った様子を見せた。


「どうしたの?」

「あ、あのね……その……これって……」

「……? あ」


 そこで、俺は自分の行為に気付き、瑠璃がなにに躊躇っているかがわかった。


 あーん、だ。誰がどう見ても、これは恋人同士がやる、あーんだった。 


 これは瑠璃が恥ずかしがっても仕方がない。

 とはいえ、俺も男だ。ここまでやって引けるわけもなく、黙ってそのまま手を出していると、瑠璃はゆっくりと小さな口を開けてパクっとハンバーグを食べた。


「……美味しい」

「うん、凄く美味しいよ」


 ホッとした様子を見せる彼女に俺も嬉しくなる。


「……今度は、私の番」

「え?」

「はい、あーん」


 瑠璃が卵焼きを掴むと、それを俺の口元へと近づけてくる。


 恥ずかしいという気持ちは確かにあるが、それ以上に彼女から差し出されたものを食べないという選択肢はない。


「あ、あーん……」


 そして口に入れたそれは、先ほど食べた卵焼きよりもずっと甘い味がした。





 それからしばらくして、瑠璃のお弁当を食べ終えた俺たちはただ散っていく桜をじっと見つめていた。


 お互いなにも言わない。ただそこにいることを示す様に、そっと手だけを重ね合わせているだけの時間。


 その時間がとても心地よく、ずっと続けばいいなと思う。


 だが、永遠というものはなく、目の前の桜吹雪が止んだころ、瑠璃が口を開いた。


「……もうすぐ高校生活が始まるね」

「うん」

「私は、今までずっと新しい年を迎えるのが不安だったんだ」

「うん」

「だけど今は、怖くないよ」


 きっと、秘密を抱えて生きていかなければならない彼女にとって、人間関係がリセットされる新学期というのは、俺たちの想像以上に怖いものだったのだろう。


 だが今は、笑顔を見せている。

 その理由が自分にあるとわかり、心が嬉しく思った。


「ハル君……これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ、瑠璃が嫌だって言うまでずっと、一緒にいるから」

「そしたら、ずっと一緒にいられるね」


 二人揃って笑いながら、再び散りゆく桜を見つめる。


 その先にある、新しい未来を想いながら――。

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