3.ヴァディム・ガーリン

「認めてないわよ。私は。あなたも、あなたのいう戦略もね」

「はあ」


 支給品が空中投下されるのを物陰で待ちながら、有沢ミルは佐武郎に突っかかってくる。


「ルールを根底から覆す? ポイントを操作して優位に立つ? 残念だけど、会長は現行ルールですでに勝ってるの。あえてルールをどうこうする必要はないわ。というより、会長を引きずり下ろすための策でしょ? 殺すことのできない〈不死〉の会長を実質的に斃す唯一の策。それがランキングの不正操作ハッキング。違う?」

「へえ。有沢先輩って意外と鋭いんですね」

「はあ?!!?!」


 さすがに口が滑った。有沢は執行部の中でも一番「頭が弱そう」だと思っていた本音が漏れてしまった。


「そうですね。二ノ宮会長を殺すことができないのであれば、ランキングから彼女の名前を抹消してしまうという手は悪くありません。俺が二ノ宮会長を敵視していれば、の話ですが」

「ほんっと白々しいわね……!」


 実のところ、その手は考えてはいた。ただ、有沢ミルにすら見抜かれてしまうようでは現実的ではない。もっとも、誰かの受け売りかもしれないが。


「会長をランキングから抹消するような不正操作を恐れるのでしたら、そうさせないよう監視していればよいのではないですか?」

「メリットがないのよ。現行のルールで勝てるのだから、無用なリスクよ。その手段が実現可能になる状況そのものがね」

「これは会長のみならず、すべての生徒に有効な手です。応用の幅は広いと思いますよ」

「そう? たとえば星空煉獄を死亡扱いにして、それであいつが諦める? むしろキレて大惨事になるわよ」

「なにも使い方はそれだけではありません。たとえば、“いつの間にか高ポイントを獲得した一年”を捏造してみるのはどうでしょう。星空煉獄も気になって動き出すかもしれません。いわば、的場を斃したときと同じような状況が再現できます」

「かもしれないわね。ただ、星空煉獄以外も動くわよ、それ」

「なるほど。意外と難しいですね。なにかいいアイデアはありませんか?」

「アイデア? うーん……。存在しない生徒を紛れ込ませるとかできそうだけど、しても意味ないか……あとは他に……って、私はそもそも不正操作それには反対なの!」

「思ったよりノリがいいですね」

「うるさい!」


 空を眺め、時計を見る。投下までにはまだ時間はある。もう少し無駄話をしていてもよさそうだ。


「そういえば有沢先輩。聞きたいことがあったのですが、イリーナに会ったのですよね。なにかおかしな点はありませんでしたか」

「おかしな点? そうね、逃げられたしナイフの刃が飛んできたし催涙弾でぐちゃぐちゃにされたわ。さらにいえば、そんなことしてきたやつの仲間がそばにいることもおかしいわね」

「それ以外で」

「とかいわれても、普段のあいつがどうだか知らないからわかんないわよ」

「では、順を追って」

「うーん」


 なんだかんだと思い出そうとしている。律儀な性格だ。


「こっちの質問に対して妙に素直だとは思ったわね。名前も答えたし、ロシアの工作員スパイだって身元もすぐに明かしたわ」

「うーむ。ロシア人というだけで名前についてはすぐにわかりますし、ロシアの工作員というのも俺の正体が片桐先輩にバレているので隠す意味は薄い、といえばそうですね。微妙なところです」

「……ただの時間稼ぎだったってこと?」

「わかりません。俺としても、イリーナがあの場に来ていた意図がわからないので」

「なにそれ。というか、なんで逃げたわけ? あの女、あなたの仲間なんでしょ? あなたが生徒会わたしたちと協力関係にあるならあいつも仲間に加わればいいんじゃないの?」

「会長を撃った犯人ですよ?」

「やっぱ殺すわ」

「だから逃げたんですよ」

「ううう」


 有沢は唸って言葉を失ったが、指摘には一理ある。有沢自身は殺意の塊でも、生徒会は理性的判断としてイリーナを仲間に加える可能性が高い。実際、片桐がいうには一度はイリーナを勧誘したとのことだった(ただし、イリーナはこれを断っている)。

 フットワークを軽くするために組織への所属を拒んだ、という判断だろうか。逃げたのも単にそれだけの話なのかもしれない。組織には一人(佐武郎)が所属していれば情報源としては十分だ。たった二人の潜入員は力を合わせて戦力となるよりも冗長性の意味合いが強い。


「あの女、あなたの仲間ってならテキトーに説得して引きずり込めない? 後ろから刺すから」

「あれ以来連絡が取れないんですよ」

「うそくさ」

(……あるいは、俺に対し狙撃銃SV-98を残すためだけの行動だったのか?)


