20.市瀬拓⑤/桜佐武郎②

【04:09】

 SV-98に残されていた弾は六発。イリーナが二ノ宮に撃ったのが一発。

 だが、SV-98の装弾数は十発である。残り三発はどこへ行ったのか。

 佐武郎はあらかじめイリーナが抜き取っていた可能性に思い至った。イリーナとの情報のやり取りに使っていたデッドドロップのポイントを、佐武郎は再び捜索した。

 そこで彼は残り三発の弾薬を発見する。


(ようやく意図がわかった。彼女は、おそらくなんらかの異能によって動きを封じられている。ゆえに、こうまで回りくどい手で俺にSV-98を送りつけた)


 狙撃銃でその原因を取り除くこと。それこそがイリーナの期待している行動だ。


(市瀬拓か。これだけのことをしでかしたとなると……中国だろうな。星空煉獄を斃せるならそれでよかったが、失敗したのであればここで始末する。俺には俺で、やることがあるからな)

「リッシュ。市瀬の位置はわかるか?」

『んー。中央広場の……あのへんかな? 時計塔だった瓦礫ものがめちゃくちゃ転がってるから、死角が多いよー』


 市瀬に残る兵力はわずか十数人。だというのに、まだ諦めていない。自暴自棄にはなっていない。死角の多い場所に逃げ込んで息を潜めているのはそういうことだ。


「……この位置からでは難しいか。場所を移すにしても――」


 市瀬の配下である狙撃手がまだ残っている。目立つ動きを見せれば彼らに発見される危険性があった。


(手前の兵を撃ち、射線を通す。やつが狼狽え、動きが遅れれば――二射目でれる)


 思惑は外れた。市瀬の判断と動きは早く、すぐに身を隠されてしまった。


「あのときの愚図どもとは違うというわけか……!」


 佐武郎は狙撃銃を捨てた。ここからは、接敵して仕留める。


 ***


【04:11】

(狙撃が通用しないとわかれば距離を詰めてくるはずだ。すぐに場所を移らねばならない。しかし――)


 いくつかの可能性が頭をよぎる。


①敵はまだ狙撃を諦めていない。こちらが顔を出すのを待っている。

②敵は一人ではない。狙撃手は未だに構え続け、一方で距離を詰めてきている敵もいる。

③敵は一人。狙撃位置からはすでに移動しており、距離を詰めてきている。


 この場から即座に移動するのが得策である場合は③だけだ。市瀬は直感的に③であると考えたが、悪い可能性が頭から離れない。

 狙撃手は一度撃てばすぐに場所を移動するのが鉄則セオリーである。撃たれた側はその位置にいつまでも狙撃手の幻影を見るからである。頭でわかっていても、その幻影を振り払うのは難しい。


(いや……俺は馬鹿か)


 狙撃手には狙撃手をぶつければよい。そんな簡単なことにすら頭が回らないのかと彼は自嘲した。彼は無線機を取り出す。


「市瀬拓だ。敵狙撃手に狙われている。中央広場より推定距離400m。方角は――」


 ふと、違和感に気づく。


「市瀬拓だ。狙撃班、応答せよ」


 返答がない。


(まさか、狙撃班もすでに全員……? 否!)


 無線機の故障であった。星空煉獄のためか、あるいは有沢ミルに運ばれたときか。原因は不明だが、とにかく無線機は使い物にならない。


(くそ。だが、狙撃班が仮に生きていて、私が狙われていると知ったなら――独自判断で動くはずだ。彼らにはそう〈思操〉を施している。そして、佐武郎てきもそう考える。ならば、やはり③だ! 仮に敵が複数でも、同じ位置に留まり続けることはできない!)


 ***


【04:12】

(いない……すでに移動したか)


 道中で拾ったAK-47を携え、佐武郎は市瀬が隠れていたはずの瓦礫裏まで迫った。だが、どうやら敵が一枚上手だった。


『さぶろー! 後ろ!』


 リッシュの警戒網に敵がかかる。佐武郎は即座に振り向き、伏兵を掃射した。装備は同じでも、異能者とただの人間では瞬発力に差がありすぎる。一対三であろうと勝負にはならない。素早く精確な射撃で、佐武郎は無傷のまま敵を斃した。


(やはりただの人間か。武器を持ち込んだのと同じ方法で人間も持ち込んできたのだろう)


 死体のマスクを剥いで顔も確認している。東洋人――中国人でほぼ間違いない。


(では、市瀬拓はなにものだ? 中国の異能者か? どうやって中国は異能者を、それも秘密裏に入手できた?)


