16.大島ざきり⑦

 歌は止んだ。だが、終わりではない。

 侵蝕は永続する。一度彼女に支配されたのなら、二度と正気には戻らない。

 上書きか、彼女が死ぬか。影響が消えるにはそれしかない。

 ただし、歌が止んだことで「これ以上」の抵抗は必要なくなった。狂気の鬼と化していた火熾エイラも、惨状を認識できるほどには正気となった。


「んだ、こりゃ……くそっ! 頭が……」


 侵蝕の影響は残っている。まだ頭の中で歌が鳴っているような気がする。己とは異なる意思が思考の一部を占領している。その耐え難い感覚へのストレス。それは重度の頭痛となって現れ、嘔吐感さえ催した。


「なんという愚物! ざきり様に支配あいされることを拒むとは!」


 瓦礫の上に立つは、大島ざきりに最も近しい護衛を任ぜられる男、剣持ジェイ。機材班の二人は火と爆発と瓦礫に巻き込まれて死んだ。大島ざきりは気を失っているが生きている。

 ゆえに、残り二人。


「あー、くそ。あれが剣持、先輩……? やるなって言われてもな……」


 悪態をつくのは余裕の表れではない。それしかできぬからだ。頭痛が激しく、立つのもやっとだ。無理に臨戦態勢を取ろうとすると、胃液が逆流する。


「ぐぇぇぇぇぇ!」


 吐いた。昼食が撒き散らされる。

 楽になったような気もするが、一時的なもの。頭痛は治る気配がない。


「不遜! 哀れ! ざきり様の神聖なる舞台ステージを汚すもの! 恭順せぬなら斬り伏せるのみ!」


 火熾は、自分の頭がいかれたのかと思った。

 男は、刃のない柄のみの剣を手にしている。あるいは、その男がいかれているのかも知れない。

 見えない剣を持つ男の話は聞いていたはずなのに、思考リソースの大半を「支配」への抵抗に割かれている彼女は、そのことを思い出すことすらできない。

 剣持が罵倒する通り、彼女は今や愚物であった。


「やめて!」


 声は背後からだった。

 すなわちそれは、大島ざきりを守るもののない背後ということ。

 剣持は素早く身を翻し、声の主を睨んだ。

 佐藤愛子だ。拳銃を構えている。声などかけずにざきりを撃っていればよかった。ざきりは瓦礫の影に隠れているが、忍び足で近づけば気づかれずに撃つこともできた。彼女も、はじめはそうするつもりだった。

 しかし、彼女は火熾エイラを見捨てることはできなかった。助けるためには、声を出す方が早かった。


「まさか、貴様は――怨敵! 佐藤愛子か!」


 僥倖、とばかりに笑う。生徒会襲撃の第一目標・佐藤愛子。ざきりに従うものにとって、何よりも斃さねばならぬ敵。剣持もまた主のために剣を握る。


「覚悟!」


 剣持ジェイは見えぬ剣を振るう。見えぬのは、それが極めて薄いからだ。

 あるものは異能を“見えない筋肉”と称した。彼の刃は、まさに“見えない筋肉”によって構成される。単分子の理想的結晶。ゆえに、それは最高の切れ味を有する。鉄も鋼もするりと通る。

 さらに、その長さは自在。最長で。あらゆる障害を斬り裂くために、閉所は問題とならない。ただし、長く伸ばすには時間がかかり隙も大きいため、通常は長く伸ばしたとしてもせいぜい10m前後である。今も彼はその長さの剣を柱に刺す形で構えていた。

