7.的場塞

 的場ひさぐは学園全体のランキングにおいて二位に位置し、メテオという組織でも第二位に位置している男である。

 メテオは第一位を頂点として四人の取り巻きによって構成され、その四人は冗談まじりに「四天王」と称されることがある。彼らが第一位に次ぐ実力者であることもその呼称に説得力を持たせた。すなわち、的場塞はいわば「四天王最強」の男でもある。


 厚い胸板。広い肩幅。骨は太く、腕も、脚も太い。筋骨隆々の肉体を持ち、身長は190cm超。高さだけでなく、横幅においても巨漢と呼ぶに申し分ない。

 その顔立ちは大仏を連想させた。視線を読み取れぬほど目は細く、硬く閉ざされた口が開かれるのは稀だ。その髪型も天然の癖毛でパンチパーマにも見えた。

 高い実力と実績、そして印象的な外見から、学園内において彼の顔と名を知らぬものはほとんどいない。森で隠遁しようと考えた九人も例外ではなかった。

 ゆえに動揺は大きい。天気予報にない台風が襲来してきたようなもの。あるいは、突発的な地震にも近い。大型トラックが自宅に突っ込んできた衝撃にも似る。彼らもまた森を絶対安全とは考えてはおらず、不測の事態に備えて幻影迷路という罠を敷いていた。


 だが、ここまでの「不測」は想定にはなかった。

 的場塞に幻影迷路が通じなかったのは、あらかじめ“森の九人”に狙いを定めていたからだ。森に潜んで隠れているなら、罠を仕掛けている可能性は高い。そして、そのうちの一人が〈幻影〉の異能者であることも知っていた。であれば、あとは警戒しながら潜伏先の小屋まで一直線に進めば、幻影迷路は容易く振り切れる。

 思わぬ襲撃に、彼らはすぐ逃げ出そうと動いたが、的場塞の拳は許さない。腹部に打ち込めば内臓が飛び出し、頭部を殴れば頭蓋が砕ける。逃げようものは腕を掴み、そのまま鈍器として振り回す。人間大の質量がそのまま振り回されればそれは恐るべき凶器と化す。小屋を半壊させ、瞬く間に逃げ惑う影は消えた。


「あと十一人……」


 小屋にいた六人を物言わぬ肉塊に変えたあと、彼はぼそりとそうつぶやいた。


 ***


「逃げるよ」


 片桐雫の判断は早かった。


「的場塞には勝てない。あたしたち三人で囲んでも、あいつには傷一つつけられない。だから、三方向に分かれて逃げる」


 すなわち、わずかでも生存確率を上げるため、一人は犠牲になるということだ。


「音を立てずに、静かに下がって。ある程度距離を稼いだら、一気に駆ける」


 佐武郎も、火熾も頷く。佐武郎には的場塞の脅威度がどれほどか測りかねてはいたが、もとより未知の相手へ挑むことには反対だった。

 じりじりと、それぞれ三人は後ろに下がっていく。

 小屋の外へ姿を現した的場の様子を注視しながら、少しずつ後ろに下がっていく。息を殺し、小枝を踏むことのないように。葉を揺らすことのないように。腰を下ろした低い姿勢で、ゆっくりと。


(待って。そもそも、なんで的場塞がここに?)


 片桐は頭の片隅に追いやっていたその疑問を再び掬い上げる。

 今はただ、逃げることを考える。無用な疑問だ。そう思いつつも、それは無視してはならない疑問のように思えてならなかった。


(的場は“森の九人”を狩りに来た……? つまり、彼らがここにいるのを知っていた……なんのために……?)


 違う、と思考をより戻す。「なんのために」――おそらく、その疑問は重要ではない。


(そうだ、知っていたんだ。九人が森にいるのを知っていた。でも、小屋には……!)


 的場が、ぐるりと顔を向け、こちらを見たような気がした。


「走って! 気づかれてる! 的場は、あたしたちの存在に勘づいてる!」


 音を立てずに下がれたのはせいぜい10m。

 片桐の合図とともに、三人は立ち上がり一斉に駆け出した。


 ***


「はぁ、はぁ……」


 ここまで逃げれば大丈夫か、と片桐は息をついた。

 そもそも追ってくる気配がなかった。追うつもりがあったのかもわからないが、あるいはあとの二人のどちらかに向かったのだろう。


「なむなむ」


 と、軽く手を合わせておく。狙われた方はご愁傷様。


「災難だったなあ。メテオの的場が単独行動。早く帰って報告しなきゃ」


 災難ではあったが、こうして生き延びて冷静に考えると、これはむしろチャンスであるかもしれない。メテオ四天王最強の的場塞が単独行動。うまくいけば斃せる。

 すでに足取りは軽く、片桐は帰路のために歩きはじめた。


「って、ありゃ」


 肝心なことに気づく。

 帰り道は、どちらなのか。というか、ここはどこなのか。


「迷った……」


 片桐は肩を落とし、その足取りは途端に重くなった。


「動くな」


 背後からの声。声量から、距離はおそらく4m以上。なにより、のだから間違いない。


「サブローくん? なに?」


 知った声だ。意図がわからぬので、ひとまず指示には従い振り向くこともしない。


「これから俺は一歩前に踏み出す。それで伝わるはずだ」

「……へえ」


 口調が異なる。声色が異なる。それは「先輩」に対する態度ではない。

 そして、片桐雫は状況を理解した。今は桜佐武郎より背後から銃を突きつけられている状態だ。狙いは後頭部。引き金をひけば一発であの世行きだ。ゆっくりと両手を上げ、降伏の意を示す。もとより彼の正体は知っていたので、この状況に対する疑問は少ない。


「いつから気づいてたの?」

「確信を得たのはついさっきだ。お前は、“三人は斃したからあと六人”といった。だが、俺もまた刺客に襲われ、それを返り討ちにしたなどとは一言もいっていない」

「あたしも襲われたし、火熾ちゃんも襲われた。だったら自然な推論だと思うけどなあ」

「推論だと思うなら確認すべきだ。お前はそれを怠った」

「手厳しい」


 佐武郎は続けて、声を出さずに指摘を続けた。


(お前の異能は〈聴心〉だ。表面意識に浮かぶ内語を“聴く”異能。範囲は4mか5mといったところだろう。つまり、お前はに気づいたうえで生徒会に勧誘したことになる)

「そだよ。まあ驚いたけど、利害は一致してると思ってね。それになおさら、君みたいな危険人物は敵に回したくはないじゃん?」

(俺としても、別にお前たち生徒会と敵対したいわけではない。だが、今後は俺に対し〈聴心〉の範囲内まで近づかないでもらおう)

「う~ん、あたしからもいい? 確信を得たのはついさっき、なんだろうけど、疑ってたのはもっと前からだよね? あたしもサブローくんには興味があったから定期的に“聴かせて”もらってたけど、そんな声は聴こえてこなかったよ?」

「俺が警戒していたからだ。式の前日、旧校舎での探索を見て以来な」

「!」


 その異変に、片桐は言葉を失う。


「内語制御の訓練くらい受けている」


 心の声、というものは厳密にいえば「音として出力されなかった声」である。実際に声を出すのと同じ部位の脳が働き、その情報は神経を通して声帯にも届く。ただ、実際に声帯を震わせて「音」になることはない。

〈聴心〉の異能が聴くのはその「声」である。「声」である以上それは意識的で、ゆえに訓練によって制御できる。ふつうは聞かれる心配がないため制御の必要がないだけである。また、訓練によって制御できるといっても「本当に制御できているか」のフィードバックがないため、通常の方法ではその訓練も困難なものになる。


「うひゃー……射程から外れてるわけじゃないはずなのに、ぜんぜん聴こえない……すごいね、サブローくん」

「これは警告でもある。〈聴心〉に対し俺はいくらでも内語を偽れる。二度と正しい情報が得られると思うな」

「うん。わかったよ。で、銃はいつ下ろしてくれるのかな? というか、こんなところで撃ったら的場塞に気づかれると思うけど」

「俺の目的は二つ」無視して、佐武郎は続けた。「そのうち一つについては、お前たちとも利害は一致していると思っている。すなわち、星空煉獄を葬ることだ」


 うんうん、と片桐は頷く。


「その利害関係が一致するかぎり、俺はお前たちとの協力関係を維持する。生徒会のために戦うこともしよう」

「うん。わかったよ。星空煉獄を討つことはあたしたちにとっても悲願だからね。あ、会長にも伝えとくよ? というか、君の正体についてもとっくに報告してるし」

「構わん。俺が伝えたかったのはこれだけだ」


 と、佐武郎は銃を下ろす。

 ふぅ、とため息をついて片桐も緊張を解いた。


「さて、我々は的場塞を振り切れたようですが、火熾さんは大丈夫でしょうか」


 急に、スイッチを切り替えたように佐武郎は口調に戻る。片桐には、遠く逃げ切れた的場より、目の前のこの男の方が不気味に、恐ろしく思えた。


 ***


「ちくしょう、おれかよ」


 火熾エイラは息を切らし、逃げることをやめた。もはや逃げられないと悟ったからだ。

 的場塞。「四天王最強」の男。これまで耳にした伝説は枚挙に暇がない。先の六人を一人で全滅させたのも、彼の経歴これまでを知れば取り立てて騒ぐほどでもないだけで、十二分に恐るべきことだ。

 勝てる相手ではない。かといって、距離があったにもかかわらず追いつかれている時点で、逃げ切れることもないだろう。下手に背を向ける方が危険度は高い。では、どうすればよいか。火熾エイラがここから生き永らえるには、どんな手を打てばよいのか?


(やべえな……)


 強者と向かい合うと感覚がする。

 ――まさか、これほどとは。

 それが木の影から姿を表したとき、死の予感が全身の毛を逆立てていた。

 メテオはその「制服」として特注のジャージを採用している。たった五人、わざわざ敵味方識別としての「制服」は必要ない。ただ、形から入る趣味があるのだろう。「四天王」という呼称を面白がっているように、彼らにはそういう趣向がある。

 結果、ジャージはただの恐怖の象徴だった。

 全身が分厚い筋肉に覆われ、返り血を拭う間もなかった的場塞の姿は、呼吸すら苦しいほどの重々しい圧力を湛えていた。


「お前は、違う……」


 低く、臓腑の底に響き渡るような声。


「だが、見逃す道理もない……」


 火熾は、すかさず両手を広げ左右の木々に着火した。

 夜の帳を割く火柱が、天を衝いた。

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