 謎は多い。佐武郎は考える。

 市瀬拓を捕らえ、尋問するか。あるいは、疑問は置いて即殺すべきか。


「リッシュ。敵の位置は?」

『そこらじゅうに潜んでるねえ。えーっと、市瀬はどこかな。あ、いたいた。遠くないよ。というか、すぐそこの裏だね。右手がないから左手で拳銃構えてる』

「よくやった。周りの雑魚から片付ける」

『よくやった?!』

「……どうした」

『いや、褒めてもらうの……なんかすごい久しぶり……』

「……そうだったかな」


 佐武郎は考えていた。即殺すべきか、尋問すべきか。

 迷う必要はないように思えた。だが、なにか漠然と嫌な予感を覚えていた。


 ***


【04:14】

 市瀬は陰に潜みながら耳を澄ませる。足音と銃声。かなり近い。予想通り、狙撃から隠れた物陰まで接近してきた。

 兵を伏せてはいたが、返り討ちになったと見るべきだろう。桜佐武郎はそのポイントを見るかぎり、高い実力を持っている。ただの人間が小銃で武装して数人が束になった程度で仕留められる相手とは思えない。


(! また銃声……迷いがない。兵を伏せている位置がバレているのか?)


 桜佐武郎の異能は不明だ。それが索敵系のものであれば伏兵はなんの意味もなさない。市瀬は歯で咥えて拳銃のスライドを引いた。利き腕を失い、血も失っている。そのうえ武器が拳銃で、敵が戦闘向けの異能を有しているなら。

 勝ち目は、絶望的に低い。


(せめて無線が通じれば……)


 またしても彼は己の愚を呪いたくなった。

 無線なら、兵が持っている。指揮系統の混乱を避けるためすべての兵が持っているわけではないが、分隊長以上であれば支給している。つい先ほどまで話していた兵がそうだ。


(どこだ。もう死んだか? 死んでいても構わん。無線さえ手に入るなら……)


 一刻の猶予もない。伏兵が次々に倒れている。敵はなんらかの索敵系異能を持っていると判断して間違いない。であれば、原始的な通信手段に頼ることも、もはや躊躇う理由はない。


