第2話 拉致
目を覚ました時、すでに太陽は真上を超えていた。
「まじかぁ……」
近くにある時計を見ると、すでに午後一時。
朝どころか、普通なら昼食も食べている時間帯で、春休みとはいえ寝すぎである。
リビングに出ると、母がソファで寝ていた。
昨夜は夜勤だったはずだから、おそらく帰ってきたのは朝のはずだが、ミニテーブルの上には空の缶ビールが置かれている。
「……まったく、朝からビールは飲まないようにって言ってるのに。ほら母さん。とりあえず起きてベッドで寝てよ」
「ううんー、はるとー?」
「うん、俺だよ。肩貸すから行くよ」
とりあえず母さんを部屋のベッドに運んで寝かす。
コンビニで買ってきたであろう朝ごはんのゴミやビール缶を分別して分けてから、俺はそういえばまだ顔を洗ってないことを思い出して洗面所へ。
ついでに母さんが着ていた服が地面に散らかされているので、それを回収。そのまま洗濯機に放り込んでスイッチオン。
さてっと洗面所の鏡を見て、俺は思わず顔が引き攣ってしまう。
「うわ……なんだこれ」
鏡に映る自分は、たくさん寝たはずなのになぜか疲れ切った顔をしていた。
身体が重いとなんとなく思っていたが、もしかすると風邪を引いているのかもしれない。
とりあえず少しでもすっきりさせるために顔を洗い、歯を磨いてから二人分の昼食を作り始める。
「……チャーハンと、インスタントの赤出汁でいいか」
普段はもう少し手間をかけても良いと思っているのだが、どうにも体調がよろしくないのでこれで許してもらおう。
あの様子ではあと一時間は起きてこないはずだから、あんまり重くし過ぎると今度は晩御飯が入らなくなる。
それに母さんは食べられればなんでもいいと言うタイプなので作り甲斐がないのだ。
とはいえ、自分のために毎日必死に働いてくれているのだから、感謝こそすれ非難などする気はなかったが。
「……夜勤ってことは、今日は休みか」
看護師がどういう仕事のサイクルで送っているのかはよくわからないが、母さんはだいたい夜勤の翌日は休みを取っている。
俺としてもあまり無理をして欲しくないので、それくらいで丁度いいとは思う。
「……ん?」
唐突に、チャイムが狭い家に響く。
マンションに取り付けられたモニターを見ると、見覚えのない少女が立っていた。
「誰だ?」
とりあえず外に出てみると、紺色の髪を腰まで伸ばした同年代の少女が、申し訳なさそうに立っていた。
見た目はお淑やかというか綺麗な感じだが、なぜか彼女を見ていると恐怖を感じる。それと同時に、首元に走るチクっとした痛み。
「……えっと、だれ?」
「ごめんなさい!」
「……は?」
少女と目が合った瞬間、身体が硬直する。と同時に視界が失われ――。
「……は?」
気付いたときには、見知らぬ家のソファに座っていた。
「え……? は? いや俺、え?」
「あははー、混乱してるわね」
「……え?」
混乱している頭は視野が相当狭くなっていたらしく、目の前に座る女性の姿すら目に入っていなかったようだ。
女性は長い紺色の髪を腰まで伸ばしていた。
おそらく大学生くらいだと思うが、大人っぽい雰囲気はもっと上かもしれないと思う。
先ほど玄関にいた儚げな雰囲気の少女を、もっと成長させて活発な雰囲気にしたらこんな感じだろう。
「えーと……」
「初めまして、
「あ、はい。初めまして……ていうか、誰ですか?」
なぜ自分の名前を知っているのだろうと混乱する頭で思っていると、彼女は明るい笑みを浮かべる。
「当然の疑問よねー。私は
「はぁ……」
そもそも、その瑠璃という子すら知らないのだが、妙にテンションの高い人だと思う。
周囲をぱっと見渡すと、まるで西洋貴族の屋敷と言わんばかりの内装。
地面に敷かれている絨毯は絶対に高いやつだし、壁に立てかけられている時計は見るからに精巧な作りをしていた。
この夜明舞と名乗る人物も、日本人っぽくない外見だ。もしかしたらハーフかクォーターなのかもしれない。
とにかく、現状を把握しようにも情報が少なすぎる。
叫んで逃げ出したい衝動を無理やり抑えて、なんとかこの女性から情報を得なければ。
「さて、突然拉致って混乱するのもわかるけど……って割には冷静ね」
「今すぐにでも叫びだしたいくらいには混乱してますよ」
「あ、そうなんだ。じゃああんまり顔に出ないタイプなのね君。うんうん、ここでみっともない姿を見せたら私としても色々と考え直さなきゃと思ったけど、そんな心配はなさそうで良かった良かった」
いったいなんの話をしているのかわからないが、一人で勝手に納得するこの女性に、俺はただただ黙って待っていた。
「さてさて、陽翔くん。君はとっても重要なお話があります。心して聞くように」
「……」
「君は昨夜、妹の瑠璃と出会ったわね?」
「昨夜?」
昨夜はなにをしただろうか。
普通に昼間はご飯の買い出しに出て、その後はたしかネットで高校生から出来るバイトの求人を見ていたはずだ。
瑠璃、なんて子には会った記憶がない。そう答えようとした瞬間、再び首元にチクリと痛みが走る。
「あ――」
その瞬間、深夜に公園を徘徊していたこと。そしてそこで美しい少女と出会ったこと、全てを思い出した。
「どうやら思い出したようね。それじゃあ改めて自己紹介をさせてもらおうかしら? 私の名前は
「きゅ、吸血鬼?」
「そ、ヴァンパイア」
にっこり笑う仕草は友好的だが、しかしどこか威圧感を与えてくる。
本能的に捕食者と被捕食者の関係を否応なしに感じ取らせる、そんな笑顔だ。
そしてもちろん、俺が被捕食者側である。
「陽翔くん、貴方には二つの選択肢があります」
「は、はい……」
「一つはこのまま全てを忘れて、日常に戻ること」
「……はぁ」
指を一本立てながらそう言うに対して、その選択肢を選ぶ以外になにかあるのだろうか? と俺は思わず呆気に取られたような声を出してしまう。
そんなこちらの態度を見ながら、彼女はニヤニヤと笑ってもう一つの提案を出そうと指を二本立てた。
「そしてもう一つは――」
「お姉ちゃん⁉」
「あ……」
背後の扉が勢いよく開かれる。
そこにいたのは、満月と桜の下で出会った可愛らしい少女。
なぜか彼女はこちらを見ると顔を真っ赤に染めて、瞳を潤ませていた。
「瑠璃も戻ってきたから、丁度いいわね。それじゃあ陽翔くん、もう一つの選択肢を教えてあげる。それはね――」
――ここにいる瑠璃と結婚して、家族になること。
その言葉を聞いた瞬間、俺の思考は一瞬止まってしまうのであった。
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