23.卒業式八日目

「そう。雫が……」


 報告を聞き、二ノ宮綾子は静かに頷いた。


「魅々山迷杜。あの子ね。なんらかの即死系異能だとは思っていたけれど……真の発動条件は“触れる”ことではなく“目を合わせる”こと。さらに、その直後に迷杜は明らかに怪我をしていた。そうよね?」


 顔を伏せ、力なく俯く鬼丸ありすに二ノ宮は問いかけた。


「はい……。それから、すぐに逃げられたため正確にはわかりませんが、おそらく胸と頭にダメージを負っていたのではないかと」

「それが、雫の倒れた直後……迷杜がその異能のためになんらかの代償を負ったと見るべきよね。これまで距離をとったうえで目を合わせて発動するようなことはなかった。そのためかしら」

「片桐が――」


 鬼丸は躊躇いがちに口を開く。二ノ宮はその言葉の続きを待った。


「片桐が、なにかしたのだと思います。私を、守るため……」

「そうかもしれないわね」


 二ノ宮は微笑みを浮かべて返した。


「ところで、ありす。帰還者はあなた一人なのだけど、狂美は?」

「魅々山を追いました。及川みくも片桐同様に魅々山に殺されています」

「大変だったわね。迷杜の襲撃は予想のつかないものだった。けれど、あなたは〈呪縛〉の異能者を斃すまでは適切に指揮をとれた。そうでしょ? 顔を上げて、ありす。恥じることも悔いることもないわ」

「……ありがとうございます」


 もう報告することもなければ話すこともない。鬼丸はそう察して、「失礼します」と執務室を後にした。


(……今日一日だけで、に痛手を負ってしまったわね)


 二ノ宮は椅子の背もたれに体重を預けて、今日一日に起こった戦いを総括した。

 大島ざきりの襲撃による死者は四名。いずれも大島ざきりの異能により暴走した火熾エイラの〈発火〉で焼死したものだ。

 大島ざきりの異能は歌によって精神に作用するものだった。多くの被害者が出たが、これは彼女は死亡したことで解除された。後遺症もないだろう。佐藤愛子は剣で胴体を斬られるという重傷を負ったが、彼女自身の異能〈治癒〉によって一命をとりとめ、今も安静にしている。

 大島ざきりの率いた二十三名の部隊は全滅。合計61Pt。全体として見れば弱者で愚物の集団だったし、そう評すべき集団ではあったが、大島ざきりの異能は強力なものであり、もっと大きな被害もありえた。ここまで軽微に済んだのはむしろ幸運といえる。


(そして、魅々山迷杜に殺されたのが二人。つまり、今日だけで合計死者は六名)


 星空煉獄との決戦を前にここまで戦力を削られるとは思ってもいなかった。執行部の一人である片桐雫を失ったのはやはり痛い。


(いえ、これくらいはありえたことね)


 だが、まだ鬼丸ありすが生きている。であれば、まだ勝算はある。

 二ノ宮綾子の微笑みは、まだ崩れずにいた。


「会長」


 コンコン、というノックの後で扉を開いて顔を見せたのは、西山彰久だった。


「手紙が届いています。矢文で……。内容は、俄かには信じ難いものなのですが……」


 ***


「てて……」

「はい。これでいいはずです」


 佐武郎は愛子より鼓膜の治療を受けていた。ただし、保健室のベッドで寝ているのは愛子の方である。傍から見れば奇異な光景であった。


「律儀ね。わざわざこいつを治してやる必要ある?」


 そういうのは、同じく見舞いに来ていて隣に立っていた有沢ミルだ。


「俺も、別に鼓膜くらいはそのうち治るからよいといったのですが……」

「ダメです。治せるものは治さずにはいられないんですよ。私は」

「じゃあアレ治せる? アレ」


 有沢が指をさすのは、隣のベッドで寝ている火熾エイラだった。


「うぅ……うぐっ……殺しちまった……おれが……うぅぅ」


 肉体的なダメージもあった。大島ざきりの歌を目の前で浴びて、それに抵抗して暴れたためだ。ただ、それより大きいのは心的外傷トラウマである。


「心の方はちょっと……」

「でしょうね。ったく。火熾。いつまでもグジグジしてんじゃないわよ。つーか怪我自体は治ってんでしょ。さっさと起きたら?」


 容赦ない言葉を浴びせつつ頬をぺしぺし叩いている。火熾エイラは泣いていた。あれでいいのか悪いのかわからないが、本当に深刻なら精神系の異能で治療することもできるだろう。


「ざきりちゃんは……」


 佐藤愛子が話しはじめる。


「どうしてあんなふうになってしまったんでしょう」


 彼女は、大島ざきりが死亡したことでその記憶を完全に取り戻していた。過去と今の齟齬も明確に認識できる。


「特に親しかったわけでもないのでしょう?」


 佐武郎にとっては素朴な疑問である。


「そうですが……その、あまりに変化が大きいので、気になってしまいまして」

「…………」


 なぜそんな疑問を抱くのか、とは思った。ただ、佐武郎はそれに答えねばならないと思った。


「異能は、人格に大きな影響を及ぼします。あなたがその異能で人を治さずにいられないように、彼女も異能によって人を支配せずにはいられなかったのでしょう」

「……ですよね。ですが、元からああではなかったのはなぜでしょうか」

「異能の自覚がなかったのかもしれません」

「なるほど……」


 彼女はただ、沈鬱に沈むような表情を浮かべる。

 まさかあんなものに憐みを覚えているのか、と佐武郎は訝しんだ。

 異能者はその異能から自由になれない。異能のために人格の多くを規定されてしまう。その中で、「異能を使いこなすもの」と「異能に使われるもの」がいる。大島ざきりは明らかに後者だ。

