第16話 甘い一時

 白泉女学院といえばこの辺りでは一番の名門校だ。

 普通に俺ら一般市民から見たら信じられないくらいには、お嬢様学校でもある。


 一応高校まで付属校となっているので、エスカレーター式に高等部には上がれるはず。


 だがしかし、瑠璃の友人である玲愛ちゃんは中学を卒業すると公立の高校に行くらしい。


「なにか理由があるの?」

「お家の都合だって……玲愛ちゃんの家、世界的にも大きなメーカーなんだけど色々あったらしくて……」

「……なるほどなぁ」


 倒産した、というわけではないらしいが社内で色々あった結果、一家揃って追い出されてしまったそうだ。


 もちろんだからといってこれまでの収入などもあるから子ども一人を私立校に入れさせることくらい訳ないそうだが、そんな見栄よりも実を取る子らしく、迷いなく公立へと行くことを決めたという。


「初等部のときからずっと一緒で、本当に一番の親友なの。引っ込み思案だった私をいつも日の当たるところに連れて行ってくれてね……」

「へぇ……」


 俺はその玲愛ちゃんとやらを見たことがないからわからないが、瑠璃がここまで言うのであれば興味もわくというものだ。


「だから、玲愛ちゃんがいなくなって高等部、ちょっと不安で……私、他にあんまり仲の良い子もいないから」

「そっか……」


 瑠璃なら大丈夫だよ、と言ってあげたいが、こういう不安はきっと本人にしかわからないことなのだ。


 だから俺はそれ以上はなにも言わずに、ただ少しでも不安を和らげられるようにそっと手を握る。


「ぁっ……」


 柔らかい、白くて小さな手。一瞬だけ驚いたように力が入るが、すぐに力を抜いてくれてそっと受け入れてくれた。


 しばらくお互いなにも言わずにただ隣に座る。たまに俺が手の力を少し加えると、彼女は悪戯気に返してくれる。


 それがなんとなく楽しくて、そして少しこそばい感じ。

  

 普段から使っている自分の部屋なのに、いつもと違う空気が流れてるような気がした。


 不意に瑠璃を見ると、どうやらタイミングがあったらしくて目が合う。


 以前彼女とデートをしているときも思ったが、こういうときなんとなく波長が合ったのだと思ってしまうのは、俺だけなのだろうか?


