21.市瀬兄妹

【04:20】

「馬鹿な」


 あり得ない、と佐武郎は思った。

 いくら中国軍でも、戦術核まで用意し、あろうことか彼らに持たせていることなど、あるはずがないと思った。


(だが、これだけの兵にこれだけの兵器……榴弾砲すら持ち込んでいた。なら――)


 なら、なおさらだ。

 戦術核を持ち込んでいるなら、それだけでよい。

 卒業式が始まるのを待つまでもなく起爆すればよい。

 できることなら時計塔の近くで――それで、星空煉獄は確実に抹殺できる。国際問題スキャンダルにはなるだろうが、物的証拠は残らない。それこそ、武器をロシア製で統一しているようにロシアにでも擦りつければよい。


欺瞞ブラフだ。あり得ない。やつは兄を連れて逃げるつもりだ)

「待て、立花! ダメだ。それだけはダメだ!」


 瓦礫の向こうから狼狽えた声が聞こえる。とても演技とは思えない、真に迫った声だ。


『演技じゃないよ、さぶろー。少なくとも、市瀬拓はあれが戦術核だと思ってる』


 リッシュだけが市瀬拓の表情を確認できる。だが、それだけでは判断材料としては弱い。さすがに戦術核が持ち込まれているとはリッシュにも信じがたい。ゆえに、あくまで慎重な断定に留まった。


「兄さん、悔しいですよね。このまま負けるのは。ですが、戦術核これでぜんぶ引き分けです。これもこれで悔しいですけど、負けるよりはずっといいですよね」


 その言葉はブラフだ。本当にそう思っているならわざわざ姿を見せる理由がない。こうして姿を見せたのは脅しとしてちらつかせるためだ。


「わかった。なにが望みだ」


 佐武郎は立花に向けて語りかける。


「“わかった”? なにがわかったんですか? わたしは“最後の手段”を発動するのに兄さんの了承を得に来ただけです。起爆装置には二人の認証が必要ですので」

(もっともらしい理由で穴を埋めてきたか……!)


 それこそあるはずがない。作戦が失敗したあとでの“最後の手段”であるなら、その時点で市瀬拓は死亡している可能性が高い。戦術核の起爆は立花一人で可能なはずだ。


「市瀬拓! あれは嘘だな? 起爆にお前の認証など必要ないはずだ」


 佐武郎はあえて兄の拓に対して揺さぶりをかけた。


「……私は、戦術核の使用など反対だった! そのためのセーフティロックだ!」

(くそ、思ったより頭が回る――!)


 拓も状況を正確には把握できていないはずだ。戦術核の使用に反対なのも確かだろう。それでも、あえて立花の“設定”に乗った。桜佐武郎は間違いなく“敵”であるからだ。

 佐武郎にとって最悪なのは戦術核の起爆であり、望みはそれを避けることである。

 一方、兄妹の望みはなにか。起爆をちらつかせている以上、「命は助けてやる」などと言ったところで建前上は通用しない。むしろ、命を握られているのは佐武郎の方なのだ。


(妹の望みは兄の解放。そのはずだ。だが、「本当に起爆するかもしれない」という可能性を拭い切れない……!)


 もはや戦術核がそもそも欺瞞であるという可能性など頭から抜け落ちていた。戦術核あれは本物だとすでに信じ込み、その前提で思考していた。


「桜佐武郎さん。わたしは兄に用があります。どいていただけますか」

「それが起爆のためだというなら、退くはずがないだろう……!」


 佐武郎はAKを構えた。直後、完全に後手に回ってしまったと後悔した。


(なにをしているんだ俺は。四の五の言わずに撃っていれば……!)


 距離はあった。それでも、一発で仕留めることは佐武郎にとって難しくはない距離だった。不意をつけば、急所を撃ち抜き即死させ起爆を阻止することができた。それが最善の解決だった。

 飲まれていた。

 市瀬立花はあとほんのわずかな操作で起爆できる状態かもしれない。急所を外せば残りの力で起爆されるかもしれない。撃とうとした数秒で起爆されるかも知れない。

 そのおそれが、佐武郎を威嚇という保身に走らせた。


「退いてもらいます。力づくでも」


 空間に扉が開く。銃口が覗き、二人の男が姿を見せた。AKを構えた二人の兵である。


(まだ手駒がいたのか……!)


 こうなっては佐武郎も退くしかない。その二人の兵は異能者だと直感した。わずかな動作、姿勢、視線――隙が感じられない。先まで相手をした人間とは明らかに異なる威圧感があった。


(すぐに撃たないのは……俺の異能を警戒している? なら、そこで欺瞞ブラフを仕掛ければ……)


 だが、少なくとも拓には「なんらかの索敵系」であると思われているはずだ。そもそも、どのような異能であればこの状況を打開できるのか。


(兄をすぐにでも殺せると暗に示して脅すか? 戦術核による自爆を仄めかしてる女にそんな脅しが通用するのか?)


