21.片桐雫

 魅々山迷杜の異能はその詳細が知られていない。

 なぜなら、彼女の異能を受けて生き残ったものがいないからである。

 だが、受けてみればその実態はいくらか知れる。魅々山の異能は“即死”ではない。“即死に準ずるもの”である、と。


「ここは……」


 奇妙な空間だった。なにもない白紙の世界だ。

 片桐雫は、そんな世界に閉じ込められていた。


「あはっ。ようこそ。呼び方はやっぱ雫ちゃんにしとこっか」


 その世界に立つのは、他には魅々山迷杜ただ一人。片桐はそれだけでおおよそを察することができた。


「なるほどね。殺す異能じゃなくて、殺すための舞台に引きずり込む異能ってことか」

「そそ。どっちにしろ死ぬから同じことだけどね」


 そのやりとりで、立つ地面がいくらか質感を帯びる。

 土。ついさっきまで立っていたはずのグラウンドだ。


「うむぅ?」

「説明してあげよっか? 気になるでしょ」

「親切なんだね。じゃ、お願い」


 と言いつつ、銃を抜いて撃つ。説明など聞かずに射殺するつもりだったが、距離のために躱されてしまう。正確には、魅々山が慌てて動いたので狙いが逸れてしまった。


「っぶないなー! 嘘でしょ。話聞かないの?」

「敵のいうことをまともに聞くわけないじゃん」

「そう言わないで、さ!」


 ぐん、と魅々山が距離を詰める。片桐は拳銃を奪われないよう腰まで引いて撃つ。が。


「あれ? 壊れた?!」


 先の土砂崩れの影響か。長年使わずにいた整備不良のためか。もとより銃の扱いに長けていたわけでもない。片桐は銃を放り、再び距離を取る。

 状況は振り出しに戻った。はずだった。しかしその数秒間、両者は4m以内に入った。片桐はこの異能のために普段は銃を使わない。銃を使うのは鬼丸と組んで射程が30mに伸びたときだけだ。一人で戦うなら、敵を射程内に誘い込んで心を聴きながら戦う。

 一対一であればこの戦法は極めて有効で、片桐にとっては必勝の型だった。


「なんで……どういうこと」

「あはっ。だから説明してあげよっかって言ってるじゃん」


 世界が、さらに鮮明になる。グラウンドはより広く、陥没した区画も映る。背後の部室棟も形として浮かび上がってきた。ただし、鬼丸ありすの姿はない。音も不自然に静かだった。


「ここは私たち二人だけの世界なの。誰にも邪魔されることなく、一対一で殺し合うためだけの舞台」

「そうじゃない! なんで、なんで君が……!」

公平フェアにいかないと、ね。ここは〈隔世かくりよ〉。ここは私たち二人の世界。だから、私は雫ちゃんの異能を使えるし、雫ちゃんも私の異能が使えるはずだよ」

「なにそれ……」

「もっとも、私の異能をここで使っても、に来るだけなんだけど」

「全然フェアじゃないじゃん。あたしの異能が使われ損じゃん」

「そういうこともあるよね」

「で、迷杜ちゃんを殺せば出られるの?」

「そそ。この世界は、私たち二人だけで構成されてる。つまり、どちらかが死ねばこの世界は消える。逆に言えば、どちらかが死ぬまで出られない」

「……今までも、こんなふうに悠長に説明しながらやってたの?」

「そうだね」

「ってことは、時間経過とかも感じなんだ。外から見たら一瞬で殺した感じだったし」

「あはっ。そういうこと。他の人より説明の手間が少なく済んで助かるぅ」


 世界が、さらに具体的な形を帯びていく。グラウンドだけでなく、学園全体が模されていく。二人だけの戦場として相応しい形を整えていく。


「理解度が上がるにつれてなるわけ?」

「そそ。ていうかすご。もしかして私の心聴かれてたりする? 射程は4mのはずだよね」

「迷杜ちゃんの態度と景色の変化を見ればわかるよ。で、この形のが有利なんでしょ」

「そういうこと。じゃ、準備できたし死のっか」

(こんなややこしい異能があったんだなあ)


 と、片桐は思う。心を聴くとか火を起こすとか死なないとかぴょんぴょん跳ぶとか、知るかぎりの異能は単純でわかりやすいものばかりだ。それに比べて魅々山迷杜の異能は複雑すぎる。他に知るかぎり、最もややこしい異能は鬼丸ありすの〈増幅〉だろうか。あれも、対象となる異能によって増幅されるものが変わるから、思ったより「ややこしい」分類タイプになる。


(ありす、大丈夫かな)


 危機に瀕しているのは自分の方だというのに、片桐はそんなことを考えていた。


(世界に具体的な形が必要だったのは、この世界そのものが武器になるから……でしょ?)


