14.図書館
目の前まで迫った図書館には異様な威圧感があった。
その原因の一つは、窓だ。ガラス張りの窓はすべて内側から黒い幕が張られ、内部は視認できない。覗き込もうにも鏡のように己の顔を映すばかりである。
それだけではない。なにか言語化しがたい、接近を拒むなんらかの「力」が働いているように感じられたのだ。
「これは……」
「気づいた? 〈障壁〉だよ」
佐武郎はおそるおそる手を伸ばす。図書館入り口の手前、なにもないはずの空間で、なんらかの力に押し返される感触があった。透明度の高いガラスの壁に手が触れたというより、磁石の同極のような強い斥力があった。
「……図書館には入れない?」
「そだよ」
「図書館について、まず話すべきはこれじゃないですか?」
「知ってると思って」
嘘だ。その笑みには悪意しかない。
「破れないんですか?」
「無理だね〜。試しに拳銃でも撃ってみる?」
「協力を求めにきたのに攻撃の意思を見せるのはまずいでしょう」
ただ、どれほどの防御性能を持つのかという好奇心はある。
障壁は図書館の全周を覆っているのか。どれだけの時間、連続して維持できるのか。そして、強度はどれほどなのか。
拳銃弾程度ではびくともしないだろう。では小銃は? 機関砲は? ロケット弾は? 核は?
とはいえ、それらの兵器は現実的に調達しようがないので試せない。
ならば、異能は?
たとえば、先の爆弾テニスを連発しても崩れないのだろうか。火熾エイラの〈発火〉も無意味か。的場塞がいくら殴っても破れないか。あるいは他の、なにか絶対的な貫通力を持つ異能でも砕くことはできないのだろうか。
手前に立ち、その斥力を軽く体験しただけで、きっといかなる力をもってしても破れないのだろうという確信があった。
(――と、〈障壁〉の評価はいいとして)
閑話休題。本来の用件に戻る。
「で、どうやって協力を仰ぐんですか?」
片桐は、というより生徒会はこの障壁の存在を知っていた。それでもなお「無駄」ではないと判断しているからこそ、ここまで足を運んでいるはずだ。
「インターフォンでも押せばいいと思うよ」
「インターフォン?」
「えーっと、図書館には外を監視する能力もあるはずだから、訪問にはすでに気づいてるはずだよ」
「ここで呼びかければ話せると?」
「多分ね」
「ではお願いします」
「あたし?」
「そりゃそうでしょ。指揮官ですから」
「うーん、えっと、なんだっけ。そうそう、失礼します、図書館の方々、的場塞について、ちょっと話があるんですが……その、なんか、いろいろあるらしくて」
「……副会長はなぜこの人に指揮を?」
あまりの体たらくに、指さしながら西山彰久に話しかける。
「片桐さん、一応これでも生徒会のナンバー3だから……」
「“これでも”ってなに? “一応”ってなに?」
「いやぁ、なんというか、そのね……」
ちらり、と佐武郎を見て助けを求めるが。
「なるほど。こうやって返事が来るのか……」
佐武郎の興味はすでに障壁に映し出された文字に向かっていた。
“ようこそ。生徒会の方々”
“詳しい話は中で聞きましょう。一名の進入を許可します”
“こちらは桜佐武郎を指名します”
「俺?」
自身が指名された意外さと、情報能力に驚く。監視カメラの類いは確認できない。異能による監視か。こちらが三名であることも把握されているし、それぞれの顔と名前も知っている。なぜ来たのかも、あえて説明するまでもなく理解していた可能性が高い。
「なんでサブローくんなんだろ。ていうか、あたしたちは?」
“申し訳ありませんが”
“あとの二人は、そちらでお待ちください”
「うぇー、マジで」
「……なぜ俺を指名したのか、お聞きしてもよいでしょうか」
“それも、中で話しましょう”
「…………」
佐武郎は他の二人と顔を見合わせる。相手がそういうならやむを得ない。戦力を分断される形にはなるが、罠を疑っても仕方がない。
「わかりました。どうやって入れば?」
“すでに”
“貴方だけは入れるようになっているはずです”
“ちなみに、武器は仲間の方に預けてきてくださいね”
佐武郎は拳銃を片桐に手渡す。こちらから訪ねてきている以上、「敵意がない」ことを示すにはやむを得ない。
