15.大島ざきり⑥
「愛と 哀しみに 包まれて♪ 夢をぉ―― 見ぃ――るぅ――♪」
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
狂演。自信に満ちた歌声が響き渡る。
異能者は身体能力に優れる。歌もまた、身体操作の一種である。喉、腹筋、横隔膜、肺活量、すべてが人類最高水準を上回る。高い声量。広い音域。リズム感。絶対音感などと呼ばれるものは標準搭載だ。可聴域も極めて広い。
「雨に打たれて笑って朽ちて♪ 酸に溺れて泣いて許して♪ 灰を吸って今日も歩くよ♪ 錆びて転んで夢を見よ♪」
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
取り巻きもまた踊り狂う。右に左に身体を振って神を称える。長身の男を中心に、両隣に横に広い小柄な男が二人。なんらかのメタファーのようだ。
シベリアトラもまた彼女の歌に魅了され、愛撫を求めてじゃれつく。虎は人には懐かない。だが、異能者であるなら話は別だ。彼女は神であり、支配者である。この世のすべてには彼女を愛する権利がある。
「
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
満面の笑顔を振りまく。
彼女の目は現実を見ない。必要がないからだ。現実とは彼女に従属するものに過ぎない。
彼女は異能者だ。ただし、そのありようは「兵器」というより「災害」に近かった。
***
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
佐武郎は思わず、叫んでいた。どこからともなく脳に直接手を加えられたかのように、そうせざるをえなかったのだ。
「……先輩?」
佐藤愛子が怪訝な顔をしている。醜態を晒した。おかげで思考が覚める。
だが、それも一時的なことだった。再び叫び出したい衝動が腹の底から這い上がってくる。あるいは、邪悪な蛇に絡め取られているような――いずれにせよ、それは佐武郎の精神を蝕み続ける。
「なんだ、これは……歌?」
一階から響いてくる声に対し、佐武郎は耳を覆った。
不快だったからではない。危険だと理性的に判断したためだ。むしろ、感覚的には心地よさすらあった。
「ざきりちゃん、の歌ですね。なにか思い出せそうな……もしかしたら、あの日も歌っていた、のかも……?」
「歌が異能の発動条件、ということか……?」
「桜先輩!」
呼び止められ、ふらりと教室を出て行こうとしていたことに気づく。歌に誘われていたのだ。
予想通り、大島ざきりの異能は精神に作用する。だが、歌という媒介は想定していなかったし、なによりこの距離でここまで強力な効果を発揮するとは思っていなかった。
(まずい……耳を塞ぐ程度じゃ聞こえてくる……それどころか、意識を強く保たないと耳を塞ぐ手も緩めてしまう)
となれば、やるしかない。
「桜先輩!? なにやってるんですか!」
佐武郎は、自らの両鼓膜を破った。両耳から血が垂れる。歌は遠くなり、思考を占める理性の領域は広くなった。ただ、三半規管にもダメージを負った。それに、鼓膜を破ったからといってまったく聞こえなくなるわけでもない。
歌はまだ、微かに聞こえてくる。抵抗を続けるだけで精神をひどく消耗していくようだった。
「鼓膜なら……あとで佐藤さんに治してもらうことを期待しています。それより……」
「フラフラじゃないですか。すぐに治しましょう!」
「いえ、今ではなく……それより、佐藤さんはなぜ無事なのでしょう」
「え?」
そういえば、という顔をする。
「ざきりが佐藤さんを狙っていた理由は、このあたりにありそうですね。なんらかの理由で、佐藤さんには大島ざきりの異能が通用しない」
「……可能性としては、私がざきりちゃんを知ってたから……? 覚えてはいないけど、異能が通用しなくなるなんらかの条件を満たしていた、とかでしょうか」
「たとえば、……彼女に触れた記憶はありますか。皮膚接触が発動条件となる異能は多い……彼女の場合は、逆なのかも」
「どうでしょう。そこまで仲はよくなかったと思います。印象も薄くて……そうです、ざきりちゃんはああじゃありませんでした。気弱で、大人しくて、自信なさげで……」
「それはずいぶん、今と印象が違いますね……」
過去を知る。それ自体が命を狙う理由としては十分だ。しかし、“歌”が通じていない理由はわからない。なにか条件があるのだとして、簡単に達成できるものではないのだろう。佐武郎はそう判断した。
「……逃げます。歌が聞こえない場所まで……」
「窓から飛び降りるってことですか? 無茶ですよ! 立つこともやっとなんじゃないですか?」
「…………」
指摘は正しい。鼓膜と三半規管のダメージだけでなく、歌の影響が大きい。頭が割れそうに痛む。三階から飛び降りれば、姿勢を崩して頭から転落するリスクもあった。
「……私が行きます」
「え?」
「ざきりちゃんの歌が効かない私でなければ、ざきりちゃんは止められません」
「まっ」
待て。そう言いかけた。言葉にならなかったのは、なぜ自分の口からその言葉が出ようとしたのか、理解できなかったからだ。
「桜先輩はそこで待っていてください。耐えられますか?」
「……おそらく。この状態で耳を塞いでいれば……」
「では、行きます」
「これを」佐武郎は拳銃を取り出す。「持っていくといい……」
「ありがとうございます」
佐武郎は、腰を落としてその背を見送る。
(そうだ、それでいい)
佐武郎は思考を整理する。なぜ彼女を「待て」と止めかけたのか。それがわからなかった。
佐藤愛子が死ぬからか。死ぬかもしれない。だが、それでなんの問題がある?
