第7話

人の入らない山野というのは実に歩きにくいもので、下草に足を取られることもあれば、倒木が行く手を阻む。

しっかりした足元かと思えばぬかるみでもないのに柔らかすぎる地面に足を取られそうになる。

枝の道の上は広くなったり狭くなったり、腐った枝葉で出来た地面のある場所は底が抜ける危険もある。


「予定の半分ですかねぇ」


地図を睨みながら一哉は唇を噛む。


「山歩きには多少慣れてるものだと思っていたが、これほどとは。歳は取りたくないものだ」


額の汗を拭う信之は、徐々に肉体に疲労が溜まってゆくのを感じていた。


「だがよ、この先に抜けない限りは俺たちの目的を達成するこたぁ出来ねぇ。気張れよ」


信之らの目的である、ヒト型原生生物の生息範囲はまだまだ先である。


一般に公開される前、自衛隊がゲート周辺の調査をして安全性が高い、と判断したからこそ第八号ダンジョンは公開されたのだ。管理センターで配布されている地図に記された安全区域の範囲はかなり広くなっていて侵入禁止区域まで結構な距離がある。

信之らの目標は、安全区域を抜けて侵入禁止区域まで行くことだ。さらに言えばその先で本格的な探索をしなくてはならない。


「わかってましたけど、これ、ダンジョンてよりも、もはや異世界ですね」


一哉の言葉には何とも言えない実感があった。何せ、壁で囲まれていることもなければ罠もないし、宝箱が転がっているわけではない。あるのは広大な大森林と、現実からは想像もつかない空模様だ。


「そのうちこっち側に街でも作るんじゃないのか?」


翔の言葉はただの当てずっぽうだが、こうして誰のものでもない空間が突然目の前に転がり込んでくれば誰しも考えそうなことだ。

大手企業はきっと手ぐすね引いて、大手を振ってこの土地に自身の領土を打ち立てる機会を待っているに違いない。

とはいえ樹木の上という条件は安全性や建築技術も相まって最初の一歩を踏み出すには相当な勇気が必要だろう。

そういう意味では翔の妄言とも言えるが、実際に大陸の方、中国辺りは既に大規模に人員を送り込んで即席ながらも街を作ってしまったという噂さえある。アメリカ等はダンジョン内の環境保全を理由に中国に対して強硬な態度に出始めているから、その噂というのは真実なのだろう。


一哉は思うことがあるらしく、口を開きかけるが、重なるタイミングで遠く、キャンプの方から空砲の音が三発分続いて響いてくる。


「んだよ、まだ何も出来てねーってのによ」


恭二は苛立たしげに空を睨む。

木々の隙間から、赤粉の交じる煙の痕跡が風に流されてゆくのが見える。

緊急時に打ち上げられる退避を促す合図である。赤を使うのは目立つからだろう。これは任意による避難ではなく、政府からの命令であり、強制力の高い指示で、違反した者は罰金刑が科される。


「仕方がない。戻ろう」


信之は足を止め踵を返す。

普段通りの調子だったが、お預けを喰らって肩が若干落ちている。


「まぁ、お役所も色々手探りなんだろうよ」


恭二は鼻を鳴らして後に続いた。


事実、恭二の皮肉の通りで、『探索免許』なるものは、不法侵入や世間のダンジョンに対する好奇心を押さえつけるのは不可能だと判断したうえで、その場しのぎに作られた制度であった。急ごしらえとはいえ、自衛隊の実地での情報もあったものの、様々なトラブルに対応するには力不足なのだ。

特に命の危険のある出来事には。



四人が隊列を組んでゲート方向に向かっていると、同じように探索をしていた人たちがあちらこちらからゲートへと向かっているのが見える。

彼らの手持ちのバッグや籠には採取物がそれなりに入っていて、彼らがこの場所に求めているものがわかるというものだった。


「おうおう、ぞろぞろ出てきやがったな」


恭二の視線の先には数十人からの集団がゲートへと向かって歩いている姿があった。


「朝一番から入っていた人も多そうですしね」


翔は目を細めて、彼らの手にする収穫物をつぶさに観察している。


「一応、言っときますけど、ああいうのが今のところ普通の探索者の姿ってヤツですよ」


彼らの得た動植物の内容如何によっては、日に十万から二十万を稼ぐこともある。珍しくもないもの、価値の薄いものとされる植物ですら、量を集めれば安くとも五千円から一万円。

