第12話 月夜の告白

 4月といえ、夜はまだまだ気温も低い。


 特に夕暮れ時から夜にかけるこの時間は、ひんやりとした風が吹いていて、正直寒いくらいだ。


「大丈夫?」

「うん、寒いのは結構得意だから」


 春用のワンピースの上からカーディガンを羽織っているとはいえ、見た感じ瑠璃の格好はまあまあ寒そうだ。


 彼女はそんな雰囲気を一切出さないが、指先は少し震えていて、強がりだということはすぐにわかった。


 俺はジャケットを脱ぐと、そのまま彼女に向ける。


「これ使って」

「駄目だよ。そしたら今度はハル君が寒くなっちゃう」

「大丈夫、俺けっこう寒いの好きだから」


 断る彼女に対して、俺は無理やり貸し付けるように上着を渡す。


 男物とはいえ、すでにカーディガンを着ている状態の上から着るにはちょっと薄い。だが肩から羽織る分には問題ないだろう。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 男物のジャケットを羽織っているだけなのに、それだけで最先端のファッションとでも言わんばかりに着こなす彼女に、つい見惚れてしまう。


 ……いつまでもこんなところで立ち止まってるわけにはいかないな。


 駅から瑠璃の家までの間に俺の家がある。そして俺の家と瑠璃の家の間に、俺たちが初めて出会った公園があった。


 まだ夕暮れ時ということもあり、子どもたちも遊んでいる。

 とはいえ、それもあと数十分もしたら日も暮れて、帰ることだろう。


 瑠璃は最初、この公園に俺が入ろうとしたとき躊躇った。

 それはきっと彼女の中で、あのときの出来事はあまりいい思い出ではないからだ。


「ハル君……」


 不安そうな表情をする瑠璃だが、俺としてはここは避けて通れない場所だった。

 だからこそ、公園の中に進んでいく。


 大丈夫、そう言ってあげたいが、それを今言ったところで意味がない。それに、俺も大丈夫だと言い切れるだけの確信がない。


「俺たちが初めて出会った、あの場所まで行こう」

「……うん」


 俺たち学生は春休みだが、世間一般的に今日は平日だ。社会人はおらず、この時間でも人は少ない。


 それでも遊具で遊ぶ小学生、サッカーやバトミントンなどで遊んでいる中学生が、わいわい楽しそうに遊んでいた。


 さすがに俺たちより年上が公園で遊んでいる様子は見受けられないが、もう少し遅い時間帯になれば、サラリーマンや犬の散歩のために出てくる人などが増えてくるはずだ。


 そんな人たちに背を向けるように、俺たちはゆっくりと山の方へと歩いて行く。

 山と言っても所詮は公園の中なので、数分歩けば山頂だ。


 山頂には木のベンチと、蔦の絡まった木の囲い。

 パーガラと呼ばれるのは調べたから知っているが、なんのためにあるのかと聞かれると答えられないもの。


 そこのベンチに俺が腰を据えると、瑠璃も隣に座ってきた。


 三百六十度、街を見渡せるこの場所は、太陽が昇る場所も見えれば、太陽が沈んでいく場所も見られる。


「もうすぐ日が暮れる」

「うん……ここから見る夕日って綺麗なんだね。この時間に来ることなかったから、知らなかった」


 俺たちはただそれだけ言うと、無言で落ちていく夕日を眺めていた。


 山の下では子どもたちの騒がしい声が聞こえてくるが、それも風と木々の揺れる音と合わさり、どこか寂しいものに聞こえてくる。


 そうして夕日が完全に落ち、子どもたちの声もなくなり、俺は頃合いかと思って瑠璃を見る。


 公園の街灯に照らされた彼女の横顔は、これまで見てきた誰よりも美しく、桜に囲まれたこの場所ではあまりにも幻想的で、人ではないないかに思えた。


 そしてそれは正しい。

 彼女は……吸血鬼なのだから。


「あのさ、俺がここに来た理由なんだけど……」

「うん……」


 彼女はどこか覚悟を決めた様子だ。きっとこれから俺が言おうとしていることを、予想出来ているのだろう。


 だから、俺も覚悟を決める。


「もしかしたら、もうわかってるのかもしれない」

「うん……」

「嫌だったら嫌って、言ってもらっても構わない……」

「……え?」


 俺の言葉に瑠璃が少し疑問の声を上げるが、止まらずそのまま真っすぐ彼女の紫紺の瞳を見つめて――。


「初めて会った時と同じように、俺の血を吸ってみて欲しいんだ」

「っ――⁉」


 そう言った瞬間、瑠璃は驚いたように目を見開いた。

 

「あれ?」


 俺の想像と違う反応に思わず首を傾げてしまう。


 血を吸うこと自体を彼女がどう思っているのか、それはわからない。


 だがしかし、この二日間で彼女と話をしてきてわかったのは、あの初めて出会った夜、いきなり血を吸ってこの関係になったことを後悔しているということだ。


 もちろん、俺との婚約を後悔しているという話ではない。

 自分が暴走してしまった結果、俺という一個人を巻き込んでしまったことに対する後悔。


 そして、俺は彼女がそんな『贖罪』の気持ちで俺と居続けることが、我慢ならなかった。


 それに、あの時は急な展開すぎてなにも考えられなかったが、俺が瑠璃と今後も付き合っていくにはこの行為はきっと避けられない。


 だったら問題を後回しにするよりも、今すぐ解決しておきたいと、そう思ったのだ。


「瑠璃?」

 

 だというのに、彼女は驚いて固まってしまったままだ。

 この公園に来たときから予想していたのではないのだろうか?


