22.大島ざきり⑧

「待たせたわね」


 大島ざきりの歌によって生徒会の大半が無力化されたなか、無傷かつ最強の戦力。

 二ノ宮綾子が目覚めた。佐武郎がざきりの退路を塞ぎ、それを追うように二ノ宮が立つ。そして真の敵を察したシベリアトラが、二ノ宮綾子の前に立つ。


「ななっ、ななな……二ノ宮綾子! なんでいるのだ!」

「虎? なんでこんなところに……」


〈呪縛〉が解かれると同時に駆けつけた二ノ宮には、詳しい状況が理解できない。

 佐武郎をはじめ、生徒会の大半が頭を抱えて苦しんでいる。自らの〈呪縛〉が解けている以上、これは別の異能によるものだろう。他に敵が残っていないことから考えて、あの少女か。

 そこまでは理解できた。わからないのは、シベリアトラがいることだ。


「でも、敵よね。虎を斬ったことはないけれど」

「く、ぐぅぅぅ……! なんで生きてるのだ! みりりは〈呪縛〉が続けばそのうち死ぬって言ってたのだ! うぅぅ……それどころか動いているのだ?!」

「あの子たちがうまくやったのでしょうね。ありす。雫。みく。それに……狂美? ミルもだったかしら。〈呪縛〉は結構効いたわよ。彰久に報告は受けていたけれど、記憶が少し曖昧だわ」

「ぐふ。ぐふふふ! まだ後遺症があるのだ? 病み上がりなのだ? だったら勝てるのだ! とらお! お前は最強のトラなのだ! 肉を引き裂き食いちぎるのだ!」

「ガルルッ! ガゥッ!」


 シベリアトラ対女子高生。冗談のような絵図を佐武郎は眺めていた。

 なにも知らぬものが見ればシベリアトラの食事シーンがはじまると思うだろう。

 よく知るものが見れば女子高生がシベリアトラを斬り裂く光景が目に浮かぶだろう。

 佐武郎は後者だった。だが。


(……とらお、だと?)


 覚えがあった。幼児向けテレビ番組にでも登場しそうな気の抜けたネーミング。ひらがなでそのまま「とらお」という記載があり首を傾げたのを覚えている。


「二ノ宮、会長……」

「つらそうね。佐武郎。無理に話さなくていいわ」

「とらお! 行くのだ!」


 指示に従い、とらおは大きく身体を撓ませて、跳ねる。

 体長3m。体重300kg。ただそのまま体当たりされただけでも致命的だ。それだけでなく、彼には殺意があり、牙と爪がある。

 だが、二ノ宮は臆することなく――静かに、しかし瞬きの間に、刀を抜いた。

 その刀身はするりと――とらおの突撃のまま、縦に斬り裂いた。

 はずだった。


「――!?」


 手応えがない。二ノ宮はすぐに振り向く。自身をとらおが、そこにいた。


「ガウルルゥッ!」


 ただ軽く前足を振るう。それだけで人間の柔肌は軽く裂ける。

 二ノ宮はこれをかろうじて避け、数本の髪が舞うだけで済んだ。


「会長、そいつは――異能者です!」


 佐武郎は力を振り絞って声を出した。鼓膜が破れていたため必要以上に大きな声だったかもしれない。


「なるほど。そういうこと……」


 なぜこんなところにシベリアトラがいるのか。それはが異能者であり、転入生だからである。冗談のようだが、ランキングにも記載がある。実年齢は不明だが、体格から見て三〜四歳か。どういう基準かわからないが、学年は「一年」で登録されていた。

 ――とらお(一年) ざきり☆ファンクラブ 4Pt――


(あんなのがありなのか? 異能に目覚めた野生動物など危険すぎる。処分するならうってつけだが……)


 あるいは、ロシア諜報部による工作の一環なのかもしれない。一介の工作員スパイに過ぎない佐武郎には知らされていないことも当然ある。本土で発見された異能者は速やかに学園に移送しなければならない条約があり、異能者は「人」とは規定されていない。シベリアトラといえど「異能者」であるならその対象となることになる。


(わからんな……それとも、日本が数合わせとして放り込んだ? よりによってシベリアトラを?)


 人間ではない動物の異能者。その最初の実例をシベリアトラとすることで、たとえばマウスを異能者として数合わせに利用するような不正を避けようという魂胆であるのかも知れない。

 これが意図的なものにせよ事故によるものにせよ、佐武郎には与り知らぬことだ。重要なのは目の前の光景だ。

 異能者といえど、大型肉食獣を相手にしては勝てる保証はない。ましてや、異能を扱う虎だ。しかも、先の短い戦闘やりとりを見るかぎりでも彼は異能を使いこなしている。強敵だ。


「やれ! やるのだ! とらお、お前なら勝てる! やれ〜ぃ!」


 そして、踊るようにして馬鹿騒ぎしている女が一人。彼女はすでに佐武郎のことを忘れているようだった。


(なんなんだ、こいつは。こんなやつが仮に卒業したとして、日本軍は本当に扱い切れるのか?)