特に公開からリードを勝ち取りたい企業が買取価格に色を付けているため何を拾っても金になる状況なのだ。


最初、一哉は彼らと同じように危険の少ない方法を目指すつもりでいたのだが、翔と友人であったことが運の尽きであった。


四人は、少し離れて彼らの後ろを進んでいたのだが、暫く行くと、森の先、ゲートまで目の前の丘のあたりで連続する破裂音が響き渡るのが聞こえてきた。

同時、先を行く集団の足が止まるのが分かった。


「なんだなんだ?」


尋常ではない様子であったが、恭二の声は弾むようで、信之も口端が若干吊り上がっている。


「行ってみましょう」


走り出す一哉を追う形で三人駆け足になる。


小高い丘のようになっている森の際、足を止める集団を分け入って先頭に出てみれば、そこはさながら戦場の様相を呈していた。


ゲートの警護として出張っていた武装した自衛官が小銃を構え引き金を引く。

銃口向かう先は身長2mを超えるヒト型の化け物で、果たして鉛弾を受けた化け物は、臆することなく疾駆し敵対者である自衛官に向かって手にした棍棒を降りかかる。

大振りのその一撃は圧倒的で死を匂わせるものの、鍛えられた自衛官は辛くも地に転がることでその狂打から逃れる。

そんな戦場がゲートの前、開けた場所にいくつも展開されている。

中には棍棒を避けそこなって屍を晒している者もいる。

自衛隊の制服を着ていない事から一般の探索者だとわかる。


「おっほほ、祭りじゃねーか。なんつったか、あの化け物。なんとかいう動画サイトで見たことあんぞ」


恭二は、目の前で死人すら出ているにも関わらず喜色を隠すことをしない。


「なんと、言ったかな。確か昔の映画の……トールキンだかの原作で……」


信之も記憶を手繰るが、なんとももどかしい思いをしていた。

昔付き合いで見た程度の映画の内容など思い出せるわけがない。


「オークですよ。まぁ、そう呼んでいるのって海外の人たちばかりみたいですけど。というか、目の前で死んでる人も居るんですから、少しは自重してください」


一哉が吠える。


「それ、オークだ。なんだ探す手間が省けたな」


信之も口元に笑みを浮かべる。


「ダメだこの人たち。翔、何とか言ってやってよ。このままじゃ飛び出しちゃうよっておいぃ!」


一哉の嘆きに翔が応える前に恭二と信之は刀を抜きはらって駆け出した。その背を見ながら一哉は舌打ちを漏らす。

放っておけば自衛隊の人たちが片づけてくれる、そのための銃であり、そのための自衛隊なのだから。


「仕方ないって、そのためにわざわざ来たんだから。大体、俺にあの二人を止められるわけがないじゃんか」


翔は肩を落として、笑いながら駆けていく五十にもなる中年男二人を力なく見ていた。

見ていたのだが、やはり翔も剣術を修めた人間である。


「あー、ヤッパだめだわ。一哉、荷物任せた。叔父さーん、俺も、俺も行きますよー!」


手を振りながら走って丘を下って行くのだった。

明らかにその声は状況に対して恐怖している様子もない。喜色しか読み取れない。


「はぁ!? ふざけんなよ」


声を張り上げても止まる様子もない。

一哉の苛立ちは最高潮で、心配した他の探索者の問いかけに対して反応する余裕すらなかった。


歯噛みする一哉は罵声を浴びせようと口を開くが、しかし、その言葉を飲み込んだ。

崖上からの俯瞰するような視点の先には、確かに自衛隊員が展開して小銃で応戦していた。だが、オークは止まる気配がない。更に言えば、ほぼ無傷。


「銃が効いてない?」


よくよく見れば、銃弾がオークの肌にぶつかる瞬間、肌の一部が弾け、血が浮かぶが、それも瞬く間に癒えてゆく。尋常ではない存在が目の前で猛威を振るっている。それだけは一哉にも理解できた。

それに気が付いているのは何も一哉だけではない。矢面に立ち小銃を構え引き金を引いている自衛官であれば、猶更その事実を目にして動揺していた。だが、彼らとしては攻撃を止めるということはすなわち、死を招くと理解している。ゆえに手は止められない。

