10.卒業式初日
「や。おかえり。どうだった?」
学園の中心に聳える時計塔。メテオはその場所を拠点としている。メンテナンス用の空間に寝具を並べて居座っている状態だ。居心地はさほどよくないが、たった五人であれば広さとしては問題はないし、学内で最も高い視点を持つ施設であるという戦略的優位を彼らは重視していた。
「森には、たしかに標的がいた」
答えるのは的場塞。未だに返り血を拭えていない。
「そりゃよかった」
やや高みでくつろぐ影は、軽薄そうな茶髪で、左目に泣きぼくろを持つ細身の男だった。
――羽犬塚明(三年) メテオ 47Pt――
「ただ、思わぬ事態に遭遇した」
「みたいだね」
森で火が上がっているのを見れば、羽犬塚もなにかがあったのは察することができた。
「生徒会もまた同様に森に入っていた。俺がこの手で始末できたのは六人。残り三人が生徒会によって始末されたのかは不明だ」
「なるほど。そういうわけで、ランキングの更新待ちってわけだね」
生徒会のポイントが増えているか。または、該当の九人がランキングから消えているかで結果を知ることができる。羽犬塚がいうのはそういう意味である。
的場はそれ以上は答えず、タオルで身体を拭いて服を着替え始めた。あろうことか時計のメンテナンス空間には箪笥まで持ち込まれている。
「あはっ。でもさ、なんで逃げ帰ってきたわけ?」
女の声。ジャージ姿のままうつ伏せで寝転がり、足をぶらぶらさせて的場に話しかける。眼帯で左目を覆う少女である。好きなものはナタデココ。横には本が積み重ねられていた。
――
「聞いてなかった? 生徒会がいたって」
「生徒会くらい的場なら返り討ちでしょ」
「生徒会がいたってことは、二ノ宮綾子がいたんだよ」
「あー」
それを聞くと魅々山も納得したようだった。
「去年は妹が乱入してきて助かったんだっけ? やっぱあれって的場も勝てないんだ? というか、なんであいつあんなポイント低いの?」
実のところ、決して低くはない。魅々山がいうのは、なぜ自分たちより低いのか、実力のわりには低い、といったニュアンスだ。
「生徒会長だからね。部下にもポイントを分け与えてるんだよ。とはいえ、卒業する気はあるようだから、今回で追い上げるつもりだろうね」
「こわ。あいつは敵にしたくねえわ。ってあれ?」
と、再び魅々山は疑問に引っかかる。
「今回はどうやって逃げてきたの?」
逃げようと思って逃げられる相手ではない、ということはこの場にいる誰もが知っていた。
「狙撃だ。二ノ宮はなにものかに撃たれた」
「撃たれた?」
答えは得られたが、疑問はさらに増えた。
「たしかに、銃声は聞こえたね。あれがそうだったんだ」
「いや狙撃って……狙撃銃を持ってるやつがいるわけ?」
経験者だからこそわかる。これまで、卒業式において狙撃銃が使用された例はない。支給品のリストのなかに、そもそも狙撃銃は含まれていないからだ。
「うーん」
今年は、なにか例外的事象が起こっている。彼らは早くもそう感じとった。
***
生徒会所属の全生徒が緊急で大講堂に集められた。
ただ、壇上に立つのは会長の二ノ宮綾子ではなく、副会長の鬼丸ありすである。
「会長が倒れた。お目覚めになるまで私が指揮を取る」
続けて、その詳細が彼女の口から告げられる。
「今朝、会長の妹である二ノ宮狂美の襲撃があり、会長がこれを撃退。その死体処理のため三名が森へ向かった。そこで彼らはメテオの的場塞と会敵している」
卒業式初日に起こった出来事としては情報量が多い。“森の九人”については割愛しているにもかかわらずだ。
「重要なのは、的場塞がなんらかの事情で単独行動し、積極的に動き回っていたということだ。私はこれをチャンスだと考えている」
「的場塞を斃すということですか?」
「そうだ」
短く、力強い宣言だった。
「質問はあとで受け付ける。今後の方針は、的場塞を斃すための方策を練ること。的場の単独行動が今後も続くかもしれないし、続かないかもしれない。続くとしてもいつまで続くかわからない以上、会長の目覚めは待たない。まず必要なのは、的場塞がなんのために動いているかを探ることだ。そのためにも、今回についてより詳細に情報を共有しよう」
ここで“森の九人”についても言及される。
的場の標的がどうやらこの九人であったこと。その九人は一年で構成されていたこと。そのうち一人は〈幻影〉の異能を持っていたこと。
だが、そもそもこの九人の素性についてもよくわかっていない(片桐雫の「尋問」も仲間の異能におおよその探りを入れたに過ぎない)。明日のランキング更新を見れば今日との差分で推し量ることはできるが、今の段階ではほとんど手がかりがない。
「この九人についてなにか心当たりのいるものはいないか。また、的場の行動になにか心当たりは? ……いないのであれば、明日のランキング更新を待ち、この九人を可能なかぎり特定したうえで調査を続ける。的場の標的がこの九人だけだったのか、あるいは他にもいるのか。つけいる隙はあるのか。それを明らかにしたい。なにか質問は?」
「あの、会長は……的場に敗れたのですか?」
「いや。会長はなにものかに撃たれた。結果的に的場は助けられた形になっているが、これがメテオの手によるものであるかは不明だ」
「撃たれた……?」
明白な回答で、これ以上問うこともなかったが、質問者は戸惑う。周囲もざわつきはじめた。千人規模で殺し合いをしているのだから勢力が入り乱れるのは当たり前だが、さすがに混乱する複雑さである。
