3.決戦前②
イリーナ・イリューヒナはある懸念を抱いていた。
ロシアの
(だが……)
イリーナはそこで考える。
ならば、“敵”にも同じことができない道理はない。ロシア以外にも同じことを考え、実行しようとする勢力がいてもおかしくはない。
卒業式前の図書館はその一部が解放されている。
イリーナはその懸念のため「転入生」の資料を集めていた。
この二年間で学園に転入してきたものは四十四人。本土で発見される異能者は多くが低年齢であるため、ほとんどが中学への転入となる。その時点から
(いや……、日本が堂々と条約を違反している可能性もあるか)
学園の異能者に接触することは禁じられている。生活物資の配給や学園機材のメンテナンスにおいても厳密な規定がある。だが、約束とは常に破られるものだ。そこまで考慮に入れると想定される“敵”の規模はさらに膨れ上がる。
(簡単な話だ。私から動く必要はない)
イリーナは資料を棚に戻し、図書館をあとにする。背後からの視線に気を配りながら。
「私に用か?」
曲がり角の直後、イリーナは尾行者の背後をとった。
「クハ。やるなあ!」
尾行者の正体はスキンヘッドの男。おそらく三年。顔に見覚えはない。
「いやなに、なんだ、オレもアンタに気づかれてるってのは気づいてた。だが、いやしかしよ、ここまであっさり背後を取られるとは思ってなかった。いやまったく思ってなかった!」
「式外だから殺されることはないと思っているな?」
イリーナは語気を強め、尾行者の背にナイフの切先をちくりと刺した。
「待て待て! 待て待て待て! 尾行ってのはちょっと品がなかったかも知れん、ちょっとな。ただ、オレたちはアンタと敵対するつもりはない。むしろ協力したいくらいだ」
「私と? なぜだ」
「まあ、それはまあ、アンタの正体にもよるんだけどな。ひとまずそれを探るために
「なんの話だ」
「アンタ、アレだろ。アレ。ロシアからの刺客だな? そうだよな?」
「私は留学生だ」
「そうじゃなくてな。そうじゃなく……もっとこう、専門的な訓練を受けて、それっぽい機関から送り込まれてる。そんな感じだろ? なら、オレたちとは利害が一致するはずだ。ボスのとこに案内する。話だけでも聞いてってくれ」
「お前は」
「ん?」
「なにものだ」
「クハ、オレか。オレのことか。オレは網谷葵。アミャって呼んでくれ」
男は、スキンヘッドを撫でながら答えた。
イリーナが網谷に案内された先は、寂れた談話室であった。古びた本棚に壊れかけの冷蔵庫が見える。ソファに座り、迎えたのは一人の男。やや太めの、それ以外は特筆するようなこともない平凡な男である。
「うむ。はじめまして。市瀬拓だ」
彼はそう自己紹介した。
「どうぞ、イリーナさん。腰を下ろして構わないよ」
「このままでいい」
座るということは初動に「立ち上がる」という動作が追加されるということである。イリーナは警戒を緩めていなかった。
「気持ちはわかる。留学して一週間。異邦の地に降り立ち、友達らしい友達もなく、孤独のまま過ごしてきた。声をかけられることもあまりなかっただろう」
「本題は?」
「そう焦ることもないだろう。世間話からはじめた方が互いを知れることもある。それにしても、ずいぶん流暢な日本語だ。もう一人のヴァディムとかいうのは全然話せる様子じゃなかった。ポテチでも?」
市瀬は歓待としてポテチの袋をテーブルの上に広げた。
「うむ。なにから話そうか。我々は“烏合の衆”――そう名乗っている。なかなか気に入ってるネーミングでね。あえて自分から名乗るというのが――」
「本題は?」
イリーナの声は低い。市瀬は一つ咳払いをして、話を続けた。
「うむ。我々の目的は星空煉獄の打倒にある。そのために人員を募っている。君にも参加してもらいたい」
「断る」
「おっと、釣れないな。君は――ロシアの
「留学生である以上、はじめからその目的を持っている。なにを根拠に私をそう断じる?」
「私もそうだからだよ。私もまた、目的を持ってこの学園に来ている。転入手続きを経てね。君の動きはしばらく網谷に観察させていたが、私が転入してきた当初とあまりに酷似していた。同じ
イリーナにとっては想定の範囲内だ。情報収集の動きを見せれば、同様の勢力の目につくことを計算していた。ただ、聞いておくべきことがあった。
「お前を送り込んだのは誰だ? 少なくとも日本ではないな」
日本であるなら、イリーナにとっては紛うことなく“敵”だ。むしろ、星空煉獄を保護する立場にあるはずだ。だが、市瀬の口ぶりは違う。
「どこだと思うね?」
「中国だろう」
市瀬は目を丸くした。本気で驚いているのか、演技なのかはわからない。
「どのような経緯で中国が異能者を得たのかは不明だ。ただ、中国は異能者に強い関心を示していた。お前の言葉が真で、私と利害の一致する立場だというなら、中国が最も可能性が高い」
「……すごいな」
市瀬は感嘆を漏らした。
「当ててみせたことがじゃない。あくまで推測に過ぎないことを堂々と語ることで揺さぶりに来ている。こちらの態度で真偽を測るつもりなのだろう。ずいぶんと――」
