第6話 帰宅

 それからしばらく俺と瑠璃は二人で色々話していると、太陽が紅く染まり始めた。


 時計を見ると、すでに時刻は十七時を回っており、これ以上遅くなると夕飯の支度が間に合わない。


「それじゃあそろそろ帰ろうかな」

「あ、もうそんな時間だったんだ……」

「なんか、あっという間だったね」


 これまでどんな生活を送ってきたのか、学校ではどうなのか。

 そんな他愛のない話をしていただけなのだが、いつの間にか数時間も経っていたのことには驚いた。

 

「車で送るよ?」

「うーん……いや、帰りにスーパーによって少し夕飯の買い出しとかしないとけないから歩いて帰るよ……そういえば、ここってどの辺り?」


 よくよく考えれば、俺は家からここまでの道のりを知らない。気絶させられて、気付いた時にはここにいたのだ。

 

 瑠璃もそのことを思い出したのか、あ、と口を開いて戸惑った様子を見せる。


「えっと……実はハル君の家からそんなに遠くないんだ。歩いても三十分くらい」

「ってことは二キロくらい離れたところか。そういえばこの窓からの景色……もしかして滝野坂の屋敷?」

「うん、多分ハル君が思ってるところ」

「そっか……ここって人住んでたんだ」


 滝野坂の屋敷というのは、この辺りに住む人間なら誰もが知っている場所だった。


 坂の長さは五百メートル以上あり、その先にはいくつか古い洋館が並んでいる。

 ほとんどが今は使われていないらしく、一種の観光地に近い形だ。


 小学校のときに、社会の授業で地域の文化を発表するという課題が出たが、その際に調べたことがある。

 たしか、過去には異人の受け入れにも使われていたらしく、相当古い屋敷のはずだ。


「実はここ、異人じゃなくて当時の吸血鬼たちが纏まって住んでた場所の一つなんだ。もう住んでるのは私たちだけだけど」

「へぇ……吸血鬼って、結構多かったんだ」

「うん。日本はヨーロッパとかと違って吸血鬼狩りとかがほとんどなかったから、ご先祖様たちが結構集まって来たらしいよ」

「あ、もしかして瑠璃の先祖って外国の人?」

「曾お爺ちゃんがドイツ生まれ。ただ生まれた時は戸籍もなかったから、正確にはどの国のってこともないらしいんだけど」


 と、そこまで話を聞いて、これ以上遅くなったら本当に夕飯が遅れてしまう。

 今日は母さんも休みだから家でダラダラしているはずだ。あの母が料理をするとは到底思えない。


 一応スマホで友人の家に行っているという連絡は取っているので変な詮索はされないだろうが、あまり遅くなると小言を言われてしまうだろう。


 瑠璃に玄関まで案内された俺は、改めてこの屋敷の大きさに圧倒されながらも彼女に別れの挨拶をしようと振り向く。

 すると、彼女は寂しそうな表情でこちらを見ていた。


 それはまるで別れを惜しむような顔で、そう思ってもらえることが嬉しい。


「それじゃあ……今日は色々とあったけど」

「うん……」

「瑠璃と会えて良かったって思うから、これからよろしくね」

「私もハル君に会えて、本当に良かった。あのね、さっきも言ったんだけど、もう一度言わせて」


 ――私を受け入れてくれて、本当にありがとう。

 

 そう涙を浮かべながら微笑む彼女を見て、今日の自分の選択が決して間違っていないのだと、強く思った。



 

 そうして家に帰るために長い滝野坂を下っていると、正面からふらふらと力なく歩く少女が目に入った。


 真っすぐこの坂を上ってくるということは、瑠璃たちの知り合いだろうか?


