5.羽犬塚明②

「やあ。奇遇だね君たち」


 ジャージ姿を見るまでもない。メテオだ。

 突如として現れた“敵”に対し臨戦態勢を構える佐武郎と有沢に、羽犬塚は軽い口調で話しかけた。

 なにが奇遇だ、と佐武郎は思う。そして、それは正しい。

 羽犬塚はその異能〈探知〉によってヴァディムと会う以前から彼らが近くにいることを知っていた。行きの道中では避けていたが、こうしてヴァディムに追われる今は逆に彼らを追うようにして逃げた。

 結果、ヴァディムも思わぬ遭遇に動きを止める。


「助けてくれないか。このロシア人は“食人鬼”なんだよ」


 羽犬塚はヘラヘラと笑いながら話を続ける。


「なに言ってんの。私らからすれば“敵”はあなたなんだけど」


 有沢は手に入れたばかりの拳銃を羽犬塚に向けた。


「先輩。まずスライドを引いて装填してください」

「え? あ、こう?」


 耳打ちで伝えたが、銃に不慣れなのは一発でバレてしまっただろう。

 佐武郎は状況を注意深く観察する。ロシア人――ヴァディム・ガーリンも同様らしかった。血に濡れたエプロンに、手に持つ武器は骨も断てそうなほどの大型の肉切り包丁。まさに食肉業者という風情だ。

 一方、羽犬塚に警戒の素振りはない。異能によって代替できているのだろう。有沢は単なる不注意だ。


『さっきの話は本当なのか?』


 佐武郎はロシア語でヴァディムに話しかけた。


『――ハイヌヅカはなんと言っていたんだ?』


 佐武郎が流暢なロシア語を話したことに驚いたのか、答えまでに若干の間があった。


『お前が“食人鬼”だと』

『食事中だったのは本当だ。異能者が人間であるというなら“食人”も本当だ。ただ、“鬼”という表現には異議を唱える』

『なぜ羽犬塚を追っていた?』

『彼も食べようと思ったからだ』

『なるほど』


 もともとこの学園は殺し合いの場、異常者の巣窟だ。食人家がいたところで驚きはしない。問題となるのは、彼の立場スタンスだ。彼はロシア人には違いないが、仲間ではない。諜報部との繋がりはない、正規の留学生だ。


「え、佐武郎それロシア語? めっちゃ喋れるじゃん。なんて言ったの?」

「俺はロシアの工作員スパイだって言ってるじゃないですか。話せるに決まってるでしょう」


 有沢のことは無視する。


(ヴァディムのポイントは最後に確認したかぎり1Ptだった。留学生は0Ptからスタートだから少なくとも一人は殺している。食事中だというのはそれか? ただ、そのポイント増加も四日以上は前だったように思う。あるいは二人目かもしれない)


 そして、羽犬塚を追っていた。ヴァディムが「好戦的」と言えるかどうかは微妙なところだ。「食べる」ことが目的であるため「殺し」の数自体は少なくて済む、というだけかもしれない。


『私は』ヴァディムが口を開く。『食事中だった。ハイヌヅカに邪魔され逆上したが、冷静に考えれば彼を食べるには胃が持たない。よって、帰らせてもらう』


 と、背を向けて崩落した壁から旧校舎の中へと戻っていった。


「へ?」


 困惑するのは羽犬塚である。


『ハイヌヅカにも伝えてくれ。食事の邪魔をするな。であれば、貴様を追うことはしないと』

『わかった』


 そしてそのまま、三つ巴の緊張関係はあっさりと崩れた。


「あれ? 帰っちゃったねヴァディム。俺、助かった?」

「助かってるわけないでしょ」


 残ったのは、メテオの羽犬塚と生徒会二人の睨み合いである。


「羽犬塚先輩。なぜあなたが俺たちと“共闘関係”を築けると思っていたのかは理解に苦しむところですが」


 佐武郎もまた、銃を抜き羽犬塚に向ける。


「ま、待て待て。話をしよう。ヴァディムとも話したんだろ? それに、こんな不意の遭遇戦のような形じゃあ……お互いにその、メリットがない」


 言いたいことはわかるが、慌てているせいで言葉選びがおかしい。

 佐武郎の知るかぎり羽犬塚の異能は索敵系であり、戦闘向けのものではない。だが、腐ってもメテオの一員である。ランキング四位。47Pt。弱いはずがない。

 その相手に対し、なにかと不安の多い有沢ミルと合わせて二人。数の上では優位だが、的場討伐に十人も動員した経緯もある。なにより、準備がない。

 以上から「リスクが高い」。穏便に済むなら済ませたい状況だ。


(俺が足止めして、その間に有沢が瞬間移動の異能を用いて生徒会に戻り増援を呼ぶ。“羽犬塚を斃す”ことを目的にするならこの手が最も確実だ。だが……)


 それは生徒会にとっての最善であって、佐武郎にとってではない。つまりは「犠牲」になるということだからだ。一対一でメテオ相手にどれだけ粘れるかも定かではない。

 有沢はその策には気づいていない。羽犬塚は気づいているかもしれない。ある意味で、羽犬塚と佐武郎の利害は一致している。


「俺もヴァディムみたいに帰りたいんだけど……ダメかい?」

「ダメ。死んで」


 ただ、好戦的な人間が一人でも混じっていると「穏便な解決」は成立しない。


「有沢先輩。相手はメテオです。二対一だからといって勝てるとはかぎりません。逃げたがっているなら逃がしてもよいのでは?」

「はあ? なにいってんの。勝てる自信があるならもっと強気に出るでしょ。やったら負けると思ってるから逃げたがってるんじゃないの」


 羽犬塚はアプローチを間違えたか、と頭を抱える。その仕草の意味が佐武郎にはわかった。


「ったく、メテオだからってビビりすぎなのよ。見てなさい」

「あ」


 止める間もなく、有沢は踏み出す。一歩、それだけで羽犬塚の目の前まで迫る。


「なっ」


 羽犬塚はたじろぐ。思わず、距離を取ろうと体重を後ろ足にかける。

 それこそが、有沢の仕掛けた眩惑フェイントの狙いだ。さらに一歩。有沢は背後をとった。

 だが。


「――っぎ」


 初撃を加えたのは羽犬塚だった。

 特殊警棒を取り出し、相手を目視することなく振り抜いていた。その一閃は首に直撃。加えて、羽犬塚は手元のスイッチをONにした。


(スタンロッドか……!)


