5.幻影迷路

「ぐぇ~、マジかよ。なんでおれがこんな、つーか思ったより重えよ、ぐえ〜」

「火熾ちゃんうるさい」


 愚痴をこぼす火熾エイラと、思ったより真面目な片桐雫。腐っても先輩、腐っても執行部なのだろう。


「俺も愚痴を一ついいですか。斧まで運ぶ必要が?」


 これも思った以上に重い。というか異常だ。ふつうの斧なら持ち手は木製なりFRP製だが、これは金属の一体成形。刃だけで6kgはある。この重さは鉄ではない。超硬合金――炭化タングステンだろう。そんなものが二つもあるのだ。


「狂美ちゃんは起きたらまずそれ探すからね。それもいっしょにどこか遠くに捨てておく必要があるの」


 炭化タングステン製では破壊も難しい。破壊できたとしても、どこかに隠してあると仄めかす方が時間が稼げる。そういう経験則なのだという。


「森。森かよ。森に入るのかあ」


 学園は広大な森林に覆われている。針葉樹トドマツ広葉樹ミズナラの混生する森だ。厳密には、その森も学園の敷地内ということになるらしい。よほど外まで出ないかぎりは卒業式の「指定範囲エリア」に含まれる。ただし、そこは旧校舎以上の魔境。あえて足を踏み入れようというものはまずいない。


「暗っ! うそだろまだ昼前だろ?」


 森に足を踏み入れたなら、何層も重なりあった葉のために日はほとんど差さない。根も張り、足場も悪い。落ち葉が重なりぬかるんでいる。思ったより起伏に富み足をとられる。苔がむし、蔦が這う。邪魔な枝が歩みを阻む。倒木は腐り、茸が生えている。不愉快な羽虫が舞い、そこかしこで異様な生物が蠢いてる。小動物がガサゴソと駆け、得体のしれない鳥の鳴き声も響いている。


「クマも出るって噂があるから気をつけてねー」

「……もうこのへんでよくね?」

「ダメだって。まだ入って数歩じゃん。もっと奥まで行くよ」


 気が滅入る。佐武郎には死体運びに加えて荷物持ちの役割まである。斧二つに加えスコップだ。ここまでは平坦だったが、この先どこまで進むのか。


「ま、このへんかな」


 二時間は歩いただろうか。三時間かもしれない。暗がりのため時間感覚がない。さすがに疲れ果てている。


「ほら! むしろ仕事はこれからだよ! 狂美ちゃん埋めなきゃ!」


 ただ捨てるだけでなく、一応埋めるとのことだ。その方が時間が稼げるという理屈はわかるが、果たして費用対効果は見合うものなのだろうか。


「ところで、いつ生き返るんですか? それによっては急いだ方がよいというのには同意しますが」

「んー、だいたい四十八時間かな」

「だったら急ぐ必要はないのでは?」

「こんな森に長居したい?」

「したくはないです」

「じゃあ急がなきゃ」


 渋々ながら同意し、佐武郎は重い腰を上げた。


「火熾ちゃん?」

「あい。わかりました。すぐやります」


 なぜこんなことをしてるのか。考えると虚無が心を蝕むので、佐武郎は無心で穴を掘った。人間一人が埋まる穴とは、こうも労力を要するものなのかと思った。


「……なんなんですか。この、二ノ宮狂美という人は」

「これでも昔よりは落ち着いてるんだよ~。前は、卒業式とか無関係に襲ってきてたからね」

「え」

「狂美ちゃんはお姉ちゃんを殺したいだけで、ポイントには興味がないの。ただ、会長を挑発するために生徒会メンバーを殺したりしてポイントが上がって、そうなるとポイントを狙う人が出てきて、それを返り討ちにしてまたポイントが上がって……それでいつの間にか44Pt。順位だけなら会長より上なんだよね」

「それでよく、式まで我慢するようになりましたね」

「会長がずいぶん苦労して説得してね~。ポイントが上がれば特典でいい斧も貰えるはずとか、そのへんだったかな」

「……姉妹仲悪すぎじゃね」


 と、火熾が口を挟む。


「あたしは仲が良すぎるくらいだと思うけど。だって狂美ちゃん、会長以外からは殺されたことないみたいだし」


 ふつうは一度殺されれば終わりだ。ツッコミを入れようかと思ったが、疲労のため気の利いた表現も思いつかず、そのまま流して作業を続けた。


「ぐぁ~~、クッソ疲れた! で、あとは燃やして埋めるんだよな。つーかおれはこの仕事のぶんもっと負担軽くてもよかったのでは」

「火熾ちゃん話聞いてた? 燃やしても意味ないの。どっちにしろ四十八時間後に蘇るんだから」

「え? じゃあおれなんでこの仕事任されたの?」

「誰かがやらなきゃいけない仕事なんだよ」


 それを聞いて、火熾エイラは今日一番に肩を落としていた。自分である必要のなかった仕事。であれば、もっとゴネて誰かに押しつければよかった。その深い後悔のためだ。


「よし! 埋め終わったね。お腹すいたでしょ。お弁当にしよっか」


 片桐がなにか余計に荷物を持っていたと思ったら、そういうことだった。死体を埋めて汗をかき、その上でお弁当を広げる。冷静に考えるとどうかしているが、空腹の前には冷静さなど無力だった。仕事のあとに食べる塩気の効いたおにぎりはたいそう美味だった。


「あ! サブローくん、なんで三つ目に手をつけようとしてるの!」

「え?」

「一人二つでしょー。全部で六つなんだから。計算して?」

「すみません。あまりに美味しかったもので、つい」

「えへへ。そう? じゃあ、火熾ちゃんの一個あげるね」

「おれの?!」


 あえて今、この場で弁当を食べる意味。そのことを考えから逸らして食事を終えられたのは、幸運だったのか、あるいは。


「じゃ、次の仕事だよ。今度は斧を隠すよー」

「え」


 食後。満たされていたはずの幸福感が途端に消し飛ぶ思いだった。


「これもできるだけ遠くに、森の奥深くにね」

「いやもうよくね。斧もここでよくね。目が覚めて愛用の斧がなかったら可哀想じゃん。な?」


 火熾エイラは必死だ。可哀想などと心にもないことをいう。ただ、佐武郎もそれに同意したい気持ちがあった。


 ***


 まさかこれだけで一日が終わろうとは思ってもいなかった。

 厳密にはまだ終わっていないが、あとはもう帰って寝たいというなら終わったも同然である。

 邪魔な枝葉を払うのに斧を使ってはみたが、やはり重い。こんなものをよく振り回せるものだと思う。

 ただ、ようやく終わった。二本の斧を隠すという仕事も終わり、あとは帰るだけだ。不愉快な湿度のためになかなか気化熱とならない汗を拭いながら、漫然と足を運ぶ。その帰り道も億劫ではあるが、会長にでもぶつける小言を考えながら気を紛らわすことにした。


『ねえ』


 声が聞こえる。佐武郎にしか聞こえない声だ。だが、佐武郎はその声を無視する。声なき声に返答して怪しまれることを避けるためだ。


『ねえってば』


 しつこい。佐武郎はため息交じりに答える。


「……人がいるところで話しかけるなといってるだろ」

『人、いないよ?』

「なに?」


 気づき、あたりを見渡す。つい先程まで片桐と火熾が一緒にいたはずだ。斧を二本隠すなら別々に動いた方が効率はよいが、すでに卒業式は始まっている。どのような場所であれ単独行動は危険であると、まとまって行動していたはずだ。


(いや待て。?)


 違和感。なにかがおかしい。


「リッシュ。俺が一人になったのはいつだ」

『五分くらい前? なんかふら〜っとみんな別々の方向に歩きはじめて、なんかおかしいなあって思ったんだけど』

「……やられた」


 敵の攻撃を受けている。佐武郎はそう判断した。


(“幻影迷路”か。ずいぶんと範囲が広いな。あらかじめこの森をテリトリーとして罠を張っていたのか)


 油断していた。こんな森をあえて拠点にする異能者などいないと思っていた。考えてもみれば、だからこそなのだ。


(ただ生き残ることだけを考えるならこの森はうってつけだ。誰かが入ってきても罠を張り巡らせる時間は十分、か)


 油断していた。ただ、いくらか油断してもさほど問題はないとも思っていた。


「リッシュ、敵の姿は見えるか」

『んー、いるねえ。やや右前方。9mくらい? 様子を見ながらゆっくり近づいてきてるよ』


 佐武郎は今朝もらった拳銃に手をかける。

 使用弾薬.45ACP弾。装弾数7+1発。軍用の自動拳銃である。

 右前方9m。いくら薄暗がりの森でも見えていておかしくない距離だが、そのような気配は影も見えない。リッシュが目測を誤っているということもないだろう。このような事態に備え、十分に訓練は積んできた。


(〈幻影〉の異能……姿を隠す“負幻影”か)


 それなりに稀少な異能だが、前例を知らないわけではない。

 文字通り、それは対象の感覚に干渉し幻影を見せる異能だ。応用も多岐にわたり、敵に回すには厄介な異能である。

 幻影迷路は広範囲に対象を迷わせ、「ふと気づくと」見知らぬ土地へ誘い込む。元々迷いやすい森のような地形と相性がよい。

 負幻影は「ある」はずのものを「ない」ように見せる幻影だ。自身の姿を隠すことが多い。隠密行動や暗殺に適している。

 一方、対策は明確である。リッシュに言われて「一人になっていた」ことに気づいたように、解除条件はただ「気づく」こと。今はまだ刺客の姿は見えないが、それも目を凝らせば見えるようになるだろう。

 そして〈幻影〉最大の弱点は、解除が容易であることよりも、対象が「幻影を解除しているか」を仕掛けている側が正確に判断できないことだ。


『ナイフを持ってるね。もうだいぶ近いよ。そろそろ飛びかかってくるんじゃないかな』

「そうか」


 佐武郎は素早く銃を抜き、引き金をひく。目を凝らし、耳を澄ませば、刺客が倒れる姿が見え、崩れ落ちる音が聞こえた。


「相性が悪かったな。俺には……いや、に〈幻影〉は通用しない」


 強力な異能である〈幻影〉のもう一つの弱点。それは、存在しない相手にはかけることができないということだ。佐武郎以外には認識できないリッシュには、当然〈幻影〉はかからない。


「さて、ずいぶんと奥深くまで誘い込まれたな。術者が斃れた以上、はぐれた二人の〈幻影〉もこれで解けただろうが……」

『うわー、やっちゃった。さぶろーやったね初めてのポイント獲得だよ。この学園でやってけるじゃーん』

「うるせえなあ。俺だって正当防衛なら躊躇わねえよ」


 倒れていたのは、まだ若い、年端もいかない少年だ。改めて驚くまでもない。この学園にいるものは、皆がそうなのだ。


「……即死か」


 運がいいのか悪いのか、銃弾はちょうど心臓を撃ち抜いていた。見えていなかったのだから、どこに当たるのかは佐武郎にも予測がつかなかったことである。


『え、自責の念? 後悔とかしてる? 殺すこともなかったなーって?』

「息があれば、尋問もできたろうと思っただけだ」


 感傷に浸っている暇はない。明確な根拠は乏しいが、佐武郎には予感があった。

 この刺客には、まだ仲間がいる。

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