 そう思っていると、彼女は突然ポロポロと泣き出した。丸い真珠のような涙がポツン、ポツンと地面に落ちていく。


「え、えぇぇ⁉ ちょ、なんで⁉」

「ぁ……いやあの、その……これは違うくて……」

「いやいや、なんで泣いてるじゃん⁉ 俺、なにか変なこと言っちゃった⁉」

「ちが! 違うの! これは……これは……ぁっぅ……」


 涙は止まらず、ただひたすらポツポツと流れていく。

 俺がそれをどうすればいいのか分からずテンパっていると、彼女がいきなり抱き着いてきた。


「――っ!?」


 反射的に、瑠璃の柔らかい身体を受け止める。

 最初に感じたのは、暖かいということだった。


 そして嗚咽を零しながら、瑠璃はただ泣くだけでなにも言わない。

 どうして泣いているのか分からない俺は、ただ黙って抱きしめ続けた。


 しばらくして、彼女がだいぶ落ち着きを見せ始める。ただ、離れる気はないらしく、ずっと抱き着いたままだ。


「あのね……」

「うん」


 小さく零した言葉を、俺は聞く。


「私、もう嫌われちゃったんだと思ったの」

「えっ? 俺が瑠璃を?」

「うん」


 どうしてそんなことを思ったのだろうか?


 今日のデートはとても楽しかった。


 彼女とこれからこんな日々を過ごすと思うと、なんだか言葉には出来ないフワフワとした気持ちになったくらいだ。


「やっぱり一緒にいて違うって思われたと思って……この公園に来たのは、やっぱり違うからお別れをするためなんだって……」

「えっと……」


 まさか、そんな風に思われていたなんて思わなかった。

 俺はただ、きちんとけじめを付けなければと思っただけなのに……。


「ねえハル君……」

「うん。なに?」

「本当に、ハル君の血を吸ってもいいの? 私、吸血鬼だよ? もしかしたら、そのまま吸い尽くしちゃって死んじゃうかもしれないよ?」


 なんだそれは? そんなことをする子が、ちょっと公園に入っただけで別れ話になりそうだからと泣くなんてしないだろう。


「あのさ……俺たちはまだ知り合ったばっかりだけど、瑠璃がそんなことをしないことくらいわかってるよ」

「……」

「俺はこれからも瑠璃と生きていくって決めた以上、瑠璃がしたいことをさせてあげたいって思うんだ」


 今日のデートの間、実はずっと気になっていたことがある。

 彼女の視線がときおり俺の『首元』に向いていることを。


「瑠璃も言ってたよね? 女の子は意外と視線に敏感なんだよって。それはね、男も同じなんだよね」

「え……?」

「時々感じてたよ。瑠璃の視線」


 そういって俺は自分の首元に軽く手を当てる。


「ご、ごめんなさい! だけどそれは、えと……」

 

 恥ずかしそうに謝る彼女だが、別に構わないと思っていた。

 俺だってバスケをしていたとき、彼女の胸元に視線が吸い込まれたのだ。


 これはきっと同じようなものだと思う。


「今度は立場が逆になっちゃったか。ただ、さっき瑠璃は言ってくれたよね? ハル君ならいいけどって」

「あ……」

「俺もね、同じ気持ちなんだ。まだ出会ってほとんど経ってないんだけど、それでもこう思う」


 ――瑠璃にだったらいい。


 そう告げると、彼女はまるで熱に浮かされたような、ぼうっとした瞳でこちらを見上げてきた。


「本当に、いいの? 私、普通じゃないんだよ? 化物なんだよ?」

「もう決めたことだよ。それに俺、父さんと約束したんだ。家族は全力で守るって。だから、たとえ口約束であって関係ない。瑠璃はもう家族で、俺の守るべき人だから」

「っ――⁉」


 彼女の抱き着く力が一気に増す。多分俺よりもずっと力もあるはずだが、不思議と痛くなかった。


 それどころか、とても柔らかく、暖かく、ずっと抱きしめたいとそう思った。


「だから瑠璃、我慢しなくていいから。血を吸ってみて?」

「……うん。ハル君、私ね……ずっと、ずっとハル君の血を吸いたいと思ってたの。だから……」


 ――ちょっとだけ、吸ってもいいかな?


 そんな可愛い甘えたような言い方に、俺は黙って頷いた。


 彼女の小さな、それでいて鋭い牙が俺の首元に刺さる。


 端から見たら、月と桜の下で恋人同士が抱き合っているような、そんな光景。

 だがそれはもっと背徳的で、そして生き物らしい行為。

 まるで自分の命を彼女に分け与えているような、不思議な感覚。


 そのあまりの気持ちよさに俺は瑠璃を力強く抱きしめながら、いつまでもこうしていたいと思う。


 ――月に叢雲、花に風。

 良いこと、楽しいことには邪魔が入り長続きをしないという諺がある。


 今この瞬間、下の公園には人も多くいるはずだ。

 だがそれでも、まるでここだけ時が止まってしまったかのように俺たちの邪魔をするものはなく、二人だけの世界となっていた。


 瑠璃がゆっくりと俺の首から口を離して、唇を紅いルージュのような血で濡らしながら、愛おしさを隠さず俺を見る。


「ハル君……好き……大好き」

「うん……俺も」


 そして俺もそんな彼女がとても綺麗だと思い、他の誰よりも愛おしく想うのであった。

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