6.卒業式七日目

「あはっ。どしたー? なんかお疲れだねー」


 気の抜けた声で迎えられ、羽犬塚明は拠点である時計塔に帰還した。いつものようにダラダラと寝そべっているのはもう一人の四天王、眼帯の少女である。袋入りのナタデココを開封し、シロップごと飲んでいる。冷蔵庫にも入れずに温くなっているが、彼女には関係がない。

 糖分の補給が終わると、彼女は図書館から借りパクした本の山を読み崩しはじめた。手に取ったのはすごい物理学の本である。

 ――魅々山みみやま迷杜めいと(三年) メテオ 51Pt――


「君も出てたんじゃなかったっけ?」

「ひとまず一人は狩れたからいいかなって。2Ptだったけど」

「へえ。ってことはついに50台か」

「そそ。だからまあ、ひとまずね。というか私って大物狙いだから、小物をちまちま狩るのって性に合わないなってのも気づいたの」

「そっか」

「やっぱ20Ptくらい超えてないとねー。生徒会くらいかな、そうなると」

「生徒会ねえ。俺はあんまり関わりたくないな」

「で、そっちは? ヴァディム……なんだっけ?」

「ヴァディム・ガーリン。まあ、ダメだよ。全然ダメ。そもそも日本語通じないし。出会っていきなり俺のこと食おうと襲ってくるし」

「食う? えと、その、性的な意味で?」

「文字通りの意味でだよ」

「ふーん。実力は?」

「……的場みたいな圧力は感じたね。いや、的場とは違うな……。なんと言えばいいのか……。そんな感覚だ」

「なにそれ」


 羽犬塚はヴァディムから受けた印象を思い返す。事実だけを並べれば、殺意を感じて逃げた。ヴァディムの攻撃は旧校舎の壁を破壊した。生徒会二名と遭遇し逃げ帰った。それだけだ。

 だが、羽犬塚が異能〈探知〉によって受けた印象には、それ以上に言語化しがたいなにかがあった。彼は自らの異能を通じて相手の「力量」をおおよそ測れると自負している。それは相手の姿勢、筋量、骨密度などの身体的なものから、心拍数や表情、体温、発汗、緊張から自信や警戒心などの心理状況を推し量り、総合した評価だ。


 桜佐武郎には警戒に値する「力量」が感じられた(あとで思い出したが、彼は転入生だ)。彼は自らの実力に自信を持ちながらも、決して自惚れてはいない。高い観察力と冷静な判断力がある。が、「確実に勝てる」というほどではない。少なからずとも負ける可能性があった。

 ヴァディム・ガーリンを言い表す言葉はもっと曖昧になる。ただ襲ってきたから逃げた、というのもある。それ以上に、「こいつにこれ以上関わるべきではない」という強い直感が働いた。多くの強者を〈探知〉で探り、実際に知れた実力と比較しながら彼は「力量」測定の精度を高めていたが、羽犬塚はヴァディムがわからなかった。


はいったい、なんだったんだ?)


 いつしか、羽犬塚は思考のうちでヴァディムを「彼」と呼ぶことにすら違和感を覚えた。


「とにかく、得体のしれないやつだよ。てな感じで報告したいんだけど、煉獄は?」

「寝てんじゃない? しばらく呼ぶなって」

「またか。というかそれ、四天王の補充もヴァディムも別に大して興味なかったってことだよね」

「そりゃそうでしょ。煉獄なんだから」

「そりゃそうか。煉獄だしな……」


 羽犬塚は深いため息をついた。帰りが遅くなったのも「頑張った」感を出すためだけの小細工だったが、その必要すらなかったのだ。


「てかさ、獲物を探し回ってて思ったんだけど……なんかおかしくない?」

「おかしい?」

「少なすぎる。いや、巧妙に隠れてるのかな。なんか、全然見つからなかったの。さっさと切り上げて帰ってきたのはそのせいもあるんだけど。あんたの異能だとどうなの」

「同じだよ。気配が妙に少ないとは感じている。とはいえ、俺の異能から逃れる術は結構あるからね……」

「生徒会とか? 生徒会みたいなことしてるやつらが他にもいるってこと?」

「かも知れないね。そして、そいつらはきっとめちゃくちゃ慎重派なんだろう」

「まさか百人くらいでまとめて引きこもってるわけじゃないでしょうね。それこそ生徒会とか図書館みたいに」

「だとしたら卒業式が終わらないかもしれないな。拠点の位置がわかってる生徒会の方がまだやりやすいくらいだ」

「めんどくさ。ま、煉獄次第でしょ。来週くらいにはやる気出すんじゃない?」

「いや、俺は再来週だと思うね。つまり第三週、後半からだよ」

「そこまでサボる?」

「というか、煉獄はもう動く必要がないからね。最終週まで動かないかも」

「いやいやいや。マジで卒業式終わんないじゃん」

「……心配しなくても、なにかは起こるよ。なにか、面白いことが起こるはずだ」


 卒業式の開始から一週間。事態はおよそ平均的に推移している。ただ、その「平均」には一昨年のような極端な例が含まれている。「平均」であるということは、必ずしも「普通」ではない。

