第3話 吸血鬼

  ――ここにいる瑠璃るりと結婚して、家族になることよ。

 

 そう言われて改めて瑠璃と呼ばれた少女を見ると、彼女はどこか憂いを帯びたような、すべてを諦めたような、なんとも言い難い表情をしていた。


 ただ、舞さんの言葉が彼女にとって嬉しい出来事でないことは、一目でわかる。


「……意味がわからないので、もう少し詳しくお願いします」


 俺がそう尋ねると、彼女は嬉しそうに笑う。

 正直、俺からすればこんな与太話にいつまでも付き合ってられないという気持ちがあった。


 ――記憶を消す? 初対面なのに結婚? わけがわからない。


 それでもその場で立ち上がらず話を促したのは、舞さんの隣で苦しそうな表情をしている瑠璃さんを見たからだ。


 それが、なんとなく放っておけなかった。ただ、それだけである。


「吸血鬼って教えたわよね。あなたは私たちが怖くないの?」

「今のところ、怖がる部分がないですから」

「え……?」


 そう言った瞬間、二人の表情が一変する。

 舞さんは興味深そうに、そして瑠璃さんは驚き目を見開いた。


「その反応は結構意外だったわ」

「俺、目で見たものしか信じないタチなんで」

「じゃあ……ちょっと本気で信じた後の君がどういう反応するか、試してみようかな?」

「……え?」


 舞さんがそう言った瞬間、彼女の瞳が緋色に輝く。


「――っ⁉」


 それと同時に俺はこれまで感じたことのないプレッシャーを感じ、身体が固まってしまう。

 舞さんから目を離そうとしても離れず、身体は言うことを聞いてくれない。


 ――なんだ……これ⁉


「ほら……人間なんてちょっとこうしてあげれば……」


 舞さんがゆっくりと手を伸ばしてくる。

 細い指から伸びるツメのマニキュアがキラリと光り、普通なら綺麗だなくらいの感想を持つはずが、ただただ恐ろしい凶器にしか見えない。


 このまま殺されてしまうのか、そう思っていると――。


「お姉ちゃん‼」

「おっと……」


 舞さんの隣で一連を見ていた瑠璃さんが突然大きな声を上げた。

 その瞬間、拘束されていた身体が一気に自由になる。


「――っぁ! はぁ! はぁ! はぁ……」

「大丈夫ですか⁉」


 背中からは大量の汗。そして荒い息を吐きながら、思わず顔を俯かせてしまう。


 慌てた様子で近づいてくる瑠璃さんが優しくその背中をさすってくれ、それが心地よくて思わず瞼が落ちそうになった。


「……はぁ、はぁ……だい、じょうぶ……だから」

「全然そう見えません。落ち着くまで、こうしてますから」


 なんとか気絶することは耐えるが、少しひんやりした彼女の手はとても気持ちよく、その好意に甘えてしまいそうだ。


 自分の背中はかなり汗をかいて濡れている。彼女も触れていてあまり気分の良いものではないだろう。


 だから離れるように言うのだが、瑠璃さんはまるで聞いてくれない。

 これまでの儚げでおどおどとした様子とは一転して、毅然とした態度と声で俺の介抱を続けていた。


 そんな彼女に少しだけ心惹かれる。

 同時に、病気のときに介護されているとつい甘えてしまいたくなるような状況なのだと、冷静な己が言い聞かせてきた。


「さぁて、これで少しは信じてくれたかしら?」

「お姉ちゃん! やり過ぎだよ‼」

「だーって陽翔はるとくんが信じてくれないんだもん」

「だからって!」


 舞さんに向かって瑠璃さんが少し怒った様子を見せるが、彼女が怒ることではない。

 そう思ってその細い腕を軽く掴むと、少し驚いた様子を見せた。


「……えっと、夜明さん。俺は大丈夫だから」

「だ、駄目ですよ! お姉ちゃんに睨まれたんだから安静にしないと!」

「人をバケモノみたいに言わないで欲しいわねぇ」

「バケモノじゃない! お姉ちゃんも! それに……私も……」


 先ほどまでの勢いはどこにいったのか、瑠璃さんは急に声のトーンが下がる。

 見れば瞳には涙を浮かべ、身体を振るわせていた。


「……」

「ああもうほら、ごめんって。お姉ちゃんが悪かったから……」

「ぐす……だって……私たちはバケモノで、それにあんなことしたら怖がられるに決まってて……」


 吸血鬼であることを当たり前に思っている舞さんと違い、もしかしたら瑠璃さんの方はその在り方に色々な葛藤があるのかもしれない。


 そう思うと、先ほどまで『怖い』としか思えなかった彼女たちが、そんなに怖くないような気がする。


 なにより、俺は改めて昨夜のことを思い出していた。


 月明りの下で涙を流しながら、それでも恍惚とした相反する表情でこちらを見る少女が、薄れゆく視界の中で思ったのは――。


「怖くないよ」

「……え?」

「俺は……君のことは怖くない」


 ただとても、とても美しく思ったのだ。


「たとえ吸血鬼だろうと血を吸おうと関係ない。俺のことを心配してくれて、怒ってくれた夜明さんのことは、怖くない」

「ほん……と?」

「うん……」


 もしかしたらこれはただ、この場の空気に酔って言っているだけなのかもしれない。


 この場から離れてしまった瞬間、先ほどの舞さんの姿を思い出して恐怖に陥ってしまうかもしれない。


 だがそれでも、この儚げで、まるで月夜に愛されたような少女が泣いている姿は見たくないと、そう思った。 


「う……うぅぅ……うわぁーん」

「ちょ――⁉」

「ひぐ! ぅ、ぅぅ……あぁぁぁぁ」


 突然、瑠璃さんがまるで決壊したダムのように大泣きし始めた。

 そんな彼女に戸惑い、どうすればいいかオロオロしていると、舞さんがニマニマ笑いながらこっちを指さして――。


「あーあーあー。陽翔くんが泣ーかした」

「アンタ本当に面倒な人だなぁ!」

「うわぁぁぁぁぁん」


 こっちの状況も構いなく、瑠璃さんは泣き続ける。

 それが悲しみからきている訳ではないのはわかっているが、だからといって泣かれるのは困ってしまうのだ。


 ただ、それでもすべてを諦めたような、憂いを帯びた表情よりはずっといい。

 

 すべてを涙で流したら、次は笑顔を見せてくれたらいいなと、今の自分の状況すら忘れて俺はそう思うのであった。 

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