6.森の九人

「あれ?」


 気づいたときには、片桐雫は一人だった。あたりを見回しても、桜佐武郎も火熾エイラも影も形も見えない。

 そのうえ、見知らぬ森の奥深くまで迷い込んでいた。ほとんど風景の変わらないような森の中でも、いた場所と異なるということくらいはすぐにわかった。


(しまった……幻影迷路か)


 不覚だった。まったく油断していたわけでもない。人の立ち入ることのほぼない森の中でも、卒業式はもう始まっている。そのための三人行動だ。ただ、基本的に奇襲は通用しないと高を括っていたのも確かだ。


(下手したらこりゃ、全滅もあったかも……)


 だが、そうはなっていない。ほかの二人はともかく、自身はまだ無事だ。あるいは、今の自分が最後の一人で、これから全滅するのかもしれないが。


(いずれにせよ幻影は解けた。かかってる最中に仕留められていたら終わっていたのに)


 となると、敵はまだこちらに気づいていない。

 幻影迷路は設置型の罠だ。いつかかるとも知れない獲物を待ち、狩場へと誘い込む程度の機能しかないのだろう。敵にとっても、こんなタイミングで森に入ってくる存在は想定外だったに違いない。


(となると、狩場にはもう誘い込まれてしまった? 敵はもうこちらに狙いを定めてる?)


 片桐は耳を澄まし、周囲の物音に警戒する。

 不愉快に舞う羽虫、鳥の鳴き声、小動物の動く音。騒がしくはあるが、人間大の動物が動けば必ず気づく。この鬱蒼と茂る森の中で音を立てずに動くことなどできないはずだ。


(もし見ているなら……あたしが足を止めたことで、幻影が解けた、ということは知られているはず。であれば、敵も迂闊には動けない)


 先に動いた方が負ける。今はそういう状況だ。

 敵の取りうる最善手は消耗戦。その場合は、片桐の方が圧倒的不利な立場にある。敵がこちらを発見しているのなら、ただこちらを注視し続ければいい。一方で、こちらはどこに潜むともしれない敵に対し全方位を警戒し続けなければならないからだ。

 あるいは、敵はまだこちらを見つけておらず、ただ一人相撲で消耗し続けるだけということもありうる。


(困った。動けない……)


 敵は一人か二人か。あるいはもっとか。いるとすれば距離はどれほどか。囲まれているならすでに詰みだ。これから囲もうというなら逃げるべきだ。

 警戒しすぎか――気が緩みそうになった矢先、風切り音が彼女に迫った。


(矢……弓!?)


 すんでで躱す。矢は後方の木に深々と刺さっていた。


(方向は……あっちか!)


 敵の方から仕掛けてきた。これは勝機だ。片桐は颯爽と駆け出した。

 さらに二射目。来る方向がわかっていれば、異能者にとって秒速60m程度の矢を躱すことなど造作もない。枝葉をすり抜けて正確に狙ってくる弓の腕には驚嘆するが、脅威とはならなかった。片桐は駆ける速度を緩めない。

 三射目。矢継ぎ早とはこのことか。ただ、片桐も矢の速度に目が慣れていた。今度は躱すのではなく、掴んで矢を観察した。


(支給武器に弓なんてなかったはず。手作り?)


 見れば、矢じりは尖った石だ。軸も手で削ったような歪さが見える。武器を手作りするという発想がなかった片桐は感心していた。


(でも、もう見えた……!)


 茂みに潜んでいた敵を目視。すかさず跳びかかる。敵も弓を捨て、迎え撃つため武器を持ち替えた。


(木刀! やはり手作り……!)


 防げば、腕は折れるだろう。だが、腕の一本くらいくれてやればいい。代わりに喉笛に足先を叩きこむ。気管を潰し、それで決着だ。


「――! やばっ」


 寸前、身を翻す。罠だ。敵はあえて得物を見せびらかしていた。

 即座にプランを変更。礫を拾い、投げつける。敵は急に動きを変えた片桐に戸惑い怯み、頭部へもろに礫を受けることになった。


「ふぅ」


 敵は、気を失い膝から崩れ落ちて倒れる。

 手から離れ落ちた木刀は、その実は真剣に薄く木を被せたものであった。腕で防げば骨折どころではなく、切断されそのまま首を落とされていた可能性が高い。


(危なかった……弓矢の時点で罠だったんだ。武器はお手製だと思い込ませるための)


