6月
地学準備室は旧校舎棟三階にある。グラウンドの真反対で本校舎の裏にあるという立地上、暗くて暑くてジメジメしており、あまり褒められた環境ではない。
けれどここには運動部の威勢のいい掛け声は聞こえないし、人通りもあまりないため静かなのだ。聞こえるとすれば吹奏楽部の練習で楽器の音くらいだが、今はそれも鳴りを潜めている。
ガラス越しに下を覗くと、譜面台を中心に扇状に椅子に座った女子たちが楽しそうに談笑していた。ここ20分くらい木管の音色を聞いていない気がするが、それをどう取るかは吹奏楽部の問題なので、僕は何も言うまい。
新しい制服に身を包んでいるところを見るに、今年の春に入学してきたのだと思う。それから二ヶ月経った。まあ二ヶ月というのは環境に慣れ始める時期なので、むべなるかなと思う。
偉そうにしているが、僕の場合はこの部に入部して1週間足らずで今と変わらない状況になっていたような気がするため、休日も返上で練習に取り組んでいる吹奏楽部の面々になにか言えようはずもない。
僕は一年とちょっと前を思い出していた。
+++
部活を探していた動機は親への建前のためだった。
うちはごく一般的な家庭ではあるが、父が人生に対して一家言ある人で、常々「時間を大切に使うべし」という旨のことを言う。そのため、帰宅部になろうものなら勉強のため塾を強制加入させられていたか、社会のためバイト漬けにされていたかのどちらかだっただろう。
僕は父とは対照的に無駄な時間こそを重んじるというか、はっきり言えばぐうたらな人間となった。三度の勉強より午睡が好き、果報は寝て待て。
なので部活動はほどほどに怠けてほどほどに活動するような部を探していた。
そこで声をかけてきたのが糺谷先輩だった。
「死んだ人のような眼をしたそこのあなた~」
「そんな失礼な声のかけ方あります?」
そこまで瞳孔が開いているように見えたのだろうか。
「私には分かります。あなたのようにぼんやりとただ呼吸するしかやることがなさそうな人が求めている部活が」
「失礼に加減がないな」
初対面にも関わらずなんてことを言うのだと思って、その会話の相手に目を向ける。
ふんわりとしたボブカットに、ゆるく下がった目じり。
通り魔のような暴言とは裏腹に、印象として綿菓子のような人だと思った。
部活動勧誘のため多くの部活が積極的にビラを配ったり声掛けをする中で、その人は紙の束を持って椅子に座っていた。
「先ぱ……先輩?は何の部活の人なんですか」
「なんで疑問形を挟んだのかは置いておいて、私は地学研究部だよ」
ほら、とチラシを見せてくる。
そこには雑に地球の絵が描かれてあって『地学研究部員 募集中!?』と書いてある。
「なぜ『!?』表記なんですか」
「『!!』だと募集しているみたいになっちゃうでしょ」
「募集してないんですか」
「あんまり」
「やる気がない!!」
「でもほら勧誘しないと顧問の先生から怒られちゃうし」
「最初のあれは勧誘のつもりだったんですか」
「名前だけでもいいから入部してくれると助かる~」
「そんな誠意のない勧誘がありますか!」
先輩は意に介した様子もなく「さてと」と立ち上がって、片づけを始める。
立ち上がると身長差が明確になって、思ったより小さかったんだなと感じた。
「どこかに行くんですか?」
「君に部室を案内しようと思って~」
「いやいや、入部するとは言ってないですよ」
「まあまあ、体験入部ってやつだよ。君の名前は?」
「望月亮と言います」
「望月くんか、よろしくね~。じゃあ君には『新入部員A』というあだ名を授けよう」
「外堀から埋めようとしないでください」
そんな会話をしながら旧校舎へ移動する。
初めて立ち入る旧校舎は春にしてはひんやりしていて、物静かな場所だと思った。
こういううるさくない場所は落ち着いていて、過ごすにはちょうどいいなと思った。
「さあ、ここが地学研究部の部室である地学準備室だよ~」
そこは本棚と机と椅子、ソファーが置いてあるだけのシンプルな内装の部屋だった。
「準備室って聞いてもっと雑多なイメージだったんですけど意外と片付いているんですね」
「ふふん、そうでしょう~?」
なぜか先輩が胸を張った。
「それで、この部活って具体的にどんな活動をするんですか?」
「部室の掃除したり、空気の入替のために換気したりするよ」
「そういう活動前の準備の話ではなく」
「英語の宿題をしたり、とか……?」
「地学関係ないですよね」
「あとは部員の自由意思に任せて適宜自己研鑽に努めてるよ」
「何もしてないってことですね」
薄々感づいてはいた。部室と言いながら特に地学に関係したなにかが置かれているわけでもないし、本棚には普通に漫画が置いてある。
「他に部員はいないんですか?」
「私だけだね」
「事実上の帰宅部じゃないですか」
「部室があるから帰宅部より偉いとも言える?」
「いやむしろ部室がある分、何もしてないほうが駄目では。廃部にならないんですか?」
「その昔、熱心に研究してた代があったから多めに見られてるんだって」
「過去の貯金を食い潰してる感がすごい」
「前にその代のOGの人が来て、私しか部員がいないって言ったらすごく悲しそうな顔してたね」
「切なすぎる!」
青春を過ごした場所が衰退していたことを知ることはあるあるかもしれないけれど、そのOGの方は気の毒だと思う。
「というかそんな活動状況なら僕は必要ないんじゃないです……?」
「まあそうだね~」
「あっさり認めた」
「必要か不要かでいうと、まあ不要なんだね」
「はっきり言った」
「でも最初に言った通り、君が求めているんじゃないかと思ってね~」
「僕が?」
「そう、君が」
「一体なにを根拠に……」
「あってないような活動内容。厳しさがまったくない上下関係。なにより、快適に使える部室」
「ううっ」
「そんな部活を求めていたんじゃないのかな~」
「是非よろしくお願いします」
僕は入部を申し込んだ。先輩が提示した内容はこれ以上ないほど理想的だったのだ。
先輩はちょっと目を丸くして「流石にここまで上手くいくと思わなかった~」と言った。
「あ、先輩の名前はなんていうんです?」
「ん、言ってなかったね。
そう言って、それ以降何度も見るゆるんだ笑顔を見せてくれるのだった。
+++
「望月くん~?」
気付いたら先輩がこちらに呼びかけていた。
知らないうちにちょいちょいと袖を掴まれている。
「どうしたの、談笑するフルートっ子たちを嘗め回すように見つめて」
「そんな変態的な眺め方はしてませんでしたよ」
「フルート吹いてる子ってどうしてみんな指がスラっとして見えるんだろうね? そういうところにフェチを感じちゃうのは分かるな~」
「明後日の方向に共感を示さないでください」
マイペースな調子で頷く先輩を半眼で見つめる。
「それで、なにかあったんですか?」
「そうそう、聞いて聞いて。先々月だっけ? 話した小惑星あったじゃん」
「ありましたね、なんか地球に向かってきてるって。でもあれって逸れたんじゃないんですか」
「そうだったんだけどさ、なんか超奇跡的に他のわりとでかめの小惑星にぶつかったんだって」
「それでどうなったんです?」
「衝突したせいで軌道がずれて、今度はぶつけられたほうの小惑星が地球に落ちてくるかもしれないんだってさ」
「え?」
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