第4話
姿見に映るのは、ブランド物のスーツを着こなし、中折れ帽を被った中年男である。年のころは50あたり、顔の左側、縦に走る傷跡が威圧的でただ者ではないと思わせる。そんな中年男は薄手の黒い革手袋をはめ、姿見の横に立てかけてある革製の刀袋を肩にかける。
佐伯信之、この日ダンジョンへと初めて踏み入る。
玄関に用意してある、ドレスシューズを確認すると、靴箱のわきに刀袋を立てかけてからダイニングキッチンへと入る。
既に先に起きて朝食を用意していた妻、涼子が信之の為にご飯をよそっているところだった。
信之はいつも通りの自分の椅子に座ると帽を脱いで脇に置き、手袋を外すと、淹れたての熱い緑茶で口を湿らせる。
「今日は仮装パーティーか何かですか?」
涼子の容赦ない言葉が信之を襲った。
「恰好は気にしないでくれ」
「どうせ恭二叔父さんの悪ふざけでしょ」
如何にも金のかかった衣装である。が、明らかにダンジョンへ潜るには向いていない。普通の神経ではなかなかできない格好である。この日は、ダンジョン解禁から四日目であるが、メディアの流す映像には、様々なプロテクターを身にまとった、探索者の姿が映し出されていて、信之の格好がどれほどふざけているのか一目でわかろうというものだ。
白米に納豆、それに具沢山の味噌汁で朝食を済ませた信之は歯を磨き、迎えの車が来るのを待つ。予定ではそろそろ、恭二の手配した車が家の前に来ることになっている。
十分もしないうちにインターホンが鳴り、迎えが来たことを知らせる。
玄関に立つのは送迎会社の運転手のような制服を身にまとった男で、信之も涼子も見知った人物だった。なにせ、信之の所属する剣友会のメンバーの一人なのだから。
「あら、槇村さんまで巻き込まれたのね」
という涼子の冷ややかな視線に対し、運転手、槇村は困った顔で信之を見た。が、信之はそれを気に留めた様子はない。
「そうだ、涼子。これを」
信之が懐から出したのは一通の封筒。それを涼子へと手渡す。
「俺に万が一があったら封を開けてくれ。一応、紛失した場合に備えて弁護士に同じものを渡してある」
淡々とした言葉に涼子は怒ったように目を細め信之を睨む。
「冗談にしては笑えませんよ」
「冗談の類じゃない。滅多なことが起きないよう努力はするが、それでもダンジョンだ。完全に安全じゃないのは、調べて分かっていることだ」
涼子は無言のまま信之の言葉を待つ。
「夕食までには戻るよ」
信之はそれだけ告げて扉を潜った。
家の前に停まっていたのは全長6メートル程のリムジンで、先ほどのシリアスなやり取りを吹き飛ばす程の威力を持っていた。
「佐伯様、こちらへ」
と槇村が先導し、後部座席への扉を開く。
呆然とする信之は、
「槇村さん」
力なく声を掛ける。
「なんでしょう」
「いえ、槇村さんはこういうの運転できたんだね」
と言えば、
「私の本業は運転手ですので特殊車両以外なら大抵のものは何でも」
当たり前のように答えるのだった。
信之が後部の扉から乗り込めば、中には既に恭二、翔、それに一哉が揃っていた。
「俺が最後か」
わかっていたが、仲間を待たせたようで、少し気になってしまうのは仕方がないだろう。
「お前んちが一番ダンジョンに近いからな。槇村出していいぞ」
奥でふんぞり返る恭二が運転手に向かって声を張り上げる。
恭二の格好も正にマフィアスタイルで、ブランド物の派手なスーツにサングラスに中折れ帽ときて、この日は葉巻まで用意している。
誰が見ても堅気の人間とは思わないだろう。
「本当にこのまま向かうんですか」
と諦めた様子なのは、信之の甥にあたる翔で、外見だけならスーツに派手な細めのマフラーに金属アクセサリーと同じく中折れ帽で、マフィア風である。
「当たり前だ。それと今日一日お前は若だからな。忘れるなよ。いや、道場の後取りだし名実ともに若で間違ってねーんだがよ」
がはは、と恭二は笑う。正に悪の組織の幹部という肩書が似合いそうな人物である。
対して、一番離れた場所で我関せずと頬杖をついているのは一哉である。
その恰好は、ゴシック、メイド、といったキーワードが飛び出てくるような格好で、頭にはいわゆるブリムが乗っかっている。
あれは無関心というよりも、完全に拗ねている。
「恭二、格好は統一するって言っていたはずだが」
「わかっちゃいたんだがアイツ、マジでスーツ姿似合わねーんだよ。服に着られてるって感じでよ。だから、急遽槇村の娘から借りて着せた。アイツの娘スゲーんだわ、色々持ってて、しかも化粧までしてくれてな。あの格好ならどこに出しても恥ずかしくねーぞ」
確かにどこからどう見ても今は女性のそれにしか見えない。骨格がもたらす違和感も、服のデザインがカバーしているように見える。が、そうじゃないだろう、と信之は思った。思ったものの、ポーターの仕事に差し支えなければいいだろう、と納得した。
