小惑星日和

ぷにばら

4月


「ねえ、見て見て~! 小惑星が地球に向かってるんだって」

 天気も気分も不安定で憂鬱になっていた春先、科学誌Newtonを読んでいた糺谷ただすたに先輩が嬉しそうに話しかけてくる。

 僕は低気圧のせいで調子が悪く、早く人類滅びないかなと考えていたので、「人類滅びそうですか?」と訊いた。


「滅びないっぽいね~」

 先輩はゆるく笑って、手を振った。雑誌を覗き込むと、開かれたページには月ごとのトピックの中の一つとして慎ましい紙幅で件の小惑星のことが書かれていた。

 地球に到達するとすれば今年の冬くらいだそうだが、観測自体は数年前からされていたので既に手が打たれているみたいだ。なんでも小惑星の表面に太陽光が当たったら赤外線を発生させる特殊な塗料を吹きかけて、その反動でずらすんだとか。

 説明を読んでもいまいち分からなかったが、偉くて賢い人たちが一生懸命に考えた方法なのだから、きっと大丈夫なのだろう。


「滅びなさそうですね」

「ふふっ、露骨に残念そうな顔をしてる。おもしろいね~」

「ちっとも面白くはないですよ。人類が滅びなくて僕は悲しいです」

「大丈夫、願っていれば希望は叶うよ」

「適当に言ってません?」

 ゆるい調子でずれたことを言う先輩を半眼で見る。先輩の興味は既にNewtonに戻っていて「深海魚が海岸に打ち上がってる……可愛い……」と呟いていた。

 サケガシラが浅瀬で生きたまま横たわっている写真はシュールな面白さがあり、困ったように垂れ目になっているのは確かにちょっと可愛いかもしれないと思った。


「このサケガシラ、何考えていると思う?」

「え?」

「元々深海に棲んでいたのに何かの拍子に海岸に打ち上がってしまったこのサケガシラ、今はどんな気持ちだと思う?」

「また突飛なことを……」

 いつものことなので諦めて、再び雑誌を見てみる。どこか哀れさを感じさせる垂れ目が付いた顔はマンボウ目だということもあって水族館などで見知ったマンボウの面影がある気がする。大きな頭から身体(?)部分がアンバランスにひょろ長く伸びている。

「さあ、サケガシラになったつもりでお気持ちをどうぞ~」

「……『食べられるならせめて新鮮なお刺身で』?」

「共感能力ゼロじゃん」

「酷い」

「もうね、視点がはるか高み。捕食者からの視点。驕り昂った傲慢。愚かなホモサピエンス」

「そこまで言わなくても。最後ちょっと違くないです?」

「君は水族館に行ったら『美味しそう』って言うタイプでしょ」

「まあ魚が泳いでる水槽を見ると海鮮丼食べたくなりますね」

「それはちょっと分かる~」

「いやこの流れで分かっちゃダメでしょ」

「えへへ」

 糺谷先輩は照れくさそうに笑った。ゆるい笑顔が本当に似合う人だ。


 一通り会話が終わって満足したのか、今度はスマホを弄り出す糺谷先輩。

 僕もさっきまで読んでいた小説を取り出して、再び読み始めた。


 今はれっきとした部活動の時間であるが、Newtonの感想を言い合うことや小説を読むこと、ましてやスマホを弄ることが部活動の内容ではない。

 ここは地学研究部だ。この部屋は地学準備室で、もちろん僕と糺谷先輩は地学研究部の一員だ。見ての通り地学の研究はしていない。

 何をしているかと聞かれれば、……何をしているんだろうか。自分でもよく分からない。

 気が向いたら部室に来て、大体糺谷先輩がいるので適当なことを話して、なんとなく解散の雰囲気になるか下校時間になったら帰る。

 かれこれほぼ一年間、そんな風に過ごしてきたものだから、改めて何をしているかと聞かれれば何もしていないんじゃないかと思う。

 そんなことを前に糺谷先輩に言ったら「何もしていないをしているんだよ」とどこか誇らしげに言った。やっぱり何もしていないんじゃないか。

 事実上帰宅部のようなものだが、この部室に来るのは嫌ではなかったのでまあいいかと思う。

 なんとなく話して、なんとなく帰る。そんなゆるいフィーリングだけの時間が先輩が卒業するまで続いていくのだと思う。


「ところで先輩は打ち上げられたサケガシラが何を考えていたと思いますか?」

「さあね~、深海魚の気持ちなんて分からないよ~」

「…………」


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