 警棒に電流が走る。それは支給品のうちにある警棒に追加注文オプションを加えたものだ。カタログにも載っていない独自のもの。40Pt以上という高ポイントだからこそ可能だった注文だ。

 食らえば、対象は意思とは関係なく筋肉が収縮し身動きが取れなくなる。スタンロッドならそれで終わりだ。ただ、異能者が相手ではその程度の威力では心もとない。

 羽犬塚の持つスタンロッドは、端的にいえば殺傷力の要である電流アンペアが高い。数値にして100mA。人間であれば心室細動によって死に至る。異能者であっても、昏倒は免れない。


(有沢の奇襲は完璧だった。羽犬塚はそれを見ることなく捌いている)


 いや、見えていたのか。佐武郎は羽犬塚の推定異能を思い出す。

 索敵系の異能――おそらくそれは、近・中距離戦でも有効な異能だ。範囲を絞れば、周囲の状況が手に取るようにわかるに違いない。すなわち、羽犬塚明に死角はない。


「……トドメは刺さないのですか?」

「ん? ああ、これか。言っただろ。俺は帰りたい。戦うつもりで出てきたわけじゃないから、心構えがちょっとね」

(有沢を当たり前のように返り討ちにしておいて、よくいう……)


 佐武郎は二対一の優位を崩されて対等イーブンになったと思った。

 羽犬塚は自身の異能の一端を見せ、一方で相手の異能を知らぬためまだ不利にあると思った。

 互いの認識に齟齬が生じた。互いに退きたい状況だ。だからこそ、相手が信用ならない。この隙に、仕掛けてくるのではないか――と。


「ところで、なんで有沢こいつは銃があるのに距離を詰めてきたんだい?」

「……さあ?」


 何気ない会話で腹を探り合う。羽犬塚はじりじりと後ろに下がろうとしている。


「俺は有沢こいつを殺さない。それでいいだろ。見逃してくれるか?」

「はい。そのまま下がってください」

「銃は下ろしてくれてもよくないか?」

「そこまでは油断できません」


 睨み合いは続く。羽犬塚は少しずつ後ろに下がっていく。羽犬塚の持つ武器がスタンロッドだけなら、佐武郎は有利だ。他に武器を持っていたとしてすでに構えている佐武郎が有利だ。油断はならないが、その状況を利用することを佐武郎は思いついた。


「では、一つお伺いしてもよいですか」

「なんだ」

「“管理者”に心当たりはありませんか」

「ん?」


 羽犬塚は首を傾げた。少し考え、その意味を確認する。


「それは、この学園と卒業式を管理し運営するもの、という意味か?」

「そうです」

「心当たりというのは、その関係者がこの学園にいるか、ってことか?」

「はい」

「……そういうことなら知らないな。悪いね。銃を下ろしてくれるか?」


 佐武郎は羽犬塚の一挙一動を余さず観察していた。嘘をついている様子はない。少なくとも、わかりやすい「嘘」の兆候はなかった。ただ、天才的詐欺師は嘘発見器も容易く通過できる。心拍数や発汗、表面的な態度はいくらでもコントロールできる。完成された嘘は完成された観察眼を上回る。かといって、これ以上は拷問でもしないかぎり新たに情報は出ないだろう。揺さぶればなにか出てくるかと思ったが、本当になにも知らないのであればそのかぎりではない。


「わかりました」


 佐武郎は銃を下ろした。

 下ろしたといっても、再び構えるのは訳のないことだ。敵意の段階をわずかに下げたと示したに過ぎない。


「じゃ、俺は帰らせてもらうよ。ああそうだ、君の名は?」

「桜佐武郎です」

「……桜佐武郎。どこかで聞いたような……まあいいや。帰ってから調べるよ。じゃ」


 そういい、羽犬塚は平然と背を向けて駆けて行った。

 彼の異能は、いわば背中にも目があるようなもの。銃を下した時点で背を向けることを躊躇う理由はない。


(本当に逃げたな。俺程度をそこまで警戒していたのか)


 とはいえ、相手からすれば未知には違いない。彼の異能が思った通りのものであるなら、彼の戦い方はおそらく「奇襲」に特化している。「向かい合う」という状況そのものが不得手だったのかもしれない。


『ってことなら、逃げたと思って油断させてから隠れて襲ってくるかもよ?』


 周囲に誰もいなくなったことで、質量を持たぬ少女――リッシュが姿を見せる。


「……あるかもな。しかも、俺はこの有沢にもつを運ぶ必要もある」

『逃がすべきじゃなかったんじゃない? あの場で撃っておいた方がよかったかも』

「…………」


 羽犬塚の姿はもう見えない。逃げ帰ってくれるならそれで助かるという判断は誤っていたかもしれない。今になって気づいてしまった。


(俺のポイントもすでに20Ptを超えてる。俺はもう狙われる側だ)


 有沢のいう通り、確かに「ビビりすぎて」いた。悔いても遅い。次善の策をとる。

 佐武郎は失神する有沢を担ぎ、物陰まで運んだ。彼女が目覚めるまで、ここに陣を張る。

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