 市瀬立花が近づいてくる。建前上は戦術核の起爆のため。そして、と確信しているからこそ、佐武郎は退かざるを得ない。


(どうすればいい……このまま市瀬兄妹を逃すのか?)


 ここで逃して、「次」はあるのか。

 たとえば狙撃だ。逃げたふりをしてSV-98を回収し、狙撃する。弾はあと一発残っている。ただし、あと一発だ。二人が合流したのなら、どちらを先に撃ったとしても、残った方が起爆する。


(ダメだ、ここで逃しては「先」がない……)


 佐武郎は揺らぎはじめていた。先に市瀬拓によって問われた言葉が頭をよぎった。

 ――なんのために戦っているのか。

 そもそも、そこまでして彼らを殺さねばならない理由はあるのか。イリーナの解放。任務の遂行。それに、いったいどれほどの「意味」と「価値」があるというのか。


『さぶろー……』


 リッシュは佐武郎と繋がっている。苦悩も葛藤もすべて共有している。だからわかる。


『勝てないよ、あの子には』


 ***


「立花……」


 妹が歩み寄る。戦術核を抱えて、兄のもとに。それは決して取らせたくはなかった最後の手段だった。


「ふふ。兄さん」


 妹は笑い、そして。

 それを放り投げて、兄を強く抱きしめた。


「わたしが、戦術核こんなものを起爆するはずないじゃないですか」


 兄はただ呆気とられ――


「そうか」


 息をついて、優しく抱き返した。


「わたしは、ただ最期に兄さんとこうしていたかっただけです」

「……最期?」

「はい。最期です」

「まだ、終わってはいない。負けてはいないはずだ」

「いいえ。もう負けました。わたしたちの惨敗です。ですが、ただ負けるのは悔しいですよね」

「……なにが言いたい」

「戦術核の起爆装置は破棄しました。そこにあるのはただの証拠品です」

「立花――」

「悔しいじゃないですか。負けたうえに、あいつらの言いなりのまま死ぬなんて」

「だが、それでは…•…」

「わたしたちがあいつらに従わなければならなかったのは、あいつらが父さんを生かしているからでも、ましてや解放してくれるからでもありません。ただ、良心を利用されていただけです。父さんを裏切れない、その気持ちを――」

「…………」

「言っていいですか。兄さん。わたしは悔しいです。ここまでして勝てなかった。そのうえで、その責任まで被れというのでは、あまりに悔しいです」


 それは、市瀬拓にとって一番聞きたかった言葉なのかも知れなかった。


「本当に悔しいです。父さんはまだ生きていて、助けられるかもしれない。それを諦めるのは悔しいです。ですが、自爆して任務を果たしたからといって、父さんが助かると思いますか?」

「…………」

「助かりません。絶対に。父さんは、わたしたちを縛りつけるための枷として生かされているんです。わたしたちが死ねば、生かしておく理由はありません」


 妹はふだん口数こそ少ないが、話すべきときにはハッキリと物を言う。兄が考えることを避けていた領域まで踏み込み、おそれず深く洞察し、自分なりの答えを出して、それをぶつける。


「だったら、できることはもう。すべての証拠を置き去りにして、あいつらに精一杯の迷惑をかけるんです」


 兄は心のどこかで、戦術核という最後の手段を拠り所としていた。追い詰められるほどに、「最後にはあれですべてをひっくり返せる」と、星空煉獄を嘲笑ってやろうと思っていた。

 だが、あんなものは“敵”ではない。そう気づいた。気づかされた。

 この戦いには、なんの「意味」も「価値」もない。


「ですので、こちらにしましょう」


 取り出したのは、小さな破砕手榴弾である。


「待て。だがお前は……お前だけでも、せめて……」

「いいえ。わたしたちは、あまりに殺しすぎました」


 千にも及ぶ兵が、わずか数名を残して死に絶えた。多くは身元の判別もできぬほどの肉片となっている。それは兄の〈思操〉によって無私の兵となり、妹の〈収容〉によって狂気の戦場に運び込まれたものだ。


「違う、私だ。このありさまは」

です。死に方を選べるだけ贅沢なんです。そして選べるなら、今、ここで――これが、わたしたちに残された最高の形です」

「お前は誰も殺していない!」

「兄さんに甘えていただけです。なので、最期に一人だけ殺させてください」


 震えている。その震えを、止めてやらねばならないと思った。


「……いいですよね?」

「ああ。わかった」


 兄はただ言葉は短く、強く抱きしめることで返した。


「最期に、いいですか」

「なんだ」

「その話し方、似合ってないですよ」

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