第4話 結婚

 しばらく泣き続けていた瑠璃るりさんだが、今は瞳を赤くしてうっすら瞳を潤ませているものの、落ち着きを取り戻したらしい。


 今は姉である舞さんの隣で恥ずかしそうに俯き、ソファに座っている。


「うぅ……いきなり取り乱しちゃってごめんなさい」

「ああいや……」


 正直、幼い子どもみたいに泣く姿がちょっと可愛かったと思うが、それは言わない方がいいのだろう。

 

 彼女は誰の目から見ても可愛くて綺麗な少女だ。


 まだ幼さを残した容姿でありながら、クリッとした瞳も、沁み一つない肌も、今まで中学で見てきた同級生どころか、テレビの中でもほとんど見たことないレベルだと思う。


 それに、やはり印象に残る昨夜の彼女の姿は、思い出すだけで鼓動が早くなるほど綺麗だった。


「……」

「……」


 お互い気まずく、少しそわそわした態度。

 そしてそれに反応するのは残ったただ一人。


「あらあら? あらあらあら? 二人とも顔を真っ赤にして……私お邪魔かしら?」

「――っ」

「お、お姉ちゃん⁉ いきなりなに言ってるのよもう!」

「だって二人とも一言も話さないんだもの。いい加減、私としてもちゃんと説明したいのにぃ」


 拗ねた様子でブーブー唇を尖らせる仕草は普通ならイラっとくるものだが、美人がやるとたちまち様になる。


 とはいえ、それがからかい混じりだとやはりイラっとくるものであった。


「だいたい、陽翔はるとくんが吸血鬼を信じないって言うのが悪いんじゃない」

「そ、それはすみません」


 こちらが謝ると、彼女は軽く手を振って笑っていた。


「あはは、真面目ねぇ。冗談よ冗談。陽翔くんが信じられないって言うのはわかってたんだから……それで、今はどうかしら?」

「……信じてますよ」


 先ほどの圧力、それに超常現象を偶然と捉えるには現実離れし過ぎであった。


 自分で見たこと以外は信じない、と言った手前、俺としても彼女が吸血鬼という話を信じざるを得ない状況だ。 


 それに、そんな彼女を止めた瑠璃さんもまた、同じく吸血鬼。


「よしよし、それじゃあこれで前提条件は整ったわね。それじゃあ次は、なんでいきなり家族ってところの話をしましょうか」

「……はい」


 そういう彼女の声はどこか陽気で、しかし真剣なことはその瞳が物語っている。

 隣に座る瑠璃さんもまた、再び表情を固くした。

 

 だから俺も改めて佇まいを正し、しっかり前を向く。


「まあ単純な話、私たちは人の世に潜んで生きているの。吸血鬼は人よりもずっと強い生物だけど、人は足りない力を武器や知識、それに数で補って、吸血鬼なんて簡単に駆逐できる生き物だからね」