そして再び、なにもない空間に手を翳す。見えている通りになにもなく、当たり前のように素通りする。佐武郎はそのまま玄関まで歩いて行った。
「え、入れんの? じゃ、あたしも」
が、案の定というべきか今度はガラス窓に気づかずぶつかる小鳥のようなありさまになった。
「では、行ってきます」
佐武郎は図書館へ足を踏み入れた。
***
図書館内部は中央に吹き抜けを持ち、円形に膨大な本棚が並んでいた。壁面にもびっしりと本が並び、ジャンル別に整然と区分けされている。ただし、その並びは必ずしも点対称ではなく、並びに幾らかの差が見られた。それは区分ごとの密度差のためでもあり、訪問者を迷わせることが目的ではないからだ。
窓は完全に閉ざされ、陽光は遮られている。代わりに、シャンデリア状の照明から柔らかな光が降りていた。床下にも照明が埋め込まれており、雰囲気に反して薄暗さはない。
中心にはちょっとした広場ともいえる空間があった。大きめのソファが一つ。一人の男が腰をかけ、両隣には双子の少女が立っていた。
「ようこそ、図書館へ」
その男は、「学生」と呼ぶにはずいぶん老けて見えた。無精髭が生え、頬骨が出ていた。金縁の眼鏡がよく似合っている。「老けている」というのは言い過ぎにしても、少なくとも二十代半ば。これまで見た生徒がみな十代の子供であったのに対し、彼は明らかに成人していた。
――長谷川
「ええ。そうです。私はこの学園で六年留年しています。つまりこの学園の在籍は九年。“最初の卒業式”も経験しています。自慢するようなことではありませんが」
あまり露骨に訝しむ表情を出さないようにしていたつもりだったが、どうやら読み取られていたらしい。そしてその答えは、この学園の卒業式事情を知ればこそある意味でおそるべき経歴といえた。
まず、彼には卒業の意思がない。そして、卒業式の殺し合いを九年も生き延びている。
ただ逃げ回るだけで式を生き延びることは難しい。なぜなら相手は異能者だからだ。
動かずに籠城してもそう簡単に生存できない。なぜなら相手は異能者だからだ。
異能者は索敵能力も攻撃能力も優れている。そして、総じて殺意が高い。
図書館の〈障壁〉はきっと絶対的な防御性能を持つのだろう。だが、それだけで九年も生き延びられるとは思えない。
「初めまして、桜佐武郎さん。長谷川傑です。ああ、来客の準備はしていませんでしたので椅子がありませんね……私の隣に座りますか?」
「いえ、結構です」
佐武郎は立ったまま話を続けることにした。
「悪いですね。話というのは的場塞について、でしたか」
「はい」
「彼についてはこちらでも把握しています。初日だというのに8Ptの獲得。この動きはふつうではない。なにかあるはずだ、と」
「そうですね。なにか知っているのですか?」
「知っています。では、取引としましょう。図書館はその情報を貴方たちに伝えることができます。貴方たちは図書館になにを提供できますか?」
「的場塞を斃します」
「なるほど。つまりそれは、図書館が生存を第一とする組織であり、的場という脅威が取り除かれるならありがたいことであるはずだ、と……そう考えていらっしゃる」
「違うのですか?」
「概ねはその通りです。しかし、それだけでは弱い……的場塞はもとより図書館にとっては大した脅威ではないからです」
「では、なにをお望みでしょうか。俺たちに可能な範囲でしたら承ります」
「……そのためには、まず図書館の目的を理解していただく必要があります。少し長い話になりますが、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「桜佐武郎さん。貴方は、異能というものをどういうものだと思っていますか?」
「どういうもの、ですか」
難しい問いだ。その答えは観点や立場による。社会的価値か、物理学的な意味か、あるいは哲学的なものか。それとも、「どの観点に立つか」ということそのものを問うているのか。答えに窮して考えを巡らせていると、長谷川が続きを話しはじめた。
「……失礼。悪い癖でした。話の枕に答えづらい質問をしてしまうのは」
「はあ」
「そうですね。貴方にとって異能とは、道具ないし兵器、ではないでしょうか。そしてそのために、発動条件や効力の範囲を分析し、対抗する術を常に考えている」