とはいえ、彼らが携帯する弾薬の数には限りがある。


こういうの、無理ゲーっていうんじゃないのか。一哉は嬉々として丘を駆け降りる仲間三人の背をやるせない思いで視界に入れるのだった。




丘下へ駆け抜ける信之は、視線を巡らせて敵味方の配置を観る。

ゲート側には自衛隊、対してオークはそこを目指して殺到している。

前線は既に乱戦に突入しており、自動小銃がいかに優秀な兵器だとしても、入り乱れた状況で効果を発揮することは難しい。

味方を撃つ可能性がある状況で軽々しく引き金を引くことはできない。

実際には効果を上げる気配もないが、彼にとっては大した問題ではない。


「いい状況だ」


信之にとって現状、邪魔なのは自衛隊の持つ銃で、いちいち味方サイドであるはずの彼らからの不意の流れ弾は自身の不利を招く可能性が非常に高かった。

手が止まっているなら好都合。徐々に火線が散漫になりつつある現状は喜ばしいとすら思っていた。


最も近い位置にいたオークの背へと刀を袈裟に構えたまま一気に間合いを詰める。


そして、背後を取ったまま膝裏をヒト撫で。刃の通りすぎた後には、するりと、滑らかな断面を見せ、膝から上が地に転がった。




信之は、あえて、地に転がりもがくオークの肩を狙って二度刃を振るう。

切り飛ばされた二つ腕が宙を舞い、遅れてやってきた痛みにオークは迸る絶叫を上げる。

それは戦場にもたらされた戦笛の音の如く、空気を一変させた。


絶叫を耳にしたオークは足を止め、信之を視界に入れる。

同胞を、その肉体を足蹴に、背の上に立つ信之は正に敵であった。

十分に敵意をその身に受けた信之は、満足そうに刀を一振り。オークの首を跳ね飛ばす。


宙を舞うオークの首はいったい何を見たのだろうか、自身の死を見守る同胞か、それとも、見慣れぬ武器を持つ異人か。


ともあれ、信之が思うのは、これから始まる全身全霊を賭けた殺し合いを如何に満足のゆくものにするか、という事だけだ。


「ノブ、さすがだぜ。オラァ、テメェらの相手はこっちだ!」


機を見たとばかりに恭二が吠える。

獣の如き吠え叫ぶ恭二は手近なオークへ駆け寄ると袈裟掛けにその巨躯を切り裂く。油断して動きを止めていたオークは胸部から側腹を切り裂かれ腸をまき散らす。

勢いのまま、背骨まで切り裂かれたオークは喘鳴一つ上げることなく仰向けに沈んでゆく。


「アハハハハ、さすが叔父さん。イカレてるぜ」


哄笑を上げ駆ける翔は跳ねるようにして二体のオークの前に躍り出るとその手足を切り刻む。

オーク達とてただ無用にその刃を受けるような真似はしない。

身を引き、切っ先を躱し、棍棒を殺意を持って叩きつける。

が、翔は陽炎の如き体捌きで身を交わし勢いのままに切り込む。


戦場は一気に白熱した。


オーク共は小銃よりも、乱入してきた三人を脅威とみなしたのだ。

信之、恭二、翔の三人のもとにオーク共が殺到する。その勢いは兎に殺到する群狼の如きもので、オークに比べて小柄な三人はあっという間に肉の波に消える。


が、オーク達は止まらない。否、止まれない。


殺到する群れの中からは血しぶきと共に跳ね飛ばされた手足が宙を舞い続けているのだ。


恭二は力任せに、だが、鋭利な致命の一撃を連続して群がるオーク共に振るい続ける。

無尽蔵の体力を持つ恭二の動きは次第に洗練され効率的に、しかも圧倒的にオークを屠る。


が、それでも道具には限界がある。

何度目かもわからない一振りがオークの額を割ったとき、その刀身の半ばから折れた。


名のある刀匠の打った一振りであったにもかかわらず折れた。

恭二は折れる直前、切っ先がオークの額の皮を裂いた瞬間にその刀の命が尽きた事を察し、折れると同時、オークの下がってきた肩を足場に大きく飛びのくべく跳躍する。

同時、


「一哉、次だ」


声を張り上げる。


声を受け取った一哉は、一瞬躊躇した。


理由は幾つかある。

蠕動するオークの群れから三人はまだ生きているとわかっていた。

三人は十分以上に、いや、異常なまでに戦えている。

それが意外だったこと。

安堵もあったが、どうして、という疑問もあった。

だが、それよりも何よりも、この戦いに加わっていいのか、そういった疑問が不意に沸き上がったのだ。

それは、標的にされるかもしれないという微かに残っていた常識的な感覚が齎したものだ。


が、それもほんの瞬きの間に掻き消えた。


一哉は背嚢から抜き取り出した一振りを恭二に向かって全身のばねを使って投擲する。

矢の如く投射された刀は過たず恭二のもとへと吸い込まれるように飛んでいき、受け取った恭二は鞘からの抜き打ちで、手を伸ばしその足を掴まんとしていたオークの腕を切り飛ばした。


正に針の穴に糸を通す御業。


それを成した一哉と言えば、苦々しい表情で丘下の乱戦を見る。

人によっては誇っていたであろう。だが、一哉は歯噛みする。

なぜなら、一部のオークがその一連の動きを見ていたからだ。


邪魔な存在がそこにいる。彼らにとってはそれだけだ。

数体のオークが丘に向かって駆け上がる。


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