第5話 家族になるということ

 それじゃあ、あとは若いお二人でー、と舞さんはいなくなり、広い洋風の中には俺と瑠璃さんだけが残された。


 赤い絨毯に一目でわかる高級なソファ。

 母子家庭のためあまり裕福ではない俺にとって、ここにある物を一つでも壊してしまえばどうなるか、などと考えて緊張してしまう。


 ……自分に嘘を吐いた。


 緊張しているのは、決してそんな理由ではない。

 ただ、改めて結婚をすると啖呵を切った相手と二人きりになり、どうすればいいのかわからなくなっているだけだ。


「……えっと、瑠璃さん」

「はい……」


 彼女もしっかり緊張しているのがわかる。

 お互い身体を縮こまらせて、なんの話をすればいいのかと思いながらもなんとか言葉をひねり出す。


「な、なんかいきなり結婚するとか言っちゃって俺……」

「それは私のせいだから……その、草薙くんは本当に私なんかで、あの……」

「「……」」


 二人の中で沈黙が続く。

 俺は口下手というつもりはなかったが、さすがにこの状況で気軽に話せるほど肝は太くなかったらしい。


 とはいえ、いつまでもこのままでいていいはずがない。


「よし!」

「っ――?」


 バチン、と両手で頬を叩くと瑠璃さんが驚いたように目を丸くする。


「とりあえずお互い、自己紹介をしよう! あとは少しずつ、お互いのこと知っていこ」

「……うん。そうだね」

「それじゃあ俺から。知ってると思うけど、名前は草薙陽翔。この春に滝沢中学を卒業して、これから滝沢北高校の一年生になります。趣味は料理と読書で特技は……」


 これを特技と言っていいのかわからないが、中学時代は好評だったのでいちおう言っておくか。


「折り紙」

「折り紙?」

「うん。小さいころ父さんが病院によく通ってたから、ずっと折り紙作ってて、いつの間にか得意になってたんだ」

「そうなんだ。今度、見せてもらってもいい?」

「もちろん」


 俺が頷くと瑠璃さんは少しだけ嬉しそうに笑う。

 先ほどまで泣き姿と怯えた姿しか見てこなかったから意識がだいぶずれていたが、改めてこうして向き合うと、笑う瑠璃さんは凄く可愛い。


 日本人離れした美貌、というのが正しい表現なのかは分からないが、瑠璃さんの瞳はなんというか少し普通の人とは違う気がする。


 もちろんこれは吸血鬼、ということを知っているからこその違和感なのかもしれないし、そもそも勘違いかもしれない。


 だけど、普通の黒よりももっと夜空をイメージさせる紫紺の瞳は、吸い込まれそうなほど魅力的に見えた。


「次は私だね。えっと……夜明瑠璃です。知っての通り吸血鬼で……あんまり力は強くないから、記憶操作とかも下手です」


 少し恥ずかし気に始める自己紹介は、彼女の性格をよく表している。


 しかしもし彼女が記憶操作が得意だったら、俺は今頃一年分の記憶がぶっ飛んでたんだから、ある意味幸いだったのか。


「好きなことは、草薙くんと一緒で読書。あとは景色とかを写真に撮るのとか、かな」

「瑠璃さん、趣味を読書って格好つけて言ったけど、実はラノベなんだ」

「え? ラノベなら私も読むよ? 面白い作品多いよね」

「おお……」


 勝手に純文学とかその辺りを読んでいるイメージがあったから意外だ。

 とはいえ、彼女の場合は本全般を読むのが好きなのかもしれない。


「実は私も白泉はくせん女学院中等部をこの間卒業したばっかりなの」

「え、同じ年だったんだ。しかも白泉女学院って超お嬢様学校……」

「ふふふ。外から見たらそうかもだけど、中はそんなことないよ」


 そうなんだろうか? 瑠璃さんみたいな人ばかりいるなら、やっぱり超お嬢様学校な気がするけど……。