 魅々山が仕掛けたゲームである以上、公平フェアであることはあり得ない。まだ知らぬルールがある。そのルールによって「初見殺し」をし続けてきたに違いない。


「さっき、銃が動作不良ジャムを起こしたでしょ。なんでかわかる?」

「…………」


 片桐は答えない。答えを待った。というより、問いの最中に仕掛けてくることを警戒していた。


「私たちが二人とも銃の動作機構を正確に理解していなかったからだよ」


 魅々山が世界の規定ルールを明かしていく。片桐は話半分に聞いていた。すでに〈隔世〉の具体性はほとんど完全であったため変化がなかった。その話の真偽を測る手段がなかったからだ。


「じゃあ、最初の一発はなに?」

「近づけばわかるんじゃない? 本当のことが知りたければさ」


 魅々山が挑発する。互いに距離は6m以上。〈聴心〉の射程外だ。

 本来なら、片桐は迷わず距離を詰める。だが、それではこちらの心も聴かれる。脳内で立案している作戦のいくらかも知られてしまう。それを思うと動けない。一方的に心を聴く立場にない戦いは、片桐にとってはひどく不慣れなものだった。


「あはっ」


 魅々山は身を低くし、転がるように間合いを詰める。相手からは急に視界から消える動きだ。片桐は反射で身を退くことをせず、むしろ前に出た。敵が距離を想定した技を仕掛けてきたなら、距離を殺すことで技を潰せると考えたからだ。

 魅々山もまた、体幹を崩すような動きでありながら片桐の対応をしっかり見ていた。寸前で型を切り替え、大きく足を振り上げ頭部を狙う。片桐は倒れ転げることでそれを避けた。そのまま一回転し、着地する。


「へえ。結構動けるのね」

「そっちも!」


 再び互いに距離をとった。まだ出方を伺っている。


「〈聴心〉……これ意外と不便だね? 今考えてることしかわからないっていうか。攻撃への反応しかわからなかったよ」

「使いこなせてないだけでしょ。迷杜ちゃんの異能はなに? あたしにも使えるとか言ってたけど嘘でしょ」

「ノーノー。迷杜ちゃん嘘つかない。それはちゃんと使いこなせてないだけ」

「あっそ」

「聞いて。私は私の異能に自覚がなかったから、最初の発動は友達と話してるときだったの。手探りで、相手を殺さないと出られないってわかった。悲しい物語なの」

「そうだね」


 時間を稼いでいる。片桐はそう直感した。時間が経てば経つほど不利になるに違いない。具体的になにが起こるかは不明だが、その意図を潰さないことには勝機はない。

 踏み出す、が。


「――!?」


 大地が、傾く。

 姿勢が、崩れる。

 下がった頭部に、蹴りが迫った。

 サッカーボールを蹴るような、力任せの蹴りだ。

 片桐は右に身体を捻ってこれを躱した。さらに、その回転にもう一捻りを加えながら左足で立ち、高く上げた右足で、踏むように、胸を、蹴る。


「った~……」


 魅々山はこれを右手で防ぐことでダメージを軽減。ただし胸骨に亀裂が走った。

 一方、片桐は――掠った爪先で、鼻を削ぎ飛ばされていた。


「あはっ。最新のメイクだよ。鼻は小さいほど可愛いからね」

「…………」


 片桐は魅々山の軽口に対して返事をしなかった。あえて乗るだけの余裕がなかった。


(さっきのは……この世界そのものを傾けた? そんなことができるなら、なにができても不思議はない……ないけど)


 反撃はできた。あれ以上のことはできないのか。


(それに、公平フェアだという言葉を信じるなら、同じことがあたしにもできる……?)


 だが、やり方がわからない。片桐には想像もつかないが、異能の自覚を持てずにいる異能者というのがいるらしい。鬼丸ありすがそうだったという話を聞いた。魅々山もそうだと言っていた気がする。つまり、今がまさにその状態にあるのかもしれない。


(だったらズルだ。自分だけがよく慣れたゲームに、ルールを覚えたばかりの初心者を引きずり込んでるようなものじゃん)

「呼吸、苦しい?」

「……っ! は、はっ、はぁ、……かはっ、ぎ、ぃ……」


 言われ、片桐は自身の乱れた呼吸に気づいた。鼻を削がれ、血で口が滑るせいだと思っていた。だが、明らかにそれ以上の異変があった。


「あはっ。さっきので気づいたと思うけど、この世界っていわば思うがままなのよね。〈隔世〉はまず“想い”ありき。つまりなにができるかっていうと、酸素濃度をいじってみましたぁ。雫ちゃんの周りだけね」

「ぁ、かっ、……! はっ、ぁ、が……!」


 やはり理不尽クソゲーだ。まともに付き合うべきじゃない。片桐は再び踏み出し、仕掛ける。はずが。

 足が土塊に覆われていた。身動きが取れない。一瞬のうちにコンクリートのように硬化していた。


「はい、おしまい。じゃあね」

(やっぱりそうか)


 魅々山が動き出すのを見て、片桐は確信した。

 できないこともある。止めは自分の手で刺す必要がある。そういうルールなのだ。


(だったら……)

「さっき拾った銃を投げる?」


 片桐雫は、自らの心を聴かれることに慣れていない。結果、投擲は軽く避けられる。


失敗ミスった!)