 片桐は冷や汗を一つ流し、倒れた男の身を起こす。致命傷に近かったが、まだ息はあるようだった。


「答えて。仲間は何人?」


 ***


「っぶねー……なんだこいつ。ていうか、どこだここ?」


 火熾エイラは間抜けにも尻餅をつき、その手前には顔の判別ができぬほど黒焦げた死体があった。彼女もまた刺客に襲われながら、かろうじて撃退することができた。


「どれどれ……って、1Ptしか増えてねえじゃん。こいつ一年かよ」


 ひょいっと、姿勢を正して衣服の土埃を払う。

 道理で顔を知らないはずだ、と思った。もっとも、顔を見ることができたのは焼き焦がして絶命させる前の数秒だけだったが。


「無事でしたか。火熾さん」

「んおっ」


 草陰からガサゴソッと人影が顔を出す。

 桜佐武郎。転入生の男だ。涼しい顔をしているが、彼も刺客には襲われたのだろうか。


「あんたもな。しっかしこいつ、ずっと森で暮らしてたのか? 考えらんねえな」


 佐武郎は焼け焦げた死体をチラリと目にする。

 頭部だけが消し炭になっている様子からして、頭を掴んで決着したのだろうという試合模様が見て取れた。


「って、待て待て。それ以上近づくなよ。お前もまさか〈幻影〉だったりしねえだろうな」

「その可能性に気づいたなら、目を凝らせばわかるはずですよ」

「そうなのか? いや、たしかにそんなん授業で習った気がする」


 と、火熾エイラはひとまず警戒を緩めた。


「ん、また誰か……」


 ガサゴソと茂みを掻き分ける音がする。二人は警戒態勢をとった。


「やっほー。よかったよかった。みんな無事だね」


 片桐雫であった。

 同じく焼け焦げた死体を一瞥して状況を察した片桐は間を置かず話をはじめた。


「おつかれ。あたしも似たように刺客に襲われてね。適当に尋問しておいたから、彼らの事情はおおよそわかったよ。全員一年。九人で徒党を組んで、森に隠れ住んで卒業式はひとまずやり過ごそうって一派。もう三人斃しちゃったからあと六人か。普段は小屋に住んでるんだって。それも自分たちで建てたって」


 さすがだ、と佐武郎は思う。彼もできれば尋問を試みたかったが、不可抗力とはいえそれは失敗していた。そして一点、片桐の言葉には引っかかる点があることに気づいていた。


「で、その小屋の位置は?」

「んー、だいたいこっちにずっと歩いてれば見えるとかなんとか。そんなには遠くないらしいよ」


 片桐は大雑把に指をさす。


「お。ってことはやんのか? 全員一年でも6Ptだもんな。やんだよな!」

「そうだねえ。生徒会としては合意なく狩りに出るのはあんまり推奨されないんだけど……あたしたちはもう彼らの縄張りに入ってしまったからね。正当防衛ならそのかぎりじゃないし、安全に森から抜けるには必要な措置になるよね」

「よし!」


 と、火熾は拳を打ち鳴らす。


「相手の実力も、異能もわからないのに向かうんですか? なによりこっちは三人、相手は六人なら数でも不利ですよ」

「加えて敵の本拠地ホーム! 不利だね~、危険だねえ~、でも、逃げる獲物の方が狩りやすいもんだよ。だから、向かっていく方が安全なの」

「そうだぜ佐武郎。ポイントは稼げるときに稼いどくもんだ」

(……血の気が多すぎる。狂美はたしかに異常だったが、あくまで度が過ぎてるだけだ。こいつらも大して変わらん)


 佐武郎はそう思ったが、二対一の状況であえて口には出さない。ここはそういう学園だ。死体処理には苦言をボロボロ零しても、死体を増やすには意気揚々だ。


(それに……こいつらの戦いを目の前で見てみたくはあるしな)


 佐武郎としても、利害が一致しないわけでもない。


 ***


 鬱蒼と茂る森のなかは、ひどく視界が悪い。薄暗いだけでなく、折り重なるような枝葉に視線はすぐに遮られる。ようやく小屋らしき影が見えたときには、距離にして50mほどまで迫っていた。

 やや小高い丘の上に建つ、掘っ立て小屋。周囲の木々を切り倒して建てたことがわかる。近くには池もあった。九人で暮らすには手狭のようにも見えるが、思った以上に立派な造りだった。

 彼らは身を屈め、樹の幹と草木の陰に隠れて様子を伺っていた。


「どしよっか。さすがに中は見えないね」

「奇襲をかけるつもりでしょうが、相手に探知系の異能者がいればこちらの動きはすでに筒抜けかもしれませんよ」

「いんや。それはないよ。尋問したっていったでしょ」

「……嘘を吹き込まれた可能性は?」

「疑り深いね~。ま、あたしらが森に入ってることくらいはバレてるかな。刺客出てたし。帰りが遅くて妙だな~、くらいの警戒はしてるかも」

「先輩。グダグダしててもしょうがねえし、ちょっと一発ぶっ込んで小屋をぶっ飛ばして来てもいいか?」

「火熾ちゃん、そんなんできるんだっけ?」

「できらぁ!」


 その意気込みを、掻き消すように。

 小屋が、ひとりでに吹き飛ぶ。


「!」


 木造の壁が、屋根が、小屋の一角が盛大に吹き飛んでいく。やがて小屋の内部が見え、小屋を内側から吹き飛ばした張本人の姿も見えた。


「嘘でしょ……なんで、あいつが」


 死体が転がっている。頭部がひしゃげ、あるいは胸に風穴があき、両脚が開放骨折し骨が剥き出しになっているもの、首が捻転しているものもいる。壁が吹き飛ばされたのは、人間大の質量が勢いよく叩きつけられたからである。彼は全身から血を吹き出し壁の染みになっていた。小屋のなかは、血と臓物と砕けた骨でミキサーにかけられたかの様相だった。

 その数、一人、二人……計六人。

 立っている男は、ただ一人。顔に胸に返り血を浴び、両の拳がもっとも色濃く血に染まっていた。

 ――的場ひさぐ(三年) メテオ 78Pt――

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