 結果だけ見ればそうなる。もっとも、イリーナといえどすべてが意図通りに運んでいるわけではないだろう。場合によっては本格的に捜索することも視野に入れる。少なくともまだ死んではいないはずだ。

 時計を見る。空を眺める。そろそろ投下の時間が近い。


「有沢先輩」

「あー、そうね。そろそろね」


 早い段階から投下地点の近くで待機していたのは、投下の瞬間をこの目で見るためである。というより、佐武郎にとってはこれが主な目的だった。


(あの機影は……チヌーク? いやシーナイトか。ずいぶん高度を上げているな)


 ほぼ時間通りに輸送ヘリの姿が見えた。高高度飛行のため音はほとんど聞こえない。生徒会から持ち出した双眼鏡を覗き込む。航跡から出発した基地を割り出せないかとも思ったが、この粗末な双眼鏡でヘリを追うのは難しそうだった。


(人は乗っているのか? それもわからないな。あの高さではいかなる異能も届かない、か……?)


 そして、の箱が空中投下されたのが確認できた。


(……二つ?)


 ヘリはそのまま過ぎ去っていく。長居する理由もないのだから当然だろう。

 投下物資はパラシュートを開き、指定した位置に着地する。精確な投下技術だった。内容物に対して余裕を持たせ梱包箱はかなり大きい。箱自体にもなにか使い道がありそうだ。

 ただ、箱はなぜか二つある。


「落ちてきたわね! 私が取ってくるからそこで見ていなさい」

「あー……、なんでついてきてくれたのかと思ってたんですが、有沢先輩も注文してたんですね。それも、わざわざ時間と地点を被せて……」

「取ってくるわよ!」


 なぜ、と問う暇を彼女は与えない。

 一歩踏み出し、即座に投下物のそばへ距離を詰める。

〈跳躍〉――それが彼女の異能だ。一歩の距離を大きく引き伸ばす瞬間移動の異能である。


(なるほど、こういう場面では便利だ)


 どうしても物陰から出て姿を晒さなければならない局面において、一歩で出て一歩で戻れる。もう少し彼女に信頼があれば、この異能があるからついてきてくれたのだなと納得できる適材適所だ。

 ただ、帰りが遅い。なにかもたついているようだった。


「は、箱の開け方がわからない……」

「…………」


 口頭で説明すると逆に時間がかかりそうだったため、佐武郎も物資のもとまで駆け寄った。


 ***


 人を食すには相応の手間がかかる。

 まず、宿便を抜く必要がある。これは生きたまま、数日をかけて浣腸を繰り返す。逃げられないよう拘束するのが前提だが、異能者相手にはこれが難しい。事前に両眼を潰し耳を削ぐのがまずは必須だ。声帯も潰しておいた方がよい。見ただけ、聞いただけ、話しただけで発動する異能には単なる拘束は役に立たないからだ。

 むろん、安全を期するなら先に殺した方がよい。だが、食うならば美味であるに越したことはないし、そのときの肉は食い切れなかったという後悔もある。

 その数日が経過し、彼はエプロンを身につけ両手にビニール手袋をはめた。いよいよ解体作業だ。


 作業は血抜きから始まる。宙吊りにして頸動脈を切るのがよい。絶命はこの時点だ。彼にポイントが移動する。流れ出た血も一滴残らずバケツで回収する。血もまた可食部分であり、余すことはできれば避けたい。このとき、ついでに頭部も取り外しておく。

 腹を裂き、消化器官系の内臓を取り出す。膜で覆われているため注意深く扱えばまとめて取り外すことが可能だ。できれば捨てたいと彼は思う。内臓は嫌いというほどでもないが、好きというほどでもない。食べなくてもよいなら食べたくはない。そんな位置付けだ。ただ、継承率を上げるためには食すべきではある。このために内臓料理のレシピも調べてきた。

 皮を剥ぎ、肋骨を開き、四肢を外し、部品に小分けしてそれぞれバケツに入れる。これは豚や牛の解体手順を参考にしたものだ。本を読み、動画を観た。人での経験も数回。それなりに慣れた手つきである。


 食人は趣味ではない。そもそも、人間が同じ生物種である人間を食う以上、感染症のリスクが高い。食中毒、B型肝炎、C型肝炎、クロイツフェルト・ヤコブ病。それでも食わねばならない。

 肉はもちろん、内臓も、血も、脳も、骨も。すべてを食らい尽くす。60kg余りを一人で食べるのは時間もかかるし、苦行とすら言ってもいい。できるだけ新鮮なうちに食べなければ継承率が下がるというのも困りものだ。

 ただ、高揚感はある。“新たな力”が得られるという高揚感だ。

 ゆえに、彼は自身を不幸だとは思わない。これは自分自身が選んだ運命だ。

 苦行ではあるかもしれない。だが、その先に得られるものは遥かに大きい。


 七輪に火を入れ、鉄網に切り分けた肉を並べていく。気分は一人焼肉だ。ちなみに七輪も木炭も学園で調達したものだ。お誂え向きの道具が見つかってよかったと思う。あるいは、祖国に持ち帰ってもよいだろう。

 火を通すのも厳密にはよくない。だが、さすがに生食は無理だ。調理することによって効率的に食せるならある意味で「元は取れる」だろうと、彼は妥協している。

 ――ヴァディム・ガーリン(三年) 留学生・無所属 4Pt――

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