「もう一つ聞きたいことがある。お前の妹はどこだ?」
この質問には本気で驚いているように見えた。
「そこまで調査済みとは。うむ。協力を求める以上は隠し立てはしないでおこう。立花」
市瀬が呼ぶと、奥に控えていた少女が姿を見せる。黒髪ロングで淑やかな雰囲気を持つ少女だ。顔を伏せ、内気な性格に見える。
「彼女が我々の作戦の要になる。立花、なにか一つ見せてみなさい」
「……はい」
市瀬立花は言われるままに前に出て、机の上に手を置いた。
「!」
今度はイリーナが驚く番だ。
なにもない空間から自動小銃――AK-47が現れたのだ。
「武器を持ち込んでいるのか……!」
「そうだ。彼女の異能は見ての通り。〈収容〉――あらゆるものを持ち込める。わかりやすくいえば、容量無限の倉庫を常に持ち歩いているようなものだ。そのうえ重量はゼロ。すごいだろ?」
「理解した。星空煉獄を斃す切り札というのも頷ける」
「我々が欲しいのは仲間だ。多くの仲間だ。君の持つ知識と経験は我々にとって大きく有用なものとなるだろう。たとえば、訓練教官としてね。君に頼みたいのはそれだ。悪い話ではないだろう? 我々は君に武器を提供できる。君の目的が星空煉獄の打倒以外にもあるかは知らないが、その役にも立つはずだ」
「…………」
「まあ、ここまで話したのだ。逃すつもりはないがね」
***
市瀬拓は寛いでいた。ポテチを摘まみながら、資料を眺める。
白紙の空間――ただし、雑多な物品が敷き詰められ、数百人以上の人間が犇き、銃声が鳴り止まない。そこは、彼の妹である市瀬立花の異能〈収容〉で生み出された空間である。事実上無限の広がりを持ち、膨大な質量を保管できる倉庫だ。
その空間では多数の人員、武器・兵器・弾薬、食料・衣服・寝具、生活用水、そして大容量の空気が収容されている。
「クハ。市瀬のダンナ、さっきからなにを見てる?」
目つきの悪い、痩せた男だった。丸坊主の頭を撫でながら声をかける。
――網谷葵(三年) 烏合の衆 8Pt――
「生徒会名簿だ。もしや、と思ってね」
市瀬は紙切れをひらひらして見せながら答える。
「もしや?」
「生徒会にイリーナの仲間がいるかもしれない」
「へえ。それで、それっぽいのはいたのか?」
「いた。こいつだ」
市瀬は名前を指し示した。
「桜佐武郎。転入生だ。卒業式の少し前に転入し、我々のもとにも話を聞きに来ていた」
「桜佐武郎……誰だ? 顔、顔を見りゃ、顔さえ見れば思い出せるかもだが……あ、式の二日前に来てたやつか」
「そうだ。思えば転入生にしてはずいぶん警戒心が強く見えた。いや、転入生なら警戒しているのは当然か。警戒に手慣れていた、というべきか」
「クハハ。そうだアイツだ。“ダメそう”なヤツだったな。案の定、ずいぶん話を早く切り上げられたから捕まらなかったんだよな」
「うむ。一段階にすら達しなかった」
市瀬拓の持つ異能は〈思操〉である。すなわち、「会話」を発動条件とする精神操作の異能だ。話を続けるほど支配は深まり、最終段階に至れば死をも厭わない忠実な下僕となる。一段階目では「さらに話を続けたくなる」ように誘導する。その段階まで達すれば、じっくり会話を重ねて五分も経てば完成だ。
彼はそうして「軍」を組織した。外部から「密輸入」した兵力を加え、その規模は大きく膨れ上がっている。一人を仲間に加えれば彼の友人をまた市瀬の元へ案内させ、話をする。そうしてネズミ講の要領で、一年以上をかけて彼は静かに力を蓄えていた。
そうして集まった仲間は妹の〈収容〉空間に送られる。自動小銃を手にし、訓練を受ける。〈収容〉空間内にいるかぎり、その存在は羽犬塚の〈探知〉でも捉えることができない。外界との接触はしばし換気を必要とするだけである。
「で? ソイツはどうする? どうするんだ?」
「うむ。ランキングの急上昇は気になるな。かなりの実力者なのだろう。仲間にできるものならしておきたいが、一度断られている形ではあるし難しいか……」
「なら敵か?」
「かもしれんな。生徒会に所属している以上、手は出しづらいが」
市瀬はそういい、リストを放った。ただ気になったという程度の問題だ。重要な問題は別にある。
「さて。やはり動きはないのか」
「ないな。全然だ。うんともすんとも言わないねえ。ものの見事に静かだよ」
「四天王が二人も落ちれば焦れて動き出すかと思っていたが……よく我慢しているな」
星空煉獄。未だに彼は時計塔から動かない。
動く必要がないのは確かだ。なにをしたところで彼の順位を超えることはできない。それこそ、彼を殺さないかぎりは。ならば、拠点で引きこもっているのが安泰だ。
だが、そんな消極的で保守的な考えで、あれほどのポイントを獲得できるはずがない。
「つまり、彼は待っているのだろう」
「待ってる?」
「我々をだよ。我々のような、全霊を賭して牙を剥く反逆者の存在を彼は待ち侘びているのさ。ならばこそ、応えねばなるまい」
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