 考えようには哀れではあるが、それは侮蔑のニュアンスを多分に含んだ「哀れ」だ。だから佐武郎も彼女を殺すことには躊躇いがなかった。そもそもが正当防衛に近いものではあったが、それが「救い」になるとも思っていた。

 佐藤愛子も殺されかけていたはずだ。にもかかわらず、抱く感情は憐憫だというのか。


(まさか、佐藤愛子はそんな“優しい”心を持っている――とでも?)


 馬鹿な考えを抱いた、と佐武郎は頭を振った。


「ところで、有沢先輩」

「なに?」


 佐藤愛子のもとを離れ、火熾の顔をぺしぺししていた有沢に話しかける。


「剣持先輩という方は――」

「残念だけど……」

「そうですか」


 お悔やみでも申し上げればよいのかと思ったが、なにか違う気がした。そこまでの間柄でもないのもあるし、彼女の表情が喪に服している人間のものには見えなかったからだ。


「すみません。佐藤さんには、剣持先輩のことを伝え損ねていました」

「え? ああ。愛子がやったみたいよね。本気だったら剣持先輩が負けるはずはないんだけど……ざきりに操られていた時点で剣持先輩は負けてたってことよね。

「はあ」


 有沢は特に感情も込めずにそう言ってのけた。佐武郎は気のない返事しかできない。


(ただ強がっているだけなのか? 気を遣っているのか? それとも――)


 この学園に在籍する以上、死別はいくらでも経験する。彼女にとっては剣持もそのうちの一人に過ぎなかったのか。佐武郎にはわからない。


 ***


「的場が死んだだと?」


 あまりに遅すぎる反応に、羽犬塚は深いため息をついて呆れ返った。


「もう何日前の話だよそれ。せらべえ」


 彼は長きに渡り鍛錬を続けていた。試行と実験を繰り返してきた。訓練によって異能の基礎能力が変化することは確認されていない。だが、使い方を極めることでその有用性は大きく跳ね上がる。刀を腰に携えた彼は、その実証のために長く俗世から離れていた。

 ――瀬良兵衛(三年) メテオ 34Pt――


兵衛ひょうえだ。二度と間違えるな」

「いや、間違えっていうか愛称のつもりなんだけど」

「そうなのか? それはすまない」


 堅物、という表現がよく似合った。寡黙な的場と比べてどちらが話しやすいかでいえば、どっこいだ。


「ああ、うん。いいけど。出てきたってことは、終わったのかい?」

「終わった。完成した。己の剣は高みに達した。己の剣はもはや星空煉獄にすら届く。手始めに、今宵――二ノ宮綾子を斬る」

「うわ。マジで?」


 羽犬塚は冗談であることを期待した。だが、瀬良兵衛は大真面目に、眉一つ動かさずにそう吐いた。


「すでに果たし状を送っている。立会人が必要だ。両者ともに立会人を一人ずつ。そこで羽犬塚、貴殿に頼みたい」

「え。いや待って。話が早すぎるんだけど……魅々山さーん、どうですか?」

「……なに。聞いてなかった」


 魅々山迷杜は隅の影で、あからさまに機嫌の悪い低い声で答えた。


「今日ね、私は二人もったの。そのうち一人は片桐雫よ。おかげで一気に21Ptも入ったわけ」

「よかったじゃん」

「よくない。あー、頭ガンガンする。吐きそう。胸も痛い。折れてるわこれ。そんな状態であの化け物に追いかけ回されるし、死にそうなわけ」

「大変だったね。ところで、せらべえの立会人――」

「話聞いてた?」


 魅々山はもう二度と話すつもりはないとそっぽを向いた。


「魅々山は困憊している。ゆえに羽犬塚、貴殿しか頼れるものがない」

「いやぁ〜……、果たし状って。やめた方がいいと思うよ」

「約束を違えろというのか」

「そうだね〜……、向こうも来るとは限らないし……」

「来る。二ノ宮綾子は来る。あやつも、剣士であるがゆえに」

「そっかなぁ……。ていうか、二ノ宮を斬っても意味なくない? 死なないよ?」

「斬る。それだけだ。己はただ自らの剣を確かめるだけだ」


 羽犬塚は気が進まない。まるで気は進まない、が。

 メテオで、次に死ぬならこいつだろうと思っていた。

 それを見届けるときが来たのだと思ったが、問題はその後だ。

 この時点ですでに、いかに逃げ出すかの算段を羽犬塚は脳内で組み立てていた。


 ***


 そして、卒業式の第八日が終わる。残り831人――

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