日本全国に『突発的に出現した森林、および、未踏査空間』通称『ダンジョン』は現在確認されているだけでも数十か所を超えるが、一般に公開されているのは全国でも十八か所となっている。その一つが、S県S市の南区にあるもので、首都に近いことから利用者数も最も多い。公開から数日しか経っていないが、日当たりの利用者数は平均して3万人前後で、免許交付がほぼ毎日行われていることから、利用者はまだまだ増えると予想されている。
『ダンジョン』へ入るためのゲートは直径20メートルほどのドーム状の建物で、ダンジョン自体は高さ5メートルほどのコンクリートの壁で覆われている。一部はまだ金網だが、いずれすべてコンクリート製になるそうだ。また森の範囲は一キロ平方にもなり、森の発生時、多くの住人が住居を失っている。(森の発生から成長は一時間に10メートル平方とゆっくりだったため避難は問題なく行われた)
そして、その壁と外を繋ぐ施設こそ『未踏破地域探索管理センター』である。
探索者としてやっていこうという若者や、おそらく信之たちと同じく武道の技を実戦に用いてみたいという者達がおおく集まって、受付の為にロビーに集まっている。それだけではなく、立ち入り許可が出てまだ日も経っていないせいか、入り口付近では報道陣が多く詰めかけ、撮影やインタビューを行っている。
そんな中、リムジンで入り口に乗り付ければどうなるか、考えてみればすぐにわかる。
報道陣のカメラがフラッシュを焚いて出迎える。
おそらく最初に「なんかよくわからんけどスゲー奴が来たに違いない、とりま写真撮っとこ」、とか考えたヤツがいて、他の連中はそれにつられてシャッターを押したのだろう。
後々冷静になって考えると、あれって誰だったんだろう、となるに決まっている。が、当人たちは勢いでシャッターを切る。
エントランス前の降車場に停まったリムジンから、まず運転手の槇村が降りて後部の扉を開ける。そして、フラッシュを受けつつ恭二が堂々とした所作で降り右に避ける。続いて信之が降りて左に避ける。そして、頭を下げて若こと翔が降りてくるのを待つ。
翔が降りてくると、さらに激しくシャッターの音が響き、フラッシュが瞬く。
翔は顔をしかめて、
「騒々しい、不愉快ですね」
吐き捨てる。
「今どかせます」
恭二は、普段からは想像もできない丁寧な口調で若こと翔に頭を下げる。
「おら、見世物じゃねーぞ、散れ!」
窓ガラスをも振るわせる大音声に、辺り一帯を威圧する。解き放たれた暴力的な空気、気配は報道陣の動きを止めさせるのに十分以上の効果を示していた。心構えが出来ていない者がその威圧を受けると、まるで殺意に満ちた猛獣の前に裸で立っているような錯覚を受けたであろう。
静まり返る報道陣を無視して、
「さ、若。こちらへ」
恭二は予定通り翔の少し前に立ってロビーへと歩いていく。信之はそんな二人の少し後ろに立って辺りを警戒するポジションである。外見だけならインテリヤクザであるが、心の中では少しばかり報道陣に同情していたりする。
因みに一哉は三人が離れるのに合わせてリムジンから降りると、後部トランクに収められた荷物を背負い、三人の後ろに小走りで付いてゆく。背負われた荷物は、いわゆる〇ーバーイーツの鞄を三段くらい重ねたような大きさで、半開きの上蓋から数本の刀が飛び出ている。三人とは別の意味で目立っていた。
ロビーに入れば静かなもので、受付までもスムーズである。
受付では持ち込む荷物の確認が行われ、探索免許との紐づけが行われる。恭二、信之、翔の三人の持ち物は刀がそれぞれ一振りだけなので記録も検査も簡単に済む。
が、一哉がいけなかった。まず荷物が多い。四人分の水と食料。それに予備の刀剣。キャンプ用の道具類等細々としたものもそれなりになる。
が、何よりも時間がかかったのが本人確認である。
「伊藤一哉さん本人で間違いありませんか?」
という検査官の問いに対して当然、
「間違いありません」
と応えるのだが、化粧のせいもあってか、なかなか本人と認められず、30分近い足止めを食らってしまったのだ。揉めに揉めた挙げ句、半ギレ状態の一哉は、
「そんなに疑うんならここで脱いでやる」
と騒いで別室に連れていかれ、女性の検査官が呼ばれて、個室で検査した結果本人と認められ無事にダンジョンに入ることができる事となった。ただ、検査が終わり、個室から出てきた一哉は顔を真っ赤にして涙目になっていた。
信之ら三人は、何が行われていたのか気になったものの、一哉の名誉のために聞かないことにした。これ以降、恭二は一哉に対して少し優しくなった。が、メイド服の着用に関しては一歩も譲らず、
「だってその方がギャップもあって面白いだろ?」
という言葉に恭二の性格が現れていた。
その日の某匿名掲示板では、早々に「地雷探索者、要注意人物」として、若、ドン、インテリヤクザ、ちっぱいメイドのキーワードと共に晒されることとなったのだが、彼らは知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます