9.二ノ宮綾子

 帰りが遅い。

 当初の想定では、遅くても昼過ぎには帰るだろうと思っていた。

 狂美の死体廃棄はこれで四度目。手慣れてきているだろうし、むしろもっと早く済むだろうと思っていた。

 なにか不測の事態か。森に敵が潜んでいる可能性は低いと考えていたが、あくまで可能性にすぎない。それでも片桐雫に指揮をさせている以上、十中八九問題はないとは思うが、不安は残る。


「森の監視をお願い」


 二ノ宮綾子はそう部下に指示を出し、支給品で手に入れた双眼鏡を渡した。増援を出そうにも、どこにいるのかわからないのではどうしようもないからだ。おおよその方向は出発前に決めていたが、それだけだ。念のため二ノ宮は四人の部下に四方向を見張らせた。

 そして日が落ち、暗くなりはじめたとき。異変は起こった。


「……火柱です!」


 火熾エイラが、戦っている。


 ***


 その火柱の意味を誰よりも早く察することができたのは、他ならぬ桜佐武郎である。

 的場塞から逃げ延び、彼が別方向を追ったと知ればこそ、餌食となったのは火熾エイラに違いない。

 佐武郎は素早くその場へと駆けつけた。助けるためではない。「学内最強勢力」とされるメテオの戦いをこの目で見届けるためである。


(あれは……会長?)


 そこに、予期せぬ人物が現れた。

 二ノ宮綾子。現在までに佐武郎が直接目にしたかぎりでは最強の異能者だ。

 それが的場塞と置き換わるのか否か。まさに目の前で確認することができる。


「うわあ、大変なことになってますね。まず、腕を伸ばして……痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」


 そしてもう一人。ボロボロになった火熾エイラを介抱するのは一年の女子生徒だ。


(たしか……佐藤愛子。そんな名だったな)


 佐武郎は暇さえあれば情報収集に精を出していた。生徒会名簿は一通り目を通し、その顔も簡単に確認していた。印象は薄かったが、繰り返し確認していたおかげでなんとか思い出すことができた。


(連れてきているのは彼女一人か。となると、その異能は……なんらかの支援系か)


 おそらく〈治癒〉だろう。その読みは当たっていた。

 佐藤愛子はまず患者の姿勢を正し、怪我の状態を確認した。両腕の骨折もひどいが、より致命的なのは腹部の打撲だと判断を下した。


「あー、ちょっとますよ。堪えてくださいね」


 そして、その右手をおもむろに火熾の患部に挿し入れた。


「うぐっ」

「まずは内臓の位置を整理しないといけませんから。ちょっと揉みますよ。よし」


 一見して乱暴な民間医療にも見えた。ぐちゅぐちゅと嫌な音も聞こえてきた。手を引き抜いたとき、患部に新たな刺し傷こそ増えてはいなかったが、彼女の手は血に濡れていた。


「失礼します。必要な血を診る必要がありますので」


 佐藤愛子はその血を口に含む。ワインでも味わうように口の中で転がし、なにかに納得したように頷いた。


「あ、両腕も骨の位置を合わせておきますね。痛かったらいってください」

「ぐぁっ、ぁ! いだいっ!」


 ただ、言ったからといって手を緩めるわけではない。


「では、はじめます」


 佐藤愛子が軽く拳を握る。その右手に水痘のような出来物が浮かび上がる。次第に、それは肉の風船と呼べるほど膨れ上がっていく。もとの質量を超え、はるかに大きく。そして破裂する。その血肉が、火熾エイラの患部に染み渡っていく。

 その処置を、腹部に二回、それぞれの腕に一回ずつ施した。


「少なくとも一晩は安静ですよ。完治までは三日くらいでしょうか。お大事に」


 死にかけていた火熾エイラの傷が、みるみる修復していくのが見てわかった。



 一方、二ノ宮綾子と的場塞は睨み合いを続けている。


「塞。あなた確か、ポイントは70Ptくらいはあったわよね。それなのに初日から動きはじめるなんて。なにかあったのかしら?」


 二ノ宮はもっともな疑問を口にする。

 的場の順位は現在二位。また、70Ptという数値は、たとえなにもしなくとも生き残りさえすれば卒業もありうる数値だ。

 ただ、これまでにそれだけのPtを稼いできた以上、彼はそのような消極的な発想では動いていない。「ポイントは稼げるだけ稼ぐ」という行動方針が彼にそれだけのポイントを与えていたからだ。

 それでも、生存は前提だ。大きく動き出すのは終盤になる。異能の判然としない一年生が多く犇めく序盤よりは、状況が煮詰まり不確定要素の減った終盤の方が、確かな実力を持つのであれば危険は少ない。

 序盤に、ましてや初日に動き出すことは道理セオリーではない。狂美のように螺子の外れたものでもなければ、そのような蛮行はありえない。

 なにか事情がある、と二ノ宮は察した。


「…………」


 が、的場の口は固く閉ざされている。敵にあえて事情を説明する義理もない。下手な嘘で誤魔化すこともしなかった。


「いい機会だし、あなたのポイントはいただくわね」


 刀を抜く。美しい刀身は揺れる炎を映していた。

 そこからは早い。水のように脱力し、滑るように距離を詰める。

 金属音が鳴り、火花が散った。

 剣閃を、的場は右腕で防いでいた。


「お前とは……やりたくはない」

「あら。どうして?」

「決着がつかぬからだ!」


 刀を払いのけ、左拳で顎を――砕くはずが、虚しく宙を切る。二ノ宮は一歩引いて距離をとっていた。


「変な話ね。


 二ノ宮はわずかに構えを変える。再び、同様に距離を詰めた。右からの一閃――と思いきや、それは眩惑フェイント。刀は翻り、次の瞬間には左の首筋を捉えていた。

 しかし。


「どこに斬り込んでも効かないのに、なぜわざわざ腕で防ごうとするのかしらね?」


 やはり、金属音。薄皮の一枚も斬れてはいなかった。


(的場の異能は防御系か。それにしても、やはり……)


 狂美との戦いにおいて、二ノ宮綾子は汗もかかず鮮やかにその首を刎ねてのけた。それは、狂美が弱かったからでも猪武者だったからでもない。二ノ宮綾子が巧すぎるのだ。

 人間の反射を的確に衝く剣術。運動力学の芸術。同じ剣を持って対等の条件で対峙したとして、一分どころか数秒も生き残れる気はしない。

 二ノ宮綾子の剣術は、ほとんど至高の領域にある。

 ゆえに、的場塞がすでに何度も打ち込まれているからといって貶すことはできない。本来であれば細切れになっているほどの斬撃をその身に浴びているのも、仕方のないことなのだ。異能者を含め、この地上に存在するどんな人間が、二ノ宮綾子の剣を躱せるというのか。


「斬れないわね。鉄くらいなら斬ってみせるつもりなのだけど」


 反撃。やはり宙を切る。的場の攻撃は当たらない。一方的に打ち込まれ続けるばかりである。


「おかしいわね。こんなに無敵なのに、なぜ反撃してこないのかしら」

「貴様……!」


 さすがの的場にも、怒りの表情が見てとれる。状況は互いにノーダメージ。一方的に攻めているように見える二ノ宮にも決め手がない。ただ、ここまで虚仮にされれば苛つくのもわかるというものだ。


「私と戦いたくない……なぜだったかしら? あなたはいつも私からは逃げていたわね。たしか、そう……二分以内には」


 的場の足元がぐらついたように見えた。


「決着がつかない? 違うわよね。、でしょう? その無敵時間がいつまでも続くなら私はいずれ体力切れ。あなたが勝つはずよ」


 二ノ宮の猛撃は止まらない。薄皮も斬れない剣では打たれたからといって痛みもなく、怯みもない。ただ、無敵の装甲といえど運動エネルギーまでも無効にできるわけではない。身長190cm、体重100kg超の巨漢も、巧みに重心を崩される連撃に対してはなす術がない。体幹を立て直すそばからまた崩されるのだ。


「ぐっ……!」


 土を掴んで投擲。悪あがきのような反撃。

 気づけば二ノ宮は背後に。

 裏拳バックブロー。当たらない。腹部を打たれ、太腿を打たれた。

 耳のそばで羽音を鳴らす虫をいつまでも捕らえられないような煩わしさだろう。それもただ不快なのではなく、放っておけば命を刺しかねない。

 二ノ宮もいずれ体力は尽きるとはいうが、そのが訪れる気配は一向にない。刃毀れを期待した方が早そうだが、その兆候も見られない。やがて的場は反撃すらままならなくなっていた。


(これほどとはな……)


 決着が近いように感じられた。

 互いに無傷ではあったが、的場塞の表情から余裕が失せているように見えた。

 そして、その幕切れは唐突に訪れた。


(なんだ?)


 二ノ宮綾子の動きが止まった。

 その隙に、的場塞は胸部に一撃を叩きこみ、二ノ宮を遠く弾き飛ばす。胸骨が砕け、肺と心臓の潰れる音が響いた。そしてすかさず、逃げるように夜の闇に消えていった。


(――銃声?!)


 音が一秒ほど遅れて聞こえた。距離は500m超か。

 狙撃だ。二ノ宮綾子は撃たれたのだ。この夜闇、激しく動き回る戦闘中の対象に、後頭部を一発で確実に撃ち抜いていた。


「な、なにがあったんですか!」


 いま駆けつけたという体で、佐武郎は茂みから姿を現す。

 二ノ宮綾子の傍に寄り、そのありさまを確認する。


(即死か)


 頭部を貫通する銃創のみならず、ダメ押しのように的場より受けた胸部への一撃。大きな凹み、一目見ただけで胸骨も肋骨も粉々だろうということがわかった。


「うわちゃ~、会長死んでんじゃん」


 続けて姿を現したのは片桐雫。こちらの方は、本当に迷っていま遅れて辿り着いたらしい。

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