10.大島ざきり
大講堂は生徒会にとって主な拠点ではあるが、唯一の拠点ではない。
常駐している人員は二十名ほど。日によって数人が上下する。特に執行部の五名がここに常駐しているため、「主な拠点」となっている。
その五名のうち、会長は無力化され三名が外征に出た。敵の攻撃を受けているという事情からも再編制がなされ、大講堂の防衛は強化された。現在は三十名ほどが大講堂に身を置いている。
「く……、話くらいは、できるようになったわね……」
「会長!」
西山は残された最後の執行部として臨時指揮を任されていた。急な任命に反論したい気持ちはあったが、特に言葉が浮かばず流されるままになっている。
「かなり、強力な〈呪縛〉ね……指一本動かせない……私が払い除けられていれば、ありすが出ることもなかったのに……」
それでも、話せるようになるだけ驚異である。二ノ宮にかけられた〈呪縛〉は、本来であれば鼓動すら止めうるものだ。呼吸が可能であるのも、彼女が抵抗しているからである。
「いえ、この攻撃は予測のつかないものでした。狙い撃ちにされたのでしたら仕方ありません」
「……敵の心当たりが、ないわね……いや、生徒会に敵なんていくらでもいそうだけれど……周到な準備に基づく攻撃のはず……ここも、狙われる可能性が……」
「そうですね。敵の目標は会長個人というより生徒会でしょう。そのための最大の障害となる会長を無力化した。本当の攻撃はこれからでしょうね……」
「わかっているなら、私を看る必要はないわ……指揮を取って。私は、ありすを信じて待つ。自力で振り解くのは無理そうだから……」
「わかりました」
西山は執務室をあとにした。
気乗りはしなかったが、任された以上、仕事はこなす。
「さて。佐武郎くんはどこかな」
敵の正体は不明。
であれば、打てる手は惜しみなく打たねばならない。
***
(歌……?)
地の底から響くような――事実、それは地下から聞こえていた。
外を
(こんな空間があったのか……)
落とし戸を開き、梯子を降りる。
土塊の地下迷宮。冷たく重い空気が肺を満たす。薄暗がりを壁伝いに、快い音のもとへ足を運ぶ。頭がくらくらと、朦朧としていた。脳の血管が踊っている。神経が揺らめき立つ。心臓が高鳴り、血管が沸いていた。音の発生源を確かめなければならないという使命感が胸の奥で燃え上がる。
ゆえに、足元は覚束ない。土塊に躓き、慌てて姿勢を立て直した。
(待て! 俺はなにを……こんな不用心に! 音がするということは、敵がいるということ! 今は卒業式の真っ最中なんだぞ!)
彼は息を呑み、正気に戻る。踵を返そうと、しかし、すでに遅かった。
見えないなにかに、彼は後ろから羽交い絞めにされていた。
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
熱狂であった。十数人の男女が一体となって踊り狂っていた。サッカー部、野球部、アメフト部、あるいはTシャツ・ジーパンの簡素な私服。服装にも統一性がない。混沌の集団。彼らに共通しているのはただ、熱狂である。
薄暗い部屋にスモークが焚かれ、派手なライトがちかちかと照らされ、重低音のビートが響く。
一人の少女が神のように崇められていた。光と音はすべて一人の少女を讃えるためのものだ。少女もまた、それに応えるよう愛嬌を振りまく。
(なんっ……なんだ、これは)
目眩を覚える。耳鳴りがする。身体中が爪先まで痺れて、足が浮つく。後ろ手を縛られて連れられた空間は、彼にとってあたかも異界であった。そこには人ならざるものの姿まであった。
(馬鹿な……クソッ、こんな連中が……こんな
彼はバレー部の二年である。そして、バレー部はこの卒業式において総合体育館を拠点とする「部活動連合」という一つの
だが、部活動連合では失踪者が相次いでいた。
彼は今、その答えを目の当たりにしている。
「なんだ! お前たちは……これはいったい……!」
「ぐひひ、新しい
壇上の少女がマイクで答える。
地下クラブともいうべき異質な
「はい。ざきり様。この地下まで足を踏み入れていたようでしたので」
背後の男が答える。姿なき声だ。
「ぐふっ。運がいいのだ。今、まさに時は満ち! 出撃準備の真っ最中だったのだ。せっかくだから一曲……天国へ招待するのだ!」
マイク。アンプリファイア。スピーカー。ライト。スモーク。サイリウム。