「でも、この世には貴方たちみたいな存在がいるなんて、本気で信じてる人なんて――」

「陽翔くんみたいに吸血鬼と実際に出会って、血を吸われたりしたらそうもいかないわ」

「……」


 そう、だとはっきり言えなかった。


 俺は血を吸われたあの日の出来事を、ほとんど覚えていなかった。

 それこそ、彼女が改めて己の前にやってこなければ、仮に思い出しても夢だと思ったことだろう。


 そうすれば、自分は瑠璃さんのことは一生思い出さずに、普通に生活をしながら過ごしていたと思う。


 だが、そんな自分の考えを否定するように舞さんは首を横に振る。


「陽翔くん、それはね、『もしも』の話よ。そして私たちにはそんなわずかな可能性は、一つでも潰したいっていうのが本音なの」

「あ……」

「そして私たちは、いつまでも君に怯えなければいけない。いつか思い出すかもしれない。いつか誰かに話してしまうかもしれない。そんなふうにね」


 少し寂しそうな顔でそういう舞さんに、俺は自分の考えがあくまで『自分中心』にあることがわかった。


 そしてそれは立場が少し変わるだけで、全然違うことになるのだということも。


「それで……身内に引き込んじゃえってことですか」

「そ。もちろん記憶がきちんと消せればそれが一番よ。だけどあまりにインパクトが強すぎる記憶は、消すためにかなりの力を遡らないといけないし、なにより危険が伴う」

「危険?」

「そうよ。だって記憶を消すっていうのは一年分くらい一気に消えるから、その間の思い出の中には消せない記憶とかもあると、脳が……ね」

「ね、って……ん?」


 もの凄く怖いことを言う。しかもさり気なく消す記憶が一年とか衝撃の新事実だ。  


 そう思ったところで少し疑問に思う。


「一年っておかしくないですか? だって俺、夜明さんに昨夜の記憶を消されたから、朝は思い出せなかったんですよね?」

「っ――⁉」


 俺がそう言った瞬間、瑠璃さんの身体が強張る。

 なにか不味いことでも聞いただろうか? そう不思議に思っていると、舞さんが少し気まずそうに瞳を逸らしながら、ゆっくり口を開く。


「あー、うん。それなんだけど、実は瑠璃って吸血鬼の中でも特別力が弱くって……記憶操作が全然出来ないのよねぇ……で、初めての吸血にテンパっちゃって、頑張って記憶を消そうとしたんだけど、すっごく中途半端になっちゃったって話」

「ご、ごめんなさい! 私、私……!」

「あ、いや結果的に大丈夫だったから――」

「で、でもぉ……」


 勢いよく謝ってくる瑠璃さんが再び泣き出しそうになり、俺はなんとかそれを宥める。

 どうやら彼女は昨夜のことに対して相当後悔しているらしい。


「とりあえず事情はわかりました。それで記憶を消すか、結婚するかって話なんですけど……さすがに、一年分も記憶を消されるのは勘弁して欲しいですから……えっと」


 俺は思わず瑠璃を見る。

 彼女が悪い人間……というか吸血鬼でないことは理解していた。わずかな時間とはいえ、多少なりともその人となりに惹かれ始めている自覚もある。


 もちろんこれが恋心であるとは俺も思っていないが、しかしあの月夜の出会いはこれから先の人生で、とても忘れられるものではない気がしていた。


 だから――。


「とりあえず、結婚を前提にお付き合いさせてもらうってことじゃ――」

「駄目よ」

「っ――」


 俺の中途半端な言葉は、瞳を紅くした舞さんに遮られる。

 その強い口調に何故、と思っていると――。


「貴方の言いたいことはわかるわ。だけどね、それは瑠璃をずっと怖がらせることになるの」

「……あ」

「私はお姉ちゃんとして、この子だけは幸せになって欲しいの」


 その言葉に、俺ははまた勘違いをしていたことに気付く。


 結婚を前提とした付き合いという曖昧な表現は、自分が彼女を裏切る可能性があるのだ。

 そして、瑠璃さんはそんな可能性をずっと胸に抱いたまま、俺と付き合うことになる。


 それは、まったく対等ではない歪な関係だ。


「すみません……そうですよね」


 再び瑠璃さんの方を見る。

 彼女は、怯えていた。肩を震わせ、自分の結論をただ黙って待っていた。そこに、彼女の意思はない。


「一つだけ、聞いても良いですか?」

「ええ」

「それじゃあ、夜明……瑠璃さん」

「っ――⁉ は、はい……」


 自分に声をかけられると思っていなかったのか、驚いたように目を見開いてこちらを見る。

 

「君は、俺と……その、結婚してもいいの?」

「わ、私は……」


 そこで言葉を区切り、一瞬黙り込んだ。

 俺はそんな彼女が次に言葉を出すまで、ただ黙って待つ。


 部屋の中に沈黙が流れ、年季を感じさせる古時計の音だけが静かな部屋の中で響いた。


「私は……ずっと吸血鬼である自分のことを隠してきたの」

「うん」

「学校の友達も、誰も知らない。知られたらきっと、嫌われるから……怖がられるから……」


 まるで神様の懺悔をするように、彼女は己の内を少しずつ晒していく


「だけど今日、草薙くんが怖くないって言ってくれて、凄く嬉しかった……こんな自分でも、認めてくれる人がいるんだって、凄く、凄く嬉しかった……だから――」


 瑠璃さんの瞳に再び涙が溜まる。

 そして、これ以上は聞く必要などなかった。


「夜明さん!」

「舞でいいわよ。ここには夜明は二人いるんだし。もちろん、妹は瑠璃って呼べばいいわ」


 舞さんは嬉しそうに笑う。どうやら俺の言いたいことを正確に理解しているらしい。

 だがしかし、こういうのは言葉にするのが大切だ。


「俺は、瑠璃さんと結婚します! だから、彼女を俺に下さい!」


 立ち上がり、勢いよく頭を下げ、そして――。


「妹をよろしくね、陽翔くん」


 こうして、俺はまだ中学生以上、高校生未満という立場でありながら、結婚することを決めるのであった。

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