第10話:好きを仕事にするとぶつかるところ:アイラ

 王宮の一角。宮廷楽師たちが練習を行う場所で、楽師たちの練習を見ていた。


 ちょうど、マキーナルト領の収穫祭が終わった一週間後だった。


 アイラは生誕祭が終わり、かれこれ数ヵ月以上もの間、一度もクラリスから魔法の指導を受けていなかった。その代わりに、クラリスの指示でトーン王室名誉楽師から楽器の指導を受けていた。


 クラリスから課された条件は三つ。


 使用する楽器は宮廷楽師が伝統的に使用するものだけ。魔法や魔導具の使用を禁止、つまり片手だけで演奏すること。そして、王族として人前で演奏できるレベルにまで達すること。


 これが本当に上手くいかない。


 今まで色々と上手くいかないことは多かった。人よりも手も足も、そして視界も足りていないアイラは、ずっとできないことに苦しんでいた。


 それでも、クラリスと会ったあの日から、魔法の修練を重ね、勉学に励む様になって、王宮内でその存在感を表すようになっていた。上手く行くことが多かった。


 魔法はよかった。学べば学ぶほど、努力すればするほどできることが増えたから。楽しかったから。


 勉強もよかった。学べば学ぶほど、努力すればするほど大人たちと渡り合える実感を得られたから。自分でも役に立てるのだと、理解できたから。


 けど、音楽はそうじゃない。


 別に音楽が嫌いなわけではない。音楽を聴くのは嫌じゃないし、気分が良ければ鼻歌程度なら口ずさむ。


 だが、片手だけを用いて人に聞かせられる演奏をする。


 それに何の意味があるのだろうか。


 十五歳までのタイムリミット。それまでに呪いを解かなければならないのに、どうしてこんな無駄な事をしているのだろうか。


 いや、クラリスがしろと言ったのだ。意義はあるのだと思う。けど、アイラはそれが分からなかった。


 弾きたい曲も楽器もなく、意味が分からない事をしているという事実にモチベーションが湧かず、時間だけが過ぎて焦りが胸中を占める。


(……これだったら、まだダンスの方がよかった。片足と片手だけでも、踊れるようになる練習なら、喜んでやったわ)


 思い出すのは一週間前の収穫祭。セオと共に街を周り、踊ったこと。


 たぶん片手で楽器を弾くよりも大変だ。片手片足だけで人前で踊れるレベルに達するには、本当に気が遠くなる修練が必要だ。


 けど、それに対するモチベーションはとても強い。


 セオは約束してくれた。もう一度義肢を作り、一緒に踊ろうと。


 だが、義手が、義足がなくてもいいのだ。セオと楽しく踊れたら。そのための努力なら何だってする。


 現に、収穫祭から一週間。毎日、アイラは忙しい時間の合間をぬってダンスの練習をしていた。


 もちろん上手くいかない。片手片足でダンスをするなんて無謀にも程がある。何度も何度も転んだ。


 けど、アイラは全然辛くなかった。転んで体の節々は痛かったけれど、むしろ心は癒されていた。活力が湧いていた。


 叶わない夢だっていい。夢を見ることができているのだから、それでいいのだ。


 とはいえ、それはアイラがやりたいことであって、やるべきことではない。やるべきことは、楽器の演奏だ。


 早くそれをクリアして、またクラリスから指導して貰わなければならない。


(……逃避、しているのでしょうね。やりたくないことから逃げていては、セオ様に呆れられてしまう)


 アイラは小さく溜息を吐いた。


「アイラ様? 大丈夫ですか?」


 後ろに控えていたリーナが小さく尋ねる。


「大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけ」


 アイラは宮廷楽師たちに労いとお褒めの言葉をかけ、その場をあとにした。


(……今日明日には、曲と楽器は決めなくちゃいけないわね。何にしようかしら)


 どんなに逃げてもやるべきことは追ってくる。


 アイラは覚悟を決めて、楽器に向き合うことにした。


(けど、やっぱり好きな曲も楽器も無いのよね。これぞっという好きがあれば、少しはやる気がでるのだけれども)