「ごきげんよう、とか普通に言いそう」

「それは言うけど……」

「言うんだ」


 やっぱりお嬢様学校だ。


「草薙くんは女子校に夢を持ちすぎだよ。男子がいないと、結構みんな雑な感じなんだから。スカートの中が見えても気にしなかったり……」

「この世の全男子中学生の夢が今壊された」

「そ、壮大だね……」

「それくらい女子校には夢が詰まってるんだ! ああ、こうして世の中の真実を一つ一つ知って、俺たちは夢のない大人になっていくのか……」

「女子校一つで人生の話にまでなっちゃった!」


 軽い冗談を言ってみると、瑠璃さんは目を丸くしてこっちに突っ込んでくれる。少し慌てた様子なのが可愛い。


 つい笑いを堪えられずにいると、どうやら自分がからかわれていたことに気付いたらしい。


「むぅ……」

「ごめんごめん。ちょっと瑠璃さんがいいリアクションしてくれるからさ」

「だって草薙くんが凄いこと言うんだもん」


 だもん、なんて学校のクラスメイトが言ったら普通ちょっとイラっときそうなものだが、瑠璃さんが言うと可愛く聞こえるからズルいなあと思う。


 それでいて彼女には同年代にはない色気みたいなものが感じられるのだから、本当にズルい。


「瑠璃さんは――」

「瑠璃でいいよ? これから、その、家族になるんだし……」

「あ、そうだね。えと、それじゃあ瑠璃、俺も下の名前で呼んでもらえれば」

「そ、そうだよね! 陽翔、くん……うぅー……」


 俺の名前を呼んだ彼女は恥ずかしそうに俯いてしまう。どうやら異性を名前で呼ぶのは彼女にとって中々ハードルが高いらしい。


 しばらくブツブツと陽翔君、陽翔君、と練習するように呟いているが、こちらに聞こえてきてちょっと気恥ずかしい。


 誰にいない居間で男女二人、顔を赤らめながら黙っていると、ゆっくりと瑠璃が顔を上げる。


「はる、と君……やっぱりハル君でもいい、かな?」

「う、うん……いいよそれで」

「それじゃあ、ハル君!」

「はい⁉」


 いきなり大声で名前を呼ぶので驚いて背筋が伸びてしまう。

 そんな俺に対して、瑠璃は真剣な表情でまっすぐこちらを見ながら、丁寧に頭を下げてくる。


「こんな私を受け入れてくれて、本当にありがとう。不束者ですが……これからよろしくお願いします」


 きっとこれは、俺が思っている以上に彼女にとっては大事なことなのだ。 

 だから俺も、誠心誠意応えなければならない。


「こちらこそ、未熟者ですけど、よろしくお願いします」


 そうして俺たちは二人、お互いに頭を下げた後、しばらく無言が続く。


 どちらからというわけでもなく、ゆっくり顔を上げて見合わせると、つい頬が緩んでしまう。

 見れば瑠璃も同じような表情だ。


「ははは……」

「ふ、ふふふ……」


 二人揃って我慢できずに笑ってしまった。


 まだ中学生以上、高校生未満の俺たち二人が結婚をすることになるなんて、誰が想像したことだろう。 

 世間的にはまだまだ子どもで、親に養ってもらっている身だ。


 それでも不思議と、彼女となら大丈夫。

 まだ出会って一日しか経っていないが、そんな確信が俺の中にはあった。


 まだ俺は瑠璃のことをなにも知らないし、瑠璃も俺のことはなにも知らない。 


 だけど、それはお互いこれから色々と経験して知っていけばいい。


 そうして時間をかけて、お互いの好きなもの、嫌いなもの、色々と理解し合い、関係を育めばいい。


「改めて……よろしく、瑠璃」

「うん、よろしくね。ハル君」


 それがきっと、『家族になる』ということなのだから。

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