5月

 ゴールデンウイークのこと。

 その日は溜まった宿題を消化すべく地学準備室へ向かった。宿題なら自宅ですればいいというのはごもっともだが、僕のような怠け者になるとベットが半径10m以内にある自宅だと寝てしまう可能性が高い。

 でも寝ると膨大な量の宿題は終わらない。教師の方々におかれましては5連休を夏季休暇と勘違いしているんではないかと思うほどであった。

 そういうわけで部室に足を運んだところ、糺谷先輩がいた。


「あれ、望月くんだ。どうしたの」

「勉強をしようかと思いまして」

「望月くんが勉強しに学校に来るなんてうっそだ~」

「いやこれが本当なんですよ」

「え……?」

 素で驚かれた。

 一転、パッと表情を変えて「あ、分かった!さては、ほ――」と口を開いた。

「先に言っておきますが、補習があるわけじゃないです」

「ほ、ほ、星を見にきたんだね!」

「こんな昼間にですか?」

 無理に軌道修正しようとして失敗していた。

 ばつが悪くなったのか「お茶を淹れてあげよ~」と給湯ポットへぱたぱたと向かう。

 普段は無言の圧で僕に淹れさせるくせに。


「先輩だって部室で勉強なんて、今日はなんでまた」

「ん~? ああ、実は4月から休日はここで勉強してるんだよ。ほら、私、一応受験生ですし?」

「休日も勉強……」

「信じられないって顔してるな~。いやいやこれくらいはみんなやってるんだよ、多分」

「うぐ」

 やっていない僕としては耳が痛い話だ。

 先輩の意見は完全に勉強ができる人のそれだが、そう言えるだけの学力があることを知っている。

 こう見えて(こう見えて?)糺谷先輩は勉強ができるのだ。

 普段の好奇心旺盛さがそのまま成績に反映されている。やはり前向きに取り組めることが学力アップへの近道なのだなと思う。

 何にでも興味を示す先輩が勉強ができるのも理解できる。

「あ、ごめん! お茶葉とコーヒー粉間違えちゃった! とても濃ゆいと思うけど我慢して飲んでね~」

 やっぱり理解できないかもしれない。


「いやなんでですか、間違えようがないでしょう! 湯のみにコーヒー入ってるの初めて見ましたよ」

「こうね、お茶葉が入ってる紙筒と、コーヒー粉が入ってるビンって似てるよね?」

「材質からして違うんですが」

「形状がそっくり!」

「目の解像度が8bitくらいしかないんですか!」

 仕方がないから飲むしかない。粉がダマになって浮いているコーヒーは案の定苦かった。


「先輩の手作りコーヒーって聞くと甘酸っぱさが足されてちょっと緩和されない?」

「苦みが飽和しててちょっとよく分からないですね。……少しだけ先輩に感心してたのに、その気持ちを返してほしいくらいです」

「感心?」

「勉強できて凄いなって」

「えへへ」

「そこは普通に照れるんですね」

「そりゃあねえ、可愛い後輩に褒められるってあんまりないことだし~」

「普段から褒められる行動をしていれば僕も口に出すはずなんですがねえ」

「ああ、なんだその目は~。望月くんの分際で生意気だぞ」

「分際て。可愛い後輩に向かって使う言葉じゃないんですよね」

 ジャイアンでももうちょっとマイルドな表現するよ。


 さておき、僕は溜まった宿題に取り掛からなければいけない。先輩は先輩で自分の勉強があるので、しばらくはお互い無言の時間が続く。

 何度か休憩しながら進めていたが、夕方に差し掛かったあたりで外が暗くなっていることに気づいた。

 先輩が「んんっ」と背伸びをして、ノートを閉じる。

「そろそろ帰りましょうか」

「そうだね~。宿題は捗った?」

「一人でやるよりは進んだと思います」

「それは重畳だねえ。私も一人でやっている時より集中できたかも」

 はにかみながら言う先輩は少し嬉しそうだった。


 そのまま部室を閉めて、鍵を返しに職員室に寄った。担任から話しかけられたので勉強していたといったら嘘をつくなと言われた。学習態度を改善しようと思う。

 昇降口で靴を履いて、外で先輩と合流する。糺谷先輩は空を見上げていた。

 5月上旬ともあって夕暮れ時にも夜が混ざっている。頬に当たるほどよく冷えた風が心地よかった。

「なにか星でも見えますか?」

「見えるよー。アークトゥルス」

「え?」

「うしかい座の一番明るい星。春の大三角のひとつ」

「僕は初めて夏以外にも大三角とつく星座があることを知りました」

「見つけやすいから探してみてよ。恒星だから主張が強いよ」

 そう言われて探してみて、他の星が薄く光る中でひときわ白っぽく輝く星を見つけた。

「んん、なんとなくあれかなって」

「そうそう、多分それ。こんな夕方で比較的明るくても分かるなんて凄いよね」

「…………」

 でも僕は多分一人だとその一番光っている星さえ気に留めもしなかっただろうし、言われなければ一生見つけることもなかっただろう。

 見えないものは認識上無いのと同じだ。だからそこに在ることに気づかせてくれる存在がどれほど貴重かと、改めて考えてみる。

「……やっぱり今日は星を見に来たのかもしれないですね」

「ん、なんか言った~?」

「なんでもないです、帰りましょうか」

 僕は少しだけ星に感謝したい気分になりながら、先輩と下校するのだった。


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