 すれ違い様にそう思っていると、少女がいきなり地面に倒れ込みそうになる。


「あ――⁉」

「おっと!」


 慌てて少女の身体を支えてあげると、とても軽い。ちゃんとご飯を食べているのか心配になる軽さだ。

 とりあえず地面に取れる前に止められて良かった。


「えっと、大丈夫ですか?」

「――は、はいっ」


 自力で立ち上がると、少女が自分と同じくらいの年齢だということが分かる。


 どうやら純粋な日本人ではないらしく、夕日に照らされた美しい金色の髪はキラキラ輝いていた。

 紅いリボンで二つに括ったツインテールに、白いシャツに赤いブレザーは良く似合っている。


 周囲の景観と合わせて異国にいるような気分になってしまった。


「ありがとうございます」


 少し勝気そうな瞳の少女は、それだけ言うと再び歩き出した。

 その後ろ姿は頼りなく、再び倒れてしまうのではないかと不安になるが、姿が見えなくなるまでは大丈夫そうだった。


「……大丈夫かなぁ?」


 とはいえ、見ず知らずの人間が助けなければならないような状況でもないと思い直し、俺は再び長い滝野坂を下って行った。




 俺が家に帰ると、白シャツに短パンの母がソファでぐったりしていた。

 長い黒髪をボサボサにして黒縁眼鏡は昔なんかで見た締め切り間近の漫画家のようにだらしがない。

 これで仕事場ではバリバリ働いて現場で頼りにされているというのだから、不思議な話だ。


「ただいま」

「遅いわよー」

「そんなに遅くないよ」


 そう言いつつ、時計を見ると七時を回っている。たしかに中学生が外出から戻ってくるには遅い時間かもしれない。


「とりあえず、今からちゃちゃっと作っちゃうから母さん先にお風呂入ってきたら?」

「……お風呂洗ってない」

「なんで洗っててくれないかなぁ……」

「だってぇ……」


 今日は休みなんだからそれくらいはしてくれてもいいのに、と思うも普段は自分の仕事だからあまり責めるのもかわいそうだ。


 とりあえず今日の晩御飯は親子丼と、簡単な赤出汁。それにサラダというすぐに作れるものにしておこう。

 正直、今日は色々あり過ぎて、もう疲れてしまったのだ。


「はい、出来たよ」

「わぁい、さすが陽翔! 私の教育のおかげでいつでも良いお嫁さんになれるわぁ」

「はいはい。冷める前に食べてよね」


 そうして親子二人、テーブルで向かい合いながら、適当に雑談をする。


「そういえば今日はずいぶんと遅かったわね」

「ああ、うん。実は結婚相手が見つかってさ」

「へぇ……陽翔あんた、まだ中学出たばっかの十五歳なのにずいぶんと早いわね」


 あれ? なにも言ってこない?


 自分としてはあまり大げさにして欲しくないため、出来る限りさり気なく言ってみたのだが、ここまで反応がないとは予想外だ。


 とはいえ、もう決めたことだしここで騒がれてもややこしいので、このままいければそれでいいだろう。


「まあなんというか、一目惚れみたいなものでさ」

「ふーん。ところで、相手からもちゃんと返事貰ってるんでしょね。まさかアンタ独りよがりの妄想みたいなのじゃ……」

「ちゃんとオッケー貰ってるよ。だからいつになるかわからないけど、その子と結婚するね」

「まあ、私が生活能力皆無だから、アンタは逆に色々しっかりしてるし大丈夫だと思うけど、とりあえず人生長いんだから振られないよう頑張りなさい」


 あ、ちゃんと自分の家での生活能力皆無なの自覚してたんだ。


 そう思っているうちに母さんは食べ終わった食器をそのままに、お風呂に向かって行く。


 まだお風呂場掃除していないんだけど、まさか洗いに行ってくれたんだろうか? それなら先に食器を洗って欲しいんだけど……。


 そう思っていると――。


『結婚ってなによーーーーー⁉ アンタまだ十五歳でしょうがーーーーー‼ あとお風呂洗ってないの忘れてたーーーーー‼』


 お風呂場から、母の叫び声が聞こえてきた。

 どうやら時間差だったらしく、先ほどはあまりに突然の事態に頭が回っていなかったようだ。

 これは、この後の追求がややこしくなりそうだ。


「逃げようかな」


 とはいえ、帰る家はここだけ。それにたった二人だけの家族だから、出来る限り隠し事はしたくない。


 素直に話せる範囲できっちり話し合おうと、そう心に決めるのであった。


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