「たしかに、基本的にはその観点に立っています。あなたは違うのですか?」
「私もまたこの学園に在籍し、卒業式という殺し合いの場に立つ以上、その観点からの関心はもちろんあります。しかし、最大の関心は別です。私は、異能を人間にとっての“新しい力”だと考えています」
「新しい力……」
「この表現だけだと陳腐で面白みのないものに聞こえるかもしれません。なので、こう言い換えましょう。人間がこれまでに持ちえた“力”とは、すべて“筋肉”によるものだったと」
「筋肉、ですか。それはまた……」
「意外ですか? 私のような、図書館という“知識の力”を信奉しているものが、人間にとっての“力”とは筋肉だけだ、と発言するのは不似合いにみえるでしょう。ただ、こういえば理解していただけると思います。我々がこうして話しているのも、声帯の筋肉によるものだと」
「……なるほど」
「ええ。もう理解していただけたようですね。たとえば、軍を指揮することによって得られる力も、身振り手振りや声によって得られる力であり、つまり筋肉によるものです。
絵を描く、文章を書く、音楽、彫刻、建築、武器……これらも筋肉を動かした結果生まれるものです。財力も権力も、いかに筋肉を動かしたかという結果によって得られるものです。
動かすのが自分の筋肉であるか他人の筋肉であるかという差はありますが、他人の筋肉を使うにも自分の筋肉を動かし、金銭や地位、人望や人脈を手に入れる必要があります。
知力と呼ばれるものも、どのように筋肉を動かすかという手段です。脳はことさら重要視される器官ですが、それは筋肉をいかに動かすかということを司る器官だからです。
筋肉の力というのは単に腕力を指すのではありません。いかに動かすのかによって様々な力へ変換することができるのです」
「物理学における大統一理論のような話ですね」
「話が早くて助かります。私が言いたいのは、つまりそういうことなのです。人間の持つ力とはいかなるものも、すべて筋肉によるものだと統一することができる。これまではそうでした。ですが、異能は?」
それこそが、異能の異能たる所以。人間にとってすべての力は筋肉によるものだといえる。だが、異能だけは筋肉によるものではないのだ。
「これが、異能を人間にとって“新しい力”と呼ぶことの意味です。筋肉によらない、まったく新しい力――あるいは、“見えない筋肉”といってもよいかもしれません」
「興味深い話です。異能がこれまでの物理学では解明しがたいものであることは理解していましたが、その観点はありませんでした」
「単なる言い換えに過ぎない、といえばそうなのですけどね。つまり、
「…………」
ここまでは、佐武郎も話を合わせて様子を見てきた。
だが、「学術的好奇心」を目的として標榜するものを佐武郎は信用することができない。実利が伴わないからだ。少なくとも、佐武郎の世界観では理解できない存在である。ゆえに、まだなにか「裏」があるはずだと考える。
「目的は理解しました。それで、俺たちに求めるものとは?」
「ああ、すみません。もう少し話は続きます。つまり、そのために我々がなにをしてきたのか、ということです」
「ただ生き延びるため籠城してきた、というわけではなさそうですね」
「ええ。異能というものを理解するため、様々な実例を収集してきました。異能にはまず発動条件があります。効果範囲、ないし時間があります。たとえば、〈発火〉であれば射程の概念があり、身体の末端から5m以内の対象を燃やすことができる。〈聴心〉であれば半径4m以内の人間の内語を聞き取ることができる。人間の筋肉に出力差があるように、この数値も一例であり個人差があります。発動条件も面白いものです。ただ範囲内に対象を含めるだけでよいものもあれば、触れる必要があるものもあり、または、会話を続けることが発動条件となるものもあります」
「…………」
穏やかな笑みが、妖しい笑みへと歪む。
「桜佐武郎さん。もしかしたら勘違いしていたかもしれませんので、訂正しておきましょう。私の異能が、いつ〈障壁〉だと言いましたか?」
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