 であれば、「平均」的な推移を示すということもまた、「異常」な例なのである。


 ***


 大講堂には地下練武場が存在する。

 というより、学園には至るところにそのような地下室がある。天井の高い、テニスコートほどの広さを持つ空間である。それは、学園が「兵器」としての異能者を養成するための施設だからだ。授業などの多くの場合は、その役割を体育館やグラウンドが担う。だが、公の場では異能を晒してしまうことになる。そのため、防音性も高く異能を外部に漏らさずに訓練できる密室プライベート空間として小規模な地下訓練場は重宝されていた。

 その日、その空間を必要としたのは有沢ミルである。訓練のパートナーとして西山彰久の姿もあった。


「この訓練、僕いる?」

「いるわよ。今はまだその、アレだけど」


 有沢の訓練は、今日手に入れたばかりの拳銃を扱う訓練である。

 羽犬塚に不覚をとった。それは拳銃に慣れていなかったせいだ。正確には、拳銃を手にしていたにもかかわらず「いつもの間合い」に入ってしまった。

 瞬時に背後をとれる彼女の異能は確かに強力だが、相手がそれを知っていた場合は対策も取られやすい。二ノ宮会長との模擬戦ではいくら背後をとっても動きを読まれ迎撃されることがしばしばあった。にも通用しなかった。そして、羽犬塚相手にも同じ目に遭ってしまった。


「――っと」


 よって、有沢はただ背後をとるのではなく、拳銃の間合いで背後をとる。それも、〈跳躍〉の直後に姿勢を崩さず、素早く構えて狙いを定め、撃たねばならない。今はまだ実弾は撃たず、狙いを定めるまでの動きを繰り返している。


「僕の〈分身〉も、維持するの結構疲れるんだけど」

「わかったわよ。だったらさっさと撃ち殺してあげる」


 西山が呼ばれたのは、訓練の標的としてだ。人間と同じ質量を持ち、人間と同じ動きができる西山の〈分身〉は、それこそ訓練相手としてはこの上ない。殺すつもりで相手にしても、そして殺してしまっても問題がないからだ。


「ここ!」


 撃つ。が、外れる。銃弾は防弾仕様の強化アクリル壁を叩いた。


「当たらないね」

「っさい!」

「というより、佐武郎くんがすごいんだろうな。拳銃ってそうそう当たらないものらしいし」


 桜佐武郎。拳銃について教えを乞うなら彼に声をかけるべきなのではないか、とも有沢は思っていた。ただ、プライドが邪魔した。少し訓練すれば扱えるようになるだろうと楽観的に考えていたのもある。オプションで予備弾薬をつけたのも訓練で消費することを見越してのことだ。これだけあればさすがに身につくだろうと気を取り直す。


「見てなさい。次は撃ち殺すわよ」

「うん。別に〈分身〉が撃たれても痛くも痒くもないから、好きにしていいよ」

「え。痛みって別にないの? てっきり本体にフィードバックされるものかと」

「本体にフィードバックされると思って撃とうとしてたの?!」


 有沢ミルの訓練は夜通し続く。命中精度は次第に上がり、想定状況もじょじょに実戦に近づく。


「今度は全力で逃げ回りなさい。どこまでも追いかけて確実に撃ち殺すから」

「え、まあ、うん。やってみるけど」


 銃を構え、跳ぶ。西山は狙いを定められないよう逃げ回る。ただ、右に左にと跳び回る有沢に翻弄され、牽制として撃たれた一発に思わず動きを止める。有沢は、その隙をつき正面から、余裕を持って〈分身〉の頭部を撃ち抜いた。


「……ふぅ。こんなものかしらね」


 と、有沢は腰を下ろした。


「あれ、もう終わるのかい?」

「ちょっと休憩。それに、考え事もあって集中力が切れてきたから」

「考え事?」

のこと。これでも、には通用しないだろうなって」

「まあ、さすがにね」

「……あんたにいわれるとなんかむかつくわね。ていうか、やっぱり、去年の卒業式――私たちが助かったのは、のおかげだったんじゃない?」

「そうだね。あのあと現場に足を運んだけど、切断面が妙に綺麗な瓦礫があったから。影から僕らを助けたんだと思う」

「え?」

「あんなことができるのはしかいない」

「ちょっと待って。それ初耳なんだけど」

「話さなかったっけ?」

「聞いてない」

「ごめん、話したつもりになってた」

「……ていうか、それならほぼ確定じゃん。あのときもいたってことじゃん。……顔くらい、見せてくれてもいいのに」


 そして、有沢は再び深いため息をついた。


「まだ卒業してないわよね。今どこで、なにをしてるのかしら」


 ***


 そして、卒業式の第七日が終わる。残り870人――

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