「的場は火熾さんを襲撃した、とのことですが、これにもなにか意味が?」
「くわしくは現場指揮を執っていた片桐雫に譲ろう。頼む」
「はいはーい。えーっと、偶然じゃないかな。あたしたちはそれぞれ三人の刺客を返り討ちにして、せっかくだからあとの六人も潰しに向かった。そしたら、先客で的場がいたわけ。三人がかりでもまあ勝てないかなって思って、バラけて逃げることにしたの。的場はそれをせめて一人だけでもと追って、それがたまたま火熾ちゃんだったんじゃないかな」
当の火熾エイラはこの場にはいない。保健室で安静にしている状態だ。
「――とのことだ。私も片桐の判断はおおよそ間違っていないと思っている。会長はなにかあったときのためすぐに救援に向かえる準備をしていたが、片桐はそのことを知らなかったわけだからな」
本音をいえば、下手に戦力を分散するのではなく会長を信じて三人で迎え撃ち時間を稼ぐ方が生存確率は高かったはずだと思っていた。が、結果として死者が出なかった以上は衆前であえて追及することはしなかった。
「三人で勝てない……的場塞というのはそれほど強いのですか?」
次の質問は一年だ。噂でしか知らないのであればもっともな疑問である。
「的場の異能は防御系であることがわかっている。それも極めて強力なものだ。推測にはなるが、おそらく肉体を鉄のように硬質化する異能だ。武器は持たないが、その異能によって肉体を武器化することができる。その拳で殴られれば身体のどこに命中しても致命傷を負うものと思っていい。
ランキングは二位で70Pt――六人を斃したことで今はおそらく76Ptという成績をみても、戦闘能力の高さはわかるはずだ。生徒会において単独で渡り合えるのは会長くらいなものだろう。
弱点は不明だ。火熾エイラの異能が直撃すれば有効であったかもしれないが、危険な賭けだ。なにより、的場ほどの実力者との会敵を想定した編成ではなかった」
あるいは、もう一人の同行者、桜佐武郎の異能にもよる――ただ、これは本題から逸れることなので鬼丸ありすは言及しなかった。
「あの……」やや自信なさげに手が上がる。「会長を撃ったものを成敗しなくていいんですか?」
会長に対する敬愛から出た言葉である。
「私としても許すつもりはない。ただ、今のところ犯人についての手がかりはない。しかし、これはいずれ判明するものと思っている」
「なぜですか?」
「狙撃銃を所有するものなど他にいないからだ。この報いはいずれ必ず受けさせる」
***
「イリーナはなんと?」
佐武郎は、人気のない闇に紛れて質量なき少女と話していた。
『“ポイントは増えていない。当面の間、彼女は放置する”――って』
「そうか。狙撃銃についてはなにかあるか? どうやって持ち込んだのか気になるところだが」
『特にないね。あとはえっと、“的場塞はお前が斃せ”――だって』
「それだけか?」
『それだけ』
あまり長い文章による情報伝達はできないとはいえ、あいかわらず簡潔な物言いをする、と佐武郎は思った。
実際、それだけの情報があれば十分ではある。
二ノ宮綾子は妹の狂美と同じく〈不死〉である。今回の狙撃でそれが確かめられた。姉妹や兄弟で同じ異能を持つ例は決して多くない。というより、極めて稀ともいえる。本来ならばそうだ。彼女らの場合は、その「稀」であるらしい。
そして、ポイント変動がないこと。〈不死〉であるためか、あるいは遠距離からの狙撃であることが原因か。ずいぶんと早く狙撃のカードを切ったものだと思うが、この検証材料が得られただけでも交換としては悪くない。
(どうせなら的場との決着がついてから撃てばよかったようにも思うが……二ノ宮にポイントを与えないことを優先したのか)
卒業式のシステムには不可解な点が多い。まず死亡判定だ。頭蓋を撃ち抜けば、首を撥ねれば、ふつうは死ぬ。だが、システムは二ノ宮姉妹が「そうではない」とどうやって判断しているのか。殺した直後にポイントを反映させる高精度のシステムは、どのように実現されているのか。少なくとも、監視カメラの類いは見られない。森の中ならなおさらだ。であれば。
「異能、以外にはないだろうな」
すなわち、この学園には最低でも二人、生徒ではない異能者が潜んでいることになる。
「しかし、的場を斃せか。意味はわかるが……」
『えーっと、なんだっけ。さぶろーは二年だっけ。二年が五位圏内に食い込めば卒業枠はそのぶん減る……からだよね?』
「そうだな。逆にいえば、三年からすりゃめちゃくちゃ邪魔だ。四方八方から狙われることになる」
『うへー、大変だね』
「俺からもイリーナにメッセージを伝えよう。“復活まで四十八時間”――妹と同じならば、だが。有益な情報はこれくらいか」
佐武郎はロシア語で、さらに暗号文でその内容を紙に書き記した。
『そういや、やることってもうひとつなかった?』
「それも書き記しておくか。“生徒会に〈始原〉の気配なし”、と」
『ふーん。じゃあ、よくわかんないけどメテオ?』
「メテオは個人主義の集団だ。的場塞が単独で動いていたことからもそうだ。俺なら、あいつらには助けは求めない」
『へえ。じゃあ、あとどこ? 三大勢力っていったら、あと一つは――』
「“図書館”」
***
そして、卒業式の第一日が終わる。残り929人――
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