 あるいは、そういったものは卒業式で淘汰される仕組みなのかもしれない。事実、そうなろうとしている。


「手応えがなかった……。刀、というより、私の身体ごと通り抜けたわよね」


 二ノ宮は笑みを浮かべた。

 彼女も第一校舎の食堂を通ってここへ来ているはずだ。あの惨状を目にしているはずだ。しかし、仲間を失った悲しみや仲間を傷つけられた怒りといった感情は見えない。ただ、強敵と対峙することに悦びを感じている。そんな表情だ。


「降参なのだ? 降参するなら命は助け……たす……やっぱり助けてあげなぁ〜い! のだ!」

「それは残念ね」


 二ノ宮は目線こそ送らないが、ざきりの背後で動く佐武郎が見えていた。ざきりがそのことにまるで気づいていないことも察していた。


「ぐ……!」


 佐武郎は膝を落とした。頭が割れるように痛い。歌の影響は治るどころか悪化している。鼓膜と三半規管の痛みもある。地に手をつき、ゆっくりと歩みを進めた。


「おおお! 強い! 強いぞとらお! 二ノ宮手も足も出ない! 勝てる!」


 とらおの異能は、一時的にあらゆる物質の干渉を受けない影のような存在となるものだ。野生動物の機動性と体格を有しつつ、加えて回避系の異能を持つ。影と実体を適宜繰り返す戦いは厄介そのものだった。二ノ宮綾子をして、未だ手こずっている。


「やっぱり、ざきりが負けるはずなかったのだ。やっぱり、ざきりは、最後に勝ァつ! あ〜、ああ〜♪ ここでもう一曲歌うのだ?」


 彼女は二ノ宮ととらおの戦いに目が釘付けだった。拍子抜けするほどに隙だらけだった。つい先ほど命の危機に瀕して逃げ回っていたというのに、もはや記憶にないかのようだった。


「ぐふっ! ぐひゃひゃ! ぐガブッ――!」

「そこまでだ」


 佐武郎はざきりの背後へと回り、チョークスリーパーで捕らえた。万力のように、少女の細い首を絞め上げた。


「……ッ! ……ッ!」


 こうなってしまえば、あの騒がしかったざきりも暴れることすらできない。足をジタバタさせたところで、抵抗としてはなんの意味もない。曲がりなりにも異能者の握力が佐武郎の腕を掴むが、的場のようにはいかない。指が深々と食い込みはするが、引き剥がせはしない。異能者同士であれば、体格差はほとんどそのまま力の差となる。


「なんなんだ、お前は」


 首を絞めている。答えを期待しての問いではない。それは独り言であり、そして――


「なんなんだ、お前たちは……」


 慟哭に近い。

 この学園ではあまりにも容易く人が死ぬ。毎年五百人が必ず死ぬ。そんな制度システムが九年ほど続いている。

 それは教育の賜物なのか。制度の完成度が高いためか。あるいは、たまたまなのか。

 少なくとも彼らは、こんな殺し合いになんの疑問も抱いていない。


(俺も、他人のことを言えたものじゃないが……)


 手にかけているのは少女だ。まだ幼いとすらいえる子供だ。銃で殺すならその感覚は鈍化できただろう。素手で手にかけている今は、生々しいほどに伝わってくる。やがてざきりの意識は落ち、低酸素症による痙攣がはじまる。


(これほどまでに小さく、愚かな少女が、あれだけの力を手にすることができる……)


 それが異能だ。それが異能のおそろしさだ。このまま生きていても、彼女は災いにしかなり得ない。

 ざきりの歌が頭の中で響く。ざきりを殺すべきではないと訴えかける。彼女の異能が精神を掻き乱し、力が緩む。こんな小さな子供殺して、罪悪感はないのかと。


(罪悪感、だと?)


 歯を食いしばり、力を込め直す。殺すべき理由と、殺すべきでない理由が脳内で錯綜する。


「ひ、……ひゅ、ぅ……っ」


 気管も圧迫され声も出せないはずのざきりから漏れ出した息。彼女は、歌おうとしている。それは最期の抵抗か、混濁した意識による錯乱か。いずれにせよ、それは佐武郎の脳をアンプにして増幅される。


『さ、さぶろー?』


 不安げなリッシュの声が聞こえる。揺れる佐武郎の意識が、どちらを望んでいるのか、彼女も計りかねているのだ。


(殺したくはない。これは俺の本心か?)