勝てばよい。歌は止まる。負けたとして、彼女が死ぬだけだ。
(彼女が死ねば、鼓膜を治せなくなるから……?)
確かに、鼓膜が治るのは遅れるだろう。しかし、致命的というほどではない。いずれ自然に治る。それに、耳が聞こえなくとも外付けの感覚器官としてリッシュがいる。
『もしかしてあの子に惚れちゃった? そんなことある?』
噂をすれば、だ。
「……あまり話しかけるな。気を保つのに精神をだいぶ持っていかれてる」
『十中八九死ぬと思うよ? 敵はざきり一人じゃないはず。まあ、だいぶ削れただろうけど、それでも五〜六人は残ってるんじゃない? それにあの子、戦闘向けじゃなさそうだし』
「というか、お前にはやっぱり効かないんだな……」
『え、あ、そうだね。いい歌じゃん。私は好きだな〜』
意識を集中して、佐武郎はただ耐える。
(関係のない人間が死のうと、俺にはどうでもいい……)
彼は努めてそう思い込んだ。
ただ、どちらにせよ自らの身も窮地に立たされている。佐藤愛子が勝てる確率は低い。であれば、このままでは「先」がない。しかし、打開策を見つけ出すほどの思考能力は、もはや佐武郎には残っていなかった。
***
「歌?」
「大島ざきりが歌ってる……?」
「なに、この歌……!」
新校舎へ入った大島ざきりを生徒会は包囲しようとしていた。
だが、彼らはその歌のために歩みを止めた。止めなければならなかった。その歌は攻撃であると認識できた。これ以上は聞いてはならないと理性では判断できた。それでも、脳に楔を打ち込まれたように釣られて誘われていた。
「ばか! 行かないの!」
それを、有沢ミルが制止する。〈跳躍〉で前に出て押し飛ばし、自らも〈跳躍〉ですぐさま離脱する。一人一人を次々に蹴飛ばしていく。衝撃によって何人かは我を取り戻し、そそくさと退避する。
だが、有沢自身も自らが蝕まれつつあることを自覚していた。このままでは長くは持たない。〈跳躍〉の異能があるぶん、逆に一足飛びにざきりのもとへ向かってしまう危険性もあった。なにより、そこに剣持ジェイがいるために。
この歌に完全に蝕まれてしまった場合には、どうなるのか。
おそらく、彼らのようになる。ざきりを信奉し盲目的に従い命を投げ出すことも厭わなかった彼らのように。つまり生徒会にとって敵となる。
(私まで敵になったら、生徒会はもう終わりじゃないの……)
そう思うと、有沢は大きく後退せざるを得なかった。助けられなかったものもいたが、仕方なかった。
「……ダメだね。僕の〈分身〉もやられた。本体にフィードバックされないのが幸いだったけど、〈分身〉はもうすっかりざきりの手下だ。撃ち殺しておいてくれるかな。できるだけ動きを止めておくから」
「なにそれ。ていうか、あんたの〈分身〉ってどうなってんのそれ」
距離をとって、彼らは大講堂まで退避した。歌は遠くなり、影響は弱まる。それでも、まだ頭の中で歌が響き、ひどく体調を乱された。
「く、頭が割れそう……。あいつ……あのピンクゴスロリ、まさか“歌”なんて……!」
「歌を媒介にして精神を汚染する異能――歌に近ければ汚染は強く、聞けば聞くほど汚染は深刻になっていく。射程は、歌が聞こえる範囲……? まだ微かに聞こえるけどここまで来たらだいぶマシではあるね。逆二乗で減衰するタイプかもしれない」
「どうすんの。結局近づけないってことよね」
「……彼女も、いつまでも歌っていられるわけじゃないはず。疲れるのを待つしか……」
「あいつに囚われてる仲間もいるのよ! 剣持先輩だって……」
助けられなかったものたち。
そのうちには、火熾エイラも含まれる。
歌が始まったときに近づきすぎていたのが原因だった。
「ぐ、ぁ……くそ、なんだこの歌……うぅ、おれが、おれじゃなくなって……」
彼女もまた、羽虫のように誘われていた。やがてライブ会場の食堂まで足を運び、
だが、それも限界を迎えた。
「うぉ、おおおあああおああああああッ!!」
吼えた。そして、爆発した。
文字通りの意味で、彼女の異能は爆発した。一切の制御を捨てて、なにもかもを燃やし尽くそうとしていた。精神侵蝕とその拒絶の鬩ぎ合いの果て、彼女は狂気に堕ちた。
皆陽中学で起こった惨劇と、同じ光景である。
「愛とかなっしみ――あれ?」
あたりが火の海になりながらも熱唱し続けていたざきりも、その熱気がライブの高揚感からくるものではないとようやく気づいた。
「な、ななっ、なんなのだこれは!?」
火熾エイラの暴走に、柱が溶け梁が落ちる。
普段、彼女は〈発火〉の異能を精妙に制御している。延焼を防ぐために対象を理性的に選択していた。言い換えると、そこには理性の枷があった。その枷が外れ、彼女は対象を選ばなくなった。
結果、対象となったのは――水である。
水蒸気爆発と呼ばれる現象だ。水は気化することで1700倍の体積となる。その瞬間的な体積の増大は爆発と呼んで差し支えのない現象だ。高温の水蒸気が一瞬にして広がる。
その惨劇に巻き込まれて、大島ざきりは気絶した。
一方、三階から降りてきた佐藤愛子は、距離をとって言葉を失い、呆然としていた。
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