どれもが彼にとっては初めて目にするものだ。どれも学園生活を送るにあたって必要はない。ましてや、卒業式にもいらない。このような趣味嗜好にまつわる物品は多くが「単位」による申請で手に入る。真面目に授業を受けた生徒への褒賞だ。だが、規模が常軌を逸している。どれだけの生徒が「単位」を注ぎ込めば、これだけの機材が用意できるのか。
そのうちで特に目についたのは棺桶である。薔薇の造花が敷き詰められた棺桶に、美しい女性が寝そべっていた。艶やかな黒髪。雪のように白い肌。黒衣に身を包み、すらりと長く伸びる脚も黒タイツに覆われ、両の手は腹部に添えられしなやかな指が絡まっている。
二ノ宮綾子を精巧に象った人形である。彼らの勝利を象徴する成果でもあった。
「ひ、ひひっ……ざきり様、完璧です。完璧ですよ。二ノ宮綾子は身動き一つ取れません。いまやあの女はただ綺麗なだけのお人形です」
姿勢も顔色も悪い女だった。髪もボサボサで、眼鏡のレンズも厚い。着ている服の色彩も薄い、野暮ったい少女だった。
――
「よくやった! ぐひひ! 生徒会はきっと必死に探すのだ! 大慌てで! 大人数で! 人海戦術に頼って大事な拠点を留守にするのだ! 大講堂は隙だらけ! 会長なき生徒会は雑魚同然! 今こそ叩いて潰すのだ!」
「おおおお! ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
言葉の一つ一つが
(こいつら、生徒会に仕掛けるつもりなのか……!?)
まずい。逃げなければ。このまま呑まれては取り返しのつかないことになる。彼はそう直感した。薄れゆく意識は、この狂気の集団に従いたくてならないという衝動に呑まれようとしている。その先は破滅しかない。だが、次第に、抵抗の気力すらが、蒸気のように身体から漏れて抜けていく。
(……ん?)
少女の両隣には二人の男が立っていた。とりわけ目立つ、眉目秀麗の男たちである。彼はそのうちの一人に、見覚えがあることに気づいた。
(まさか……あの人は、まさか……!)
あの人の伝説はよく知っていた。かの“サンダー”にも屈することなく、退け続けた人物。“守護者”とも呼ばれた英雄。混乱の最中にあった学園に秩序をもたらしたとされている。所属する
だが、いつしかあの人は姿を消した。ランキングにはまだ名前が残っている。生きてはいる。だが、それがまさか、こんなところで目にしようとは夢にも思わなかった。
(そうか、だから、こいつらは……! 勝算があるのか! 生徒会に……!)
場の昂揚が伝染していた。彼もまた、その夢に身を投げ出したくなっていた。この狂気の渦に身を委ねればどれほどの至福か。毛の先まで彼は理解してしまっている。
「ざきり様。向かいましょう。時は満ちました。今こそ、ざきり様の御威光を知らしめるときです」
ネクタイを締め、黒スーツに身を包む長身の男だった。短く、清潔に切り揃えられた銀髪が輝く。その佇まいからも、あたかも熟練のSPのような風格だった。
――双見冷(三年) ざきり☆ファンクラブ・双璧 17Pt――
「ああ、愚民は罪を知るだろう。神を知らぬという罪を。胴と頭を分てば、その罪も分散されるだろうか」
同様に双璧をなすもう一人の男。SPのようでもあり、その精悍さは騎士を連想させた。長い黒髪を後ろに結ぶ美丈夫である。
――剣持ジェイ(三年) ざきり☆ファンクラブ・双璧 20Pt――
「よくいった! げひひ! 序盤は様子見が
「ざきり! ざきり! ざ・き・り! フォーゥ!」
まだ誰も彼女を知らない。彼もまた彼女を知らなかった。
一昨年の卒業式において、星空煉獄を誰も知らなかったように、まだ誰も彼女を知らない。
誰もが彼女を知ることになるのは、これからだ。
「ざきり……様……」
いつしか、彼も目を輝かせていた。爛々と、狂った光を帯びていた。彼女に付き従うことがこの上ない悦びであることを理解し、全身全霊を捧げて奉仕することを胸に誓った。
「ざきりは小さな島じゃない! 大きな島なのだ!」
ピンク色に染まった髪に、フリルが過剰に装飾されたゴシックロリータに身を包む少女。アイシャドウやチークによる化粧が彼女の可憐さをさらに引き立てていた。天を指差し、頂点をとることを誓う。
――小島ざきり(一年) ざきり☆ファンクラブ・姫 1Pt――
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