 なにを馬鹿な、と思う。これだけ殺しておいて、なぜ今さら躊躇するのか。ましてやざきりは明確に害なす存在だ。この雑念は彼女の異能による混乱に過ぎない。彼女を生かして、どうするのか。彼女が生き残って、今後なにがどうなるというのか。だが、その発想はこのうえなく残酷なことのように思えた。


(ざきりは死ぬべきではない。ざきりには歌がある。異能者の持つ身体能力はなにも殺傷の手段だけではない。ざきりの歌は異能者の持つ“可能性”だ)


 しかし、その歌が。

 彼女にとっては“力”なのである。

 小島ざきりは力を得てしまった少女である。力に無自覚だった長い鬱屈の反動で彼女は彼女の想う「強者」を演じるようになった。下僕ファンが増えるたびに彼女は自らの力に確信を強めた。剣持ジェイという伝説の男が手を差し伸べたとき、彼女の自信は最高潮に達した。

 これがその、結末である。


(ならば――)


 こうして送ってやることが、せめてもの情けなのだろう。


「……ッ!」


 頸動脈が締まり、脳への酸素供給が止まる。膀胱が弛緩し、失禁に濡れる。このままさらに力を込め、脛骨をへし折る。

 抵抗の力を弱く、そして、小さな命が失われていくのを、佐武郎はその手で感じた。

 佐武郎に1Ptが加算される。


「ガゥ?」


 主を失ったとらおは正気を取り戻し、戸惑っていた。その隙を二ノ宮が見逃すはずもない。異能を行使させる間も与えず、断頭台のように首を斬り落としていた。


「これで……一件落着かしら?」


 ざきりが死に、〈神性〉の影響を脱した生徒会の面々がぞろぞろと駆けつけてくる。二ノ宮はなによりその光景で事態の収束を理解した。


「佐武郎? あなたも回復したのよね?」


 佐武郎は仰向けに寝転がっていた。力尽きたように、大の字で。


「……はい。生徒会を襲撃した敵勢力は今ので最後です。全員、殲滅しました」


 そう言いつつ、佐武郎は起き上がらない。


「そう。だとしても、外でそんなふうに寝転がるのは危ないわよ」


 二ノ宮は手を伸ばしたが、佐武郎は掴まない。自力で、ゆっくりと身を起こした。後遺症ダメージは残っているが、立ち上がれないほどではない。

 そう、立ち上がれないほどでは。


 ***


「剣持先輩……!」


 食堂の火は未だ燻るも鎮火しつつあった。ざきりによる精神支配の影響が消えたのを感じた有沢と西山はすぐに彼のもとに駆け寄った。


「西山に、有沢か。なにか、長い夢を見ていたようだ」


 剣持もまた正気に戻っていた。短い言葉だけでそれがわかった。しかし、彼の胸には二つの銃創がある。口元からも血を流し、身を起こせずに倒れていた。


「記憶は連続している。妙な感覚だ。私はお前たちを“敵”だと認識していた。ということは……そうか。あの子は死んだのか」

「もう話さないでください。治療系の異能者がいますから」

「愛子! 起きなさい! あんたがやったんでしょ! あんたが治すの!」


 有沢は少し離れた位置に倒れていた佐藤愛子を揺さぶっていた。ただ、彼女もまた胴体を切断されるほどの傷を負っている。昏倒は深く、目覚める気配はない。


「……たしか、血よね。血さえあれば――」


 愛子は出血していた。その血を掬って剣持のもとまで運ぶ。


「先輩、これで」

「いや、いい。私はもう助からない」

「……なにいってるの。胸を撃たれてるだけじゃない」

「奇跡的に生きているといったところだ。だから、最期にやることがある」

「やることって……」

「有沢、西山。じゃんけんをしろ」

「じゃんけん?」


 二人は戸惑う。ただ、余命幾ばくもない恩人の頼みだ。疑問を挟まず、二人は素直にじゃんけんをした。


「私が勝ったわよ。グーで」

「そうか。なら有沢。私に止めを刺せ」

「え?」

「私はお前のポイントになろう」


 思わぬ提案に、有沢はグーを開くことすら忘れていた。


「……このまま死んだ場合、私のポイントはそこの佐藤愛子のものになるのか。それはわからない。もしかしたら自然死扱いでポイントが霧散するのかと思うと、死んでも死にきれん」

「だったら死ななきゃいいでしょ! 愛子!!」

「よせ。そして、彼女を恨むな」

「……なんでよ」


 有沢はただ、顔を伏せた。


「剣持――会長」


 西山は、あえてそう呼んだ。


「なぜ、生徒会を去ったあとも僕たちを助けてくれたんですか」

「可愛い後輩だからだよ」


 長年の疑問は、信じられないほどあっさりと答えられた。


「ふ。いや、最期くらい、カッコつけるのは止めにしよう。私は……お前たちの思うような人間ではない。私は弱い。弱い人間だった。ふふ、生徒会がサンダーに狙われることなく独立を維持していられたのも……お前たちは勝手に、サンダーが私を恐れているからだと、誤解していたが……ぐっ」

「会長!」

「賄賂だよ。配給物資を誤魔化して横流しをしていただけだ。そんな取引をして、見逃してもらっていただけ……だから、私は二ノ宮に敗れたとき、潮時だと思った。私のようなハリボテではなく、真に強い会長リーダーが、ふさわしいと……」

「もういいです。それでも……剣持会長は、僕たちの誇りでした」

「そうか。ふふ、なら早くしろ。有沢、いつまでも顔を伏せるな。このままではマジで死ぬ」


 有沢は拳銃を握った。

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