4.二ノ宮狂美 ②

 あれは、人なのか。

 佐武郎はまず、それを疑わずにいられなかった。

 たしかに人の形はしている。だが、気配が人のものではない。なにより、人として最低限の理性があれば、式の初日に単身で生徒会に殴り込んでくるような暴挙はあり得ないと思ったからだ。


「ねえ~お姉ちゃん~、まだ? どこ? いないの? いるよね? 出てこないなら、そのへんの子、熱々のベーコンにして樹に吊るしちゃうよ~?」


 それが意味の通る人語を発するのを聞いてなお、その思いはほとんど変わらなかった。この世には、人語を操る人ならざるものがいる。そんな絵空事ファンタジーの方がむしろ信じやすいくらいだった。巨大な斧を両手に一つずつというありさまもその思いを加速させた。


狂美くるみ、ずいぶんとわね」


 呼び出しに応じるようにして、二ノ宮綾子が姿を現す。佐武郎はその様子を二階からテラス越しに見ていた。


(遅い? 初日の朝に襲撃してきて遅いだと?)


 狂美と呼ばれた少女はケタケタと笑いながら答える。


「寝坊しちゃって。ホントは〇時に来たかったけど、眠かったから」

「壁は壊さないでっていったでしょ。扉ならまだ修理しやすかったのに」

「壁と扉ってどう区別すればいいのかな? どっちも叩けば開くじゃない」


 会話を聞くかぎり、どうやら知り合いであることは確かだ。そして、このような事態も初めてではないらしい。


「狂美ちゃん。会長の妹だよ」


 解説するのは、隣に立つ片桐雫である。


「妹……?」


 二ノ宮狂美。その名前は先の端末でも目にしていた。二年でありながら高Ptで五位圏内に入り、会長と同じ姓であったために印象深く覚えている。

 まさか妹だったとは。そして、あまり似ていないな、と佐武郎は思った。

 姉の二ノ宮綾子が容姿端麗そのものであるのに対し、妹の二ノ宮狂美は人の形をした獣だ。

 ボサボサの髪。薄汚れた衣服。攻撃的に低く撓んだ姿勢。

 そしてなにより、髪の色が違う。姉が濡羽色のような美しい黒であるのに対し、妹は獰猛さを感じさせるほど逆立った白である。服装も黒と白のセーラー服で対比している。

 気づけば、二人を取り囲むように野次馬が集まっていた。遠巻きに距離をとってはいたが、逃げ出す様子も混乱する素振りもない。囲んで袋叩きにしようというわけでもなく、ただ会長が侵入者を撃退するのを期待しているようだった。


「……恒例なのか?」

「うん。まあ見てなって」


 なにが起きるのか、それ以上の説明はなくとも察せた。

 狂美は妹らしいが、生徒会には属していない。そして、迸るほどの攻撃的な姿勢。両手の斧は剥き出しの殺意そのものだった。


「ひゃあ!」


 狂美が仕掛ける。跳び上がり、両手の斧を体重ごと無造作に振り下ろす。

 床が、叩き割られる。会長は紙一重にそれを躱していた。


(……なんて膂力だ)


 佐武郎は息を呑む。異能者は総じて高い身体能力を持つが、その個体差は激しい。鉄筋コンクリートの壁を叩き割り、今は大理石の床が飴細工のように砕けた。これほどの異能者は佐武郎も多くは知らない。仮に人体に振り下ろされていたのなら、鎖骨を砕き肋骨を割き、容易く縦に両断していただろう。それも、あのような鈍らの斧でだ。


(いや、それどころか……掠るだけでも危うい)


 そのおそるべき連撃を、二ノ宮綾子はただ躱し続けていた。風圧だけで柔肌など裂けかねない威力だ。薙ぎ、振り下ろし、あるいは振り上げ、回転し、縦横無尽に斧を振るう。ただ勢いに任せるだけでなく、ときに踏み止まり急転回し、意表をつく動きが織り混ぜられる。

 両手に斧を持ち、振り回しながらも、振り回されてはいない。強引にその動きを切り返すだけの膂力がある。不安定に体幹バランスを崩しているようでいて、制御コントロールを失ってはいない。その動きは、斧という人間ひとの武器を持ちながらも人類ヒトのものではなかった。ましらかなにか――あるいは、より的確に例えるなら架空の魔獣でも引き合いに出すほかない。

 二ノ宮綾子はただ、それを躱す。触れれば致死間違いなしの斧撃をギリギリで躱し続ける。反撃の素振りはない。そのつもりがないのか、躱すだけで精一杯なのか。帯刀はしている。だが、未だ抜く気配がない。


(待て。恒例行事だと? こんな殺し合いが恒例?)