「分隊長! どこだ! 我が元へ来い!」


 声を張り上げ、呼びかける。だが、動きもなく返答もない。

 そして、やがて銃声が止んだ。


「分隊長というのはこいつだろうな」


 背にする瓦礫の向こうから声がした。それから放り込まれてきたのは生首である。


「……わざわざ首を切り落としてきたのか?」

「もう少し怯えてくれないと張り合いがないな。とはいえ、それもそうか。お前にとってはこいつらはただの駒なんだろうしな」


 姿こそ見えないが、市瀬拓は確信した。

 数分にも満たない会話だったが、この声は――やはり、桜佐武郎であると。


「くは。そんなに私と話がしたいのか? あのときはすぐに帰ったくせに」

「ん? ああ。そっちの方が覚えていたとは驚いたな。いや、ああやって駒を集めていたのなら顔と声を覚えるくらいは当然か」

「余裕だな。私を殺すんじゃないのか?」

「そのつもりだ。だが、死体は話せないからな。その前に聞きたいことがある」


 瓦礫を挟んで、互いに背を向け彼らは会話を続けていた。


「お前は中国人なのか?」


 ***


【04:16】

 返事はなかった。

 ただ、黙って逃げたというわけではないのは把握していた。リッシュが佐武郎の代わりに監視していたからだ。彼女がいうに、市瀬は俯いたまま押し黙っているという。


「どうした? 中国の関与を否定したいのはわかるが……いや、そこで黙っていては暗に認めているようなものだぞ」

「私は」


 小さな、呟くような声が返ってきた。


「日本人だ」


 かろうじて聞こえるような、か細い声だった。


「なるほど。国籍は日本か。では、ならばなぜ中国に協力している? 亡命でもしたのか? いや、亡命したなら国籍は中国か……」

「なぜそんなことを聞きたがる」

「俺の正体についてもおおよそ察しはついてるだろ? ならわかるはずだ」

「自分では明言を避け、私から一方的に情報を引き出そうとするそのやり口は気に入らんな」

「俺がロシアの工作員スパイだからだ。この件に中国が関わっているなら、その証拠を押さえ背後関係を洗うことで外交上のカードを本国に持ち帰りたい。これでいいか?」

「わかりやすいな。ずいぶんと、わかりやすい……」

「話せば、できるだけ楽に殺してやる」

「くく。なんだその譲歩は。君もスパイならわかるだろ。スパイというのは、そんな程度の取引材料で口を割るものなのか?」

「お前の望むものがわからないのでね。星空煉獄を殺したいらしいのはわかるが……あれなら生徒会がじきに斃すだろう」

「本当にそう思うか? 生徒会ごときが……星空煉獄を斃せると本気で思うか?」

「十中八九な。まあ、仮に斃せなかったとしても問題はない」

「なに?」

「俺が斃す。これは取引材料になるか?」


 またしばらく、返事はなかった。


「……そうだな。実のところ、別に話しても構わないんだよ。こうまで徹底的に敗北したのであれば、我々に残された手はない」

「一つ?」

「代わりに答えてくれ。桜佐武郎。君は、なんのために戦っている?」


 ***


【04:17】

 今度は市瀬が長い沈黙を待つ番となった。

 同じ質問をしたとき、星空煉獄は「卒業のため」だと即答した。悩む必要がなかったからだ。

 桜佐武郎は返答に手間取っている。別に本気で悩んでいるわけではないだろう。どう答えれば気に入られるか。どんな答えを望んでいるのか。そのために頭を使っているに違いない。


「そんなに難しい問いかけをしたつもりはないのだがね。祖国ロシアのため――とでも適当に答えればいいじゃないか」


 やはり返事はない。


(私の異能には制約が多い。“会話”に対面は必要ではないが、なければ効果は著しく落ちる。さらに、こうして長い沈黙が挟まるのもよくない。それを計算したうえでの沈黙か?)


 あるいは、こうして返事を待っている間に回り込み、騙し討ちを仕掛けるつもりか。どちらにせよ市瀬には打つ手がない。


「俺は」


 声だ。少なくとも、佐武郎はまだ瓦礫の向こう側にいる。


「俺は――“なにか”のために戦いたかった。だが、今は任務を遂行している。それだけだ」


 想定にない、奇妙な返答だった。「祖国のため」「任務のため」予想していたのはそんなところだ。なにより予想と異なっていたのは、内容よりも声色である。


(なにか深刻な事情でも匂わせ、悲壮感を演出して同情でも引こうと……?)


 そう邪推することもできた。市瀬が「日本人だ」と告げたことから事情を察して、「中国に脅されている」との推論に至ることはあり得なくもない。スパイであるなら、その方面の感情的揺さぶりを行う訓練も受けているだろう。


「“はい”か“いいえ”で答えてくれ。今は、任務のために戦っている。そうだな?」

「……そうだ」


 だが、その声は、あまりにも真に迫って感じられた。

 あるいは、本当に――、と思えるほどに。


「そうか。待たされたわりには退屈な答えだ」


 憎まれ口を叩きながらも、彼の心は揺れはじめていた。しかし。


「……ダメだな。やはり君に話すことはない。やはり話さないでおこう。念のためだ」


 心残りは妹・立花のことだ。兄が倒れたあと、彼女は一人で任務を背負うことになる。星空煉獄が斃されたなら、なおさらだ。そのことを思うと胸が痛む。いっそ心中でもした方が楽なのではないかと思う。

 それでも、妹には生きていて欲しかった。妹から「自由」を奪うことはできなかった。


「ダメですよ、兄さん」


 ***


【04:19】

 まだ伏兵がいたのか、と佐武郎は思った。悠長に尋問など試みるべきではなかったと思った。

 現れたのは少女である。黒髪ロングの少女だ。その顔に見覚えはなかったが、彼女の発した言葉からなにものであるかはすぐに察することができた。


「……桜佐武郎さん、ですね? あなたのことですから、わたしのことも、わたしの異能についても理解できているのではないかと思います」


 少女は、バスケットボール大の球体を抱えていた。ゲージに覆われ、金属製の鈍い光を放っていた。


「わたしの異能は〈収容〉です。この学園にあるはずのない兵士や武器を大量に持ち込んだのはわたしです。そして、これだけのことができるなら、兵器がなんであるか――わかりますよね」


 佐武郎は息を呑んだ。それは、無意識に考えることを避けていた最悪の可能性でもあった。そして、市瀬拓を即殺する選択になぜ嫌な予感を覚えていたのか。その可能性を無意識に気づいていたからだと理解することができた。


です。すべての物的証拠もまとめて消すことのできる最後の策。中国軍スポンサーもできれば使用を避けたい奥の手。兄妹わたしたちにとってもそうです。桜佐武郎さん、あなたにとってもそうですよね」

 ――市瀬立花(二年) 烏合の衆 2Pt――

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