 佐藤愛子も、その異能特性が予想できなかったわけではない。

 それでも彼女は、避けることよりも引き金をひくことを選んだ。見えぬ刃を躱すほどの戦闘的な直感は持たないと自覚していた。であれば、相打ちを狙う方が可能性があった。

 結果、佐藤愛子はその胴を両断され、引き換えに一発の銃弾を撃ち込んだ。


「ぐっ……!」


 肺を貫通。致命傷である。しかし、それで死ぬわけではない。異能者であるならば、この程度はまだ生存の範疇にある。休めば治りうる程度の傷でしかない。


「怨敵、討ち取ったり……!」


 剣持にとっても、もとより命を賭した一閃である。佐藤愛子を斃せるならここで死すとも構わないと思っていた。

 しかし。違和感がある。

 彼の剣は、切れ味がよすぎる。単分子の刃であるため切断面が潰れない。ゆえに、刃を通してもそのまま残ることがある。斬られたことに気づいていないかのように、そのままの形で。これまでにも経験はあったことだ。

 手応えはあった。少しの衝撃でズレて崩れ落ちるはずだ。

 そのはずだが、いつまでもそうならない。時が止まったように硬直したまま、動く気配がない。


「これは……」


 彼は腕時計を見た。

 佐藤愛子はまだ死んでいない。

 剣持ジェイは彼女の異能を知らない。なぜ生きているのかはわからない。

 だが、殺す手段ならわかる。


「ならば、もう一度……!」

(うわわっ、まだやめてっ)


 佐藤愛子は動けなかった。斬られた感覚はあったが、奇跡的に身体がまだ切断面に。彼女の異能は〈治癒〉であり、それは自身にも適用される。正確には、彼女の血は万能の軟膏薬として作用する。このまま動かずにいれば、治癒が成立するのである。

 だが、それはわずかな衝撃で瓦解する。

 つまり、銃を撃てばその反動だけで彼女は崩れ落ちかねない状態だった。


「がはっ」


 剣持ジェイは膝をつく。肺を貫通したダメージは大きい。愛子は慌てて撃たずによかったと胸をなでおろす。胴はまだ繋がってはいない。わずかな衝撃で崩れる。彼女には感覚で理解できた。ゆえに動けない。


「まだ、生きているな……佐藤愛子ぉ!」

(やばいやばいやばい)


 剣持は死ぬ気だった。傷が開いて死んでも惜しくないと思っている。無理矢理身体を奮い立たせて剣を握る。

 構えから、縦に斬るつもりだとわかった。もう一度斬られれば、確実に死ぬ。

 決断するしかない。生き残る確率が高いのは、その前に撃つこと。


「なっ……ば……」


 撃った。再び銃弾は胸を貫く。

 剣持はその剣を振るうこと能わず、手から零した。それはただの柄となって、地面に落ちた。見えない剣はもはや存在しない。

 一方、佐藤愛子は。


(生きてる……! まだ……なんとか……!)


 倒れはしたが、胴はまだ繋がっている。彼女の〈治癒〉が、ギリギリで間に合った。


「なにこれ……どうなってんの」


 歌が止んだのを察知し、〈跳躍〉でこの場に飛んできた有沢の目に映ったのは、惨事である。食堂が炎に包まれ、火熾エイラを除くが焼け死んでいた。


「銃声も聞こえたよね。佐武郎くんかな……?」


 西山彰久も遅れてくる。炎と煙のために視界は悪かった。敵のうち「機材班」と呼ばれていた二人の焼死体は確認できた。仲間も多くが死んでいる。


「剣持先輩!」


 撃たれている。燃えてはいない。まだ息があるように見えた。すぐに駆け寄って安否を確認したかった。しかし、彼らがここへ来るのが遅れたのも“歌”の残滓がまだ彼らの精神を蝕んでいるからだ。いわば、アルコールを静脈に注射されたような最悪の体調コンディションである。


(撃ったのは……佐藤さん? いや、それより――)