 改めて考えれば、それはありえないことだった。殺し合いは、どちらかが死ぬまで続く。少なくとも狂美は殺意そのもの。両者にどのような仲違いがあったかは知らないが、妹は確実に姉を殺すつもりだ。

 であれば、姉はそれを殺さずに制するというのか。これほどまでに獰猛なる獣を、殺さずに抑えることができるというのか。


「あっ」


 ――避けられない。

 その一閃を、二ノ宮綾子は鞘付きの刀を両手で支えることでかろうじて防いでいた。


「もらいっ!」


 狂美は両手に一振りずつの斧を持つ。右の攻撃を両手で攻撃を防げば、もう片方、左からの攻撃を防ぐ術はない。

 が、左を振るうということは、右が緩むということである。

 綾子はそのわずかな緩みに乗じて、身体を捻りながら滑るように鞘から刀を抜く。その勢いのまま、狂美の首を撥ね飛ばしていた。


「……んん?」


 呆気とられる。佐武郎は釈然としない。しかし、片桐の反応を見るに、どうやらこれが恒例の決着らしい。

 しばしの静寂のあと、歓声が上がった。


「佐武郎。一つ質問をしてもいいかしら?」


 二ノ宮会長は血を拭い、納刀しながら二階の佐武郎に声をかけた。


「あ、はい。なんでしょう」

「〈不死〉の異能者がいたとしましょう。あなたならどうする?」


 唐突な問いかけだったが、その意味は察することはできた。とりあえず、佐武郎は教科書通りの回答をすることにした。


「拘束します。それなら、殺せないまでも無力化できます」

「そうね。ただ、その異能者はあらゆる拘束を抜け出す術を持っている。その場合はどうする?」

「では、毒はどうでしょう。致死性のものではなく、幻覚剤や睡眠薬。つまりその術とやらを使えない、使う気の起きない状態にすればよい」

「なるほど。ただ、異能者というのは薬の分解速度も速い。定期的に投与するにしても、やがて耐性がついてしまうでしょうね」

「それでは……その不死者は、死体を細切れにして灰になるまで燃やし尽くしても生き返るんでしょうか?」

「その程度で殺せるなら苦労はしないわ」

「えーっと、そうなると〈不死〉の原理にもよりますが……生き返るときは死体から?」

「ええ。死体がほとんど完全な状態で揃っていればね」

「であれば、できるだけ遠くに捨てる。それくらいでしょうか」

「そう。やはり佐武郎くんは賢いわね」


 と、二ノ宮会長は左腕の腕時計をこちらに見せる。


「見て。狂美のポイントは44Ptだったけど、私のポイントは増えてない。つまりそういうこと」


 言われなければ、どう見ても死んでいるようにしか見えない。首を刎ねられ、瞳孔は開き、心臓も止まっている。だが、ポイントは絶対だ。その変動がない以上、狂美はまだ死んでいない。

 彼女は、〈不死〉の異能者なのだ。


「というわけで、あなたにはこの死体の処理を頼みたいのよ」

「え?」


 なにが「というわけで」なのか。思わぬ形で面倒ごとを押しつけられてしまった。真面目に答えるべきではなかったかと後悔もした。あるいは、どちらにせよ同じ結果だったろうか。


「雫。あなたもよ」

「え! あたしも?」


 隣の片桐にも同様に声がかかる。


「森まで運んでほしいからね。あとエイラ、あなたも」

「うぇっ! お、おれも?」


 今度は一階で野次馬に混ざっていた火熾エイラに声がかかる。

 嫌そうだ。それもそうだろう。死体を運ぶ仕事など誰も積極的にしたいものではない。


「ああ、そうだわ佐武郎。仕事を頼むからにはなにか武器を支給しようかしらね。本来なら10Ptの特典だけど、敵から奪ったものも含めていくらか余りがあるから」

「武器……なにがあるんです?」

「私の持っているような刀や、ナイフもあるし、斧も……あとは拳銃もあるわね」

「では拳銃で。いくつかあるんですか?」

「種類もあったはずよ。オートマチック? とかいうのかしらね。弾薬もそれなり。実際に見た方が早いと思うわ。地下の倉庫にあるから、ついでに麻袋もとってきてくれる?」


 そういうことか。またしても流れるように仕事を押しつけられてしまった。


「あ。壁はどうしましょうか。直せる人いる?」


 手慣れている。落ち着いている。本当に「いつもの」ことなのだろう。

 死体を見やる。やはり、明らかに死んでいる。これが蘇るというのは俄には信じられなかった。〈不死〉の異能が存在するとは聞いたことはあるが、その数は極めて稀少だ。佐武郎も実物は見たことがない。


(この殺し合いのルールで〈不死〉か。インチキだな)


 もはやそれは、卒業が確定しているようなものではないか。

〈不死〉だからこそ、勝てぬ相手にも平然と挑める。何度でも試行できる。無謀な行為も考えなしにいくらでも暴れられる。ただ「死にづらい」というだけでなく、聞くかぎり打つ手がない。

 異能者を見れば癖のように対敵シミュレーションを行う佐武郎も、こればかりは思考が一歩も進まなかった。

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