第8話
丘上に向かって走るオークの数は多くない。
たった3体。
たったそれだけだがその場の人間にとっては脅威であり悪夢に他ならない。何せこの場の探索者の多くは、護身の為にと武器、或いはホームセンター等で手に入れた長柄の工具(バール、ハンマー、ツルハシ等)を所持しているが、戦うことなんか考えてもいないのだ。
野犬に出くわしたら追い払えればそれでいい、そんな認識で持ち込んでいた。
ダンジョン、或いは異世界、そんな場所に対する認識としては甘かったとしか言いようがない。
ただ、彼らが悪いかと問われれば、そうでもない。政府のもたらした情報にも問題があったのだ。
公開情報には、当該ダンジョン内における安全性についての説明があり、彼らはそれを信じたカタチなのだから。
だからこそ、彼らには最初から抗う意思も覚悟もない。
そもそも殺意を向けて襲って来る相手に対してその精神は薄弱すぎた。
一哉は俄に浮き足立つ傍観者に対して苛立ちを覚えていた。
未知の場所に行くならそれなりの覚悟があって当たり前だと思っていたからだ。
一哉もそうだが、信之らは自らの死すら覚悟して臨んでいる。遺書を事前に用意していたのは何も信之だけではないのだ。
オークが駆け上がって来るのに合わせて蜘蛛の子を散らすように探索者たちが悲鳴を上げて走って逃げる。向かってきたオークが三手に分かれてそれぞれ手にした棍棒で逃げ散らす彼らを追い散らし、運悪く下草に足を取られた男が転倒し、その男の見上げた先、視界には迫りくるこん棒の頭が一杯に広がっていたことだろう。
死をもたらすべく振り下ろされたこん棒だったが、男の頭部を砕く前に横合いから撃ち込まれた一撃によって軌道を大きく逸らされる。
棍棒の先端には矢が半ばまで付き立っている。何者かの狙撃だろう、一哉が目を向けたと同じタイミングでオークの頭部に二本の矢が付き立つ。少し遅れてオークは地に勢いのまま前のめりに伏す。
矢の来た方に目をやれば遠く、弓を構えた初老の人物が新たに矢をつがえるのが見えただろう。
一哉は残る二体が進路を変えないことに苛立つも、舌打ちを堪えて荷物をその場に降ろし正面から走りくるオークに向かって歩を進める。
決して走らないがその歩法は素早く間合いを詰めていく。
逃げだした探索者たちがそれに気づき悲鳴が上がる。中には早く逃げろという声もあった。
だが、一哉は無視を決め込んでいる。
オークは目の前に躍り出た小柄なメイドに対して口の端をつり上げる。
哀れな小動物だとでも考えたのだろう。
だがその考えは、振り下ろした棍が何かを叩く感触を伝えてくる前に視界が物凄い速さで回転し、意識が追いつく前に背中を何かが叩きつけ肺腑から空気を吐き出させたことで中断させられた。
そして、意識が追いついて体を動かそうともがくも、不思議な力で右に左に転がされ、視界が地面をおさめた頃には右腕が大きく捻りへし折られる痛みが脳髄を支配する。
予想外の痛みにオークは喉の奥から声を迸らせる。絶叫と共に持ち上げられた頭は、柔らかい何かに包まれ、首が捩じられるような感覚と共に意識は闇に沈んでいった。
「今しがた」一仕事をこなした一哉は腕に抱えた巨大な南瓜ほどもある頭部を離すとゆっくりと立ち上がる。
その際も油断などない。
油断なく丘へ登ってきた 残りのオークの動向を捉え続けている。
場の空気は一哉のもたらした結果によって大きく変化していた。悲鳴は鳴りを潜め、逃げ惑う探索者は足を止め可憐なメイドが巨大な体躯をもつオークを翻弄するのを、ただ見いっていた。
可憐なメイド、という認識を一哉が聞けば苦い顔をしただろうが・・・・・・。
「どうして・・・・・・」
一哉から発された問いは、静まった丘上にはよく響いた。
「戦う覚悟もない、抗う意思もない人間が、どうしてここにいるんですかね?」
見いっていた探索者たち言外に役立たずと言われた気がして視線が下を向く。
「いい大人が情けない」
その言葉だけは風に流されて届かなかった。
一哉は警戒し、なかなか距離を詰めようとしないオークの方へと向き直る。
お互いに間合いを探りつつの牽制。場は膠着していた。それが、暫く続いてから、足を止めたオークは口から血を吐き出してうつ伏せに倒れ伏した。
「悪い、遅れた」
悪びれもなく翔は血振りして、ポケットの中から和紙を取り出すと刀身を拭いてからゆっくりとした動作で刀を納める。
「思ってないの知ってるよ」
一哉は肩を落としてから丘下を見下ろす。
オークとの対峙は一哉が考える以上に長かったらしい。丁度最後の一体が薙刀を担いだ男に切り伏せられるところだった。
よくよく見れば、信之達以外にも古風な得物を手にした者達の姿があちらこちらにあった。
「今日はもうしまいだな、おじさん達は取り敢えず、自分達が切ったオークの頭集めてる」
「はぁ? 何でまた」
「どっちが多く殺したかの勝負らしい」
とある一画に目をやれば、スーツ姿のオッサン二人がオークの頭を積み上げた山の前で言い合いをしている。
自衛隊員が遠巻きに見ているが、それを気にした様子もない。
「他人のフリだな」
「そうだな。ちょっと荷物回収してくる」
翔と一哉は示し合わせるも、
「おーい、若! 若が取った首も数えっからさっさと集めてくだせぇ」
下手くそな演技で恭二が大声を上げる。恭二と信之の視線の先には翔と一哉の二人しかいないわけで、自然と周囲の目も集まる。
翔と一哉はお互い視線を交わし、お互いに頷く。以心伝心、というヤツである。
一哉としてはシラを切り抜く一択だ。
が、
「わかったよ、一哉の分もあるから一緒に持ってくよ」
翔は腹をくくることにしたらしい。
手を振り、大声で返事をして、しかたねぇな、なんて苦笑して一哉の顔を見る。
一哉は無言で翔の腹を殴った。
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