 魅々山の土俵に上がっても勝てない。そう判断した片桐は、〈隔世〉のルールに従って「こんな土塊など壊せるはずだ」と想うより、奇手に頼った。ブラフを仕掛けようとした。それが敗因だった。


(こんな土塊……!)

「遅い」


 決着は素手。そんな異能ルールだからこそ、魅々山の肉体は武器として鍛え上げられている。研ぎ澄まされた手刀は肉を貫く。肋骨の間をすり抜けて、心臓へ深々と突き刺さった。


(くっそ……こんなとこで……)


 片桐は血を吐きながら、胸を貫く腕を掴む。心臓はまだ動いている。力のかぎり、魅々山を逃すまいと掴んだ。


「あはっ。しぶとぉ~。ドクン、ドクンって鳴ってるのわかるよ。だんだん弱くなってるけど」

(死ぬんでしょ。わかってるって。こんなあっさりとね……)

「変な感じだね。内語相手に会話が成立するって」

(ありすは……大丈夫かな。あの子の異能じゃ……とても戦えないし……)

「心配しなくてもあとで殺すよ? たった7Ptだけど、そういうことならね?」

(しまったな……考えることぜんぶバレちゃうんだ……)


 本当に厄介な異能だと思う。こんな異能持ちとつき合い続けてきたものを思うと同情する。知られたくない内面こともぜんぶ知られて、無神経に指摘されて来たのだと思うとさぞ気の毒だ。


(だったら、やることはやらなきゃ……)

「え、ちょ、待って。離して。もう死んでるでしょ? もう意味ないから! ねえ!」

(頑張れば内語制御ってできるんだよね? サブローくん。これ以上情報は漏らさないように、だけに集中して……)

「いや、いやいや! もう一分も保たないって! わかるでしょ! だから!」

(残りの命、ぜんぶ……)


 片桐は魅々山の腕を掴んだまま、大きく上体を仰け反った。心臓に突き刺さった腕をさらに自身へ引き寄せた。〈聴心〉によって、魅々山もなにをされるのかはわかっていた。それでも、動けないのであれば避けようがない。


「待って! ちょっと、ダメだって! そんなことしても、勝負は、もう……!」


 それは、渾身の力を込めた頭突きである。


「かっ……! ぁ……!」


 魅々山はこれを額で受けた。額同士が衝突し、鐘が鳴るにように脳が揺れる。打ってくるタイミングは完璧に読めていた。かといって、避けられるわけではない。


「まっ……!」


 また、片桐は振りかぶる。何度でも突いてくる。その命が尽きるまで。


 ***


「がはっ……!」


 魅々山迷杜は膝をついた。

隔世かくりよ〉で起こった出来事を現実に持ち込めるのは勝者だけ。魅々山は片桐に受けたダメージを持ち帰った。胸骨に受けた痛み、そして頭部に受けた痛みだ。亀裂骨折に、頭蓋骨陥没。目眩と吐き気があった。

 一方、敗者の片桐は。


「片桐……?」


 静かに、力なく倒れる片桐を前に、鬼丸は目を丸くした。


「片桐!」


 胸を抱え、支える。しかし。

 触れただけでわかるほどに、その命は失われていた。

 瞳孔が開き、呼吸をしていない。心臓も止まっている。体温が低い。

 なにが起こったのか。魅々山迷杜と目を合わせただけで、片桐雫は命を落とした。


「あはっ。逃げよ。思ったよりきついわこれ」


 魅々山はすぐに鬼丸の追撃があると思った。だからすぐに逃げた。このダメージでは〈隔世〉に巻き込んでも勝てる保証はない。だが、鬼丸ありすの精神状態はそれどころではなかった。


「かた、ぎり……」

「なにがあったの?」


 顔を起こす。声の主は、二ノ宮狂美だ。


「もしかしてあいつ? くそ〜、逃げられちゃったんだよね。どこいった?」


 鬼丸は虚ろな目で、指だけをさした。


「わかった!」


 狂美が駆けていく。もしかしたら、これで復讐が果たせるかもしれない。ぼんやりとした頭でそんなことを思ったが、どうでもよかった。


(復讐……?)


 人並みに死を悲しんでいるのか。殺し合いの場に適応するため心を殺し、人を殺すことに躊躇いはなくなった。そのはずなのに、失うことは怖いのか。

 鬼丸ありすは片桐雫の死体を抱いた。

 すでに体温の失われた死体を抱きかかえた。

 どれだけの時間そうしていたかはわからないが、重すぎる死体はその場に捨てて立ち去るほかなかった。

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