 それでも動く。ここで動かなければ状況は打開できない。諸悪の根源である大島ざきりを討たねばならない。この状態が続いている以上、彼女はまだ死んではいない。



「んにゃ?」


 瓦礫の影に隠れて気絶していた大島ざきりが目覚めた。肌が妙に熱い。一帯は火の海である。


「ななっ、ななななな、なんなのだ!?」


 気絶の寸前にも見た光景だったが、彼女は再び驚いた。そして、気絶の前とは異なる風景にも気づく。

 剣持ジェイが倒れ、機材班の二人も焼け死んでいる。そして、彼女を睨む敵がいる。

 有沢ミル。西山彰久。火熾エイラ。すべての瞳が、殺意に漲っている。


「ひっ」


 彼女は躊躇わずに背を向けて逃げた。途中でなにかを踏んだが、気にせず逃げた。


 学園は異能者を「兵器」として養成する施設である。そして兵器の要件とは、「敵の撃破」をはじめとする「目的の遂行」にある。「生存」は保全性を高めるための二次目標に過ぎない。

 だが、彼女は生存を優先した。

 それは彼女が異能に無自覚な期間を長く経験していたことと無関係ではないだろう。学園の人格教育カリキュラムはそのため正常に作用しなかった。彼女は生き物として当然のあり方を示す。

 生き残る。なんとしてでも。


(なんで? なんでなのだ? みんなうまくいっていたのだ)


 皆陽中学にて、彼女の異能が初期不良を起こしてしまった生存者は十九人。すぐにでも始末したかったが、彼女は待った。あまりに数が多いため、式を待たずに動くのは危険が大きすぎると判断した。彼女にもそれだけの理性があった。それに、卒業式がはじまればなにもせずとも勝手に死んでくれる可能性もある。

 その通りになった。のに、十九人中十五人が勝手に死んだ。

 彼女は確信した。なにもかもうまくいくと。すべてが望み通りに運ぶと。「序盤は待て」と聞いたのでその通りにした。四人がまだ残っていたが、一人の居場所はわかっていた。

 彼女は下僕ファンとして迎えるものをランダムに選んでいた。そのときに得た〈呪縛〉の異能者によって生徒会の壊滅も容易いと確信した。生徒会に守られる佐藤愛子は最も困難な標的だと思っていたが、生徒会もまた目障りな存在だった。

 目的を同時に達成する完璧な作戦だった。


(失敗? 負けた? ざきりが? でも、まだ死んでない。もしかしたら、あの炎で佐藤愛子も死んだかも? 生徒会も大勢死んだ。あいつらも苦しんでた。結果的には勝ちなのだ。犠牲はあっても、最後はざきりが勝ったのだ!)


 生き残ることができれば、あるいは。彼女はそのように思い込むこともできただろう。


「……おい」


 その先に立つものがいた。一人の男だった。学ランを着ている。生徒会だ。


「待てよ」


 彼は、桜佐武郎である。

 満身創痍である。頭痛がひどい。鼓膜も破れている。武器の拳銃も佐藤愛子に渡したままだ。

 だが、それでも。

 もはや戦意を失い逃げるつもりの少女と、殺さねばあとがない男。戦力比は歴然である。

 佐武郎には素手で人の命を絶つ技術を多数習得している。悪条件バッドコンディションでの訓練も積んできた。ざきりにもそれがわかった。戦えば勝てないことがわかったし、逃げることもできない。歌も、今の精神状態では「上書き」となる。整った舞台ステージでなければ、支配の歌は唄えない。


「なっ、なんで! なんでなのだ! なんで! なんでざきりの! 邪魔をするのだ!!」


 だが、それでも。

 現実は、依然として大島ざきりの味方である。


「ガウッ!」


 飛び出す影は、ざきりにとって残された最後の信奉者ファン。最後の切り札。


「とらお!」


 シベリアトラ。体長3m。体重300kg。人の味を覚えた獰猛な獣。

 そして、大島ざきりの熱心な従者ファンである。


「ははっ、げひゃはっ! ぶひっ! ぎへひひひっ! ぐひゃひゃひゃひゃ!! ざきりは! 死なない! 負けない! 倒れない! ざきりは、すべての支配者なのだ!!」


 大島ざきりはなお、健在である。

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