 アイラは車いすを押すリーナに尋ねた。


「リーナは歌が好きよね」

「はい。特にフルールヴァンの歌が好きですね」

「どうして、好きなのかしら?」

「そうですね……」


 突然の質問に驚きもせず、リーナは少し考えて答えた。


「先生の友人がフルールヴァン作曲の歌をよく歌っていたんです」

「先生の友人?」

「はい。私に一年間だけ魔法を教えてくださった方がいたのですが、その方に風の精霊シルフの友人がいたんです」


 初耳だ、とアイラは驚く。


「その風の精霊シルフは歌がとても好きでしてね。いつでもどんな時でも、例えば私が先生に魔法を教えてもらっている最中でも横でずっと歌っていたんです。先生は授業の邪魔になるから違うところで歌えって怒っていたんですが」


 リーナは遠い昔を思い出すように目を細めた。


「先生も風の精霊シルフも、授業も魔法も。その時の思い出だけは本当に大切で色あせないんです。だから、そのピースである歌が好きなんですよ」


 別に人生を変えたわけでもない。人生を捧げているわけでもない。強い目標や夢があるわけでもない。こだわりがあるわけでもない。


 思い出という絵画を彩る絵具の一つに過ぎないけど、その思い出が大切で好きだからこそ、その絵具の一つを好きになる。


「アイラ様にとって、好きという感情はとても重い物なんだと思います。それこそ、人生を捧げてもいいと思えるくらいに。少なくとも嫌という感情を塗りつぶす事ができるくらいに」


 ですけど、とリーナは優しい声音でいう。


「小さい好きでもいいんです。別に意義はないし、好きと辛いという感情は両立します。私だって歌で世界のてっぺんを取れと言われたら、その練習をすることになったらいやだなぁとは思います。辛いし面倒だなぁとも」


 リーナは周りに誰もいない事を確認して、アイラの頭を撫でた。


「でも、頑張れるとは思います。少なくとも歌を嫌いにはなりません。だってそれは欠片ピースだから。一番好きな物はこだわりがありますけど、その好きに付随するものなら、案外自由が効くんです。適度な好きが保てるんですよ」


 「ですからアイラ様も小さな好きを探して、楽器の練習に励んでください」と少し厳しくそれでいて優しい声音で、リーナは言った。


「小さな、好きね……」


 アイラは今までの思い出を探る。楽器に曲。それが少しでも欠片ピースとなっている思い出を。


 そして思い出すのはやっぱり先週のこと。収穫祭での、セオとの思い出。その全て。


(……ダンスはだけではなかったわね。あの場にあったのは)


 セオとのダンスに彩りを与えてくれたものがあった。


 自分たち以外の人のダンス。そのステップ音に喧騒。焚火の音。そして何よりも、陽気な音楽。


「ねぇ、リーナ。確か、楽器は制限があったけど、曲はそうじゃなかったわよね」

「はい。曲は何でも。人前で演奏できればいいのです」

「そう。……リーナ。今すぐトーン名誉楽師のところに行くわよ。今すぐ採譜してもらわなきゃいけないわ」


 アイラは記憶力がいい。一度聞いた音楽なら大抵は覚えられる。


 いや、そうでなくとも、あの大切なひと時に流れていた曲を忘れるはずもなく。あとは楽譜として起こせればいいのだ。


 採譜する技術はアイラにはないから、人を頼る。


 そして、翌日。アイラは弾く曲とそれに合った楽器を決めた。楽器に強い思い入れはなかったけれど、その曲に合う楽器なら弾き続けられると思った。頑張れるとはおもった。


「……よい頃合いかの」 


 トーンと楽器の弾き方や曲のフレーズについて話し合うアイラを見て、クラリスはポツリと呟いた。


 リーナがクラリスを軽く睨む。


「アイラ様はまだ幼いんですよ。なんで、あんな追い詰めたんですか?」

「……逃げてもらいたかったからかの」

「逃げる?」

「そうだ。アイラはその運命故何事にも真剣でありすぎる。しなければならないと、気負い過ぎているのだ。セオの影響で息抜き好きを覚えたが、その『好き』に対しても真剣でありすぎたが故に、気負いと好きを切り離していた」