「ハル君……ありがとうね」

「ん? なにが?」

「今も、それに結婚してくれるって言ったときも……」

「……うん」


 彼女は自分の感情を凄くダイレクトに伝えてくる。

 そんな真っすぐな瞳で言われたら、照れるよりも愛しさが先にきてしまうのだ。


「私ね、本当は高校に行くの凄く不安だったんだ。玲愛ちゃんもいないし、自分は化物だし、いつか誰かにバレちゃんじゃないかって」

「そうなんだ」

「うん、だって高校生だよ? 大人だよ?」

「……たしかに、高校生って大人だよね」

「うん、大人」


 自分がこれから高校生になるなんて、少し前の自分では想像もできなかったことだ。


 だがしかし、それもきっと自分が高校生になったら当たり前になるもの。


 よく中学の友人たちが、先輩たちは大人で、自分がそうなるとは想像もできないって口を揃えて言っていた。


 だが実際に彼らは最高学年になって、後輩たちに指導をする立場になっていた。


 そして今度は口を揃えてこういうのだ。


 ――思ってたのと違う、と。


 その気持ちはよくわかる。俺も気付いたら三年生になり、受験を経験して、そしてこれから高校生になる。


 高校生は大人だ。そして中学生は子どもだと俺は思う。


 だが小学生のとき、俺は中学生が凄く大人に見えた。だからこれはきっと、いつまでも抱き続ける想いなのだと思う。


 高校生は大学生が大人に見えて、大学生は社会人が大人に見えて、大人はもっと年上の大人を見て、同じ思いをする。


「だからきっと、大丈夫だよ」

「うん、そうだね」


 少しだけ瑠璃が明るい表情を見せてくれる。大した話はしていないが、どうやら彼女の不安の種は一つ刈り取ることが出来たらしい。


「あ、そういえば玲愛ちゃん、ハル君と同じ高校だよ」

「そうなんだ。それじゃあ瑠璃の子どものころの話とか、たくさん聞かないとなぁ」

「え、えぇぇ! なんでそうなるの⁉」

「だって瑠璃、さっき母さんから俺の子どものころの話たくさん聞いたでしょ? なのに俺だけ聞けないとか不公平じゃん」


 しかもである。俺の場合はアルバムという写真付きだ。

 なにが悲しくて好きな子に赤ちゃん時代のすっぽんぽん写真を見られなければならないのか。


「だ、駄目だよ!」

「なんで?」

「は、恥ずかしいもん!」

「俺もさっき恥ずかしかった。しかも、一回止めたのに止まってくれなかった」

「あ、う……うぅー」


 先ほどの自分の行動を思い出しているのだろう。


 瑠璃は止めたくても自分がやったことと同じことをされていることを理解して、色々と葛藤がありそうだ。


「えーと、玲愛ちゃんだったね」

「あっ! ち、違うよ!」

「違うくないよ。俺、記憶力には結構自信があるし」

「うぅー」


 まったく、友達の名前を改ざんしようとは中々悪い子である。


「同じクラスになったら、絶対に話しかけて瑠璃のこと色々聞くんだ」

「ず、ずるい……でも、楽しそうだなぁ……」

 

 瑠璃が困ったように、そして少しだけ羨ましそうな表情をする。


 学校で瑠璃のことを知っている人から色んな話を聞くなど、たしかに自分で言っていて楽しそうだ。


「いいな、ハル君と玲愛ちゃんと一緒に学校生活したかった……」

「あ……」


 瑠璃は心底羨ましそうにそう呟く。それが無理なことは、彼女も良く分かっているのだろう。


「我儘、だよね……ごめんね困らせちゃって」

「瑠璃……」

「大丈夫。学校が違ってもハル君とは会えるし、玲愛ちゃんも大切な友達なのは変わらないから!」

「……うん、そうだよね」


 カラ元気な言葉なのはすぐに分かった。だがしかし、俺みたいなただの子どもに出来ることはなにもない。


 だからせめて――。


「毎日会いに行くよ」

「……え?」

「学校が終わったら、毎日会いに行く」

「で、でもハル君だって学校でしたいこととかたくさんあるよね? 高校生だよ? 楽しい部活があるかもしれないし、バイトだって出来るし、友達だって――」

「今なにも知らない友達やその他より、俺は瑠璃の方がずっと大切だもん。だから、学校が違っても少しでも一緒にいられるように俺、頑張るからさ」


 だからそんな寂しそうな顔をしないで欲しい。

 俺は、君の笑った顔が好きだから。


 それが伝わったのか、瑠璃は少し恥ずかしそうな、それで嬉しそうな顔をして笑う。


「瑠璃……」

「あ、ハル君……」


 俺たちの間に甘酸っぱい空気が流れ、いい雰囲気になった瞬間――。


 ピロン。


 まるで邪魔をするようにスマホの音が部屋の中に響き渡る。

 俺のじゃないから、おそらく瑠璃のだろう。


「……えーと」

「ご、ごめんね」

 

 瑠璃は謝るが、さすがに今のは俺が悪い。俺たちはまだ恋人同士になってまだ間もないのに、いきなりキスしようとしてしまったのだ。


 いくら瑠璃が受け入れてくれたからと言って、色々と早すぎると思う。


 とりあえず、今は誰からかわからないが瑠璃にメッセージを送ってくれた人に感謝しよう。


「あ、お姉ちゃんからだ……え、えぇぇぇぇ⁉」

「ちょ、瑠璃? どうしたの⁉」


 瑠璃が珍しく大声を上げてスマホを落とす。普段は控えめな彼女がここまで取り乱すなんて……。


 そう思っていると、瑠璃のスマホに目が入る。そしてそこには舞さんからのメッセージが入っていて。


『瑠璃も陽翔くんや玲愛ちゃんと一緒の学校の方がいいって思うだろうから、勝手に色々手続きして学校変えちゃったー。なお、手段は聞かないように』


 テヘっと舌を出して笑っている舞さん吸血鬼スタンプ。


 それがどうにも叩きたくなるようなちょっとイラっとする顔で、本当にこの人は……。

 

 学校を勝手に変えるというありえない出来事よりも先に思わせるのだから、もしかしたらこの人は天才なのかもしれないと、そう思う。


 そして俺と瑠璃はお互い見つめ合い、笑い合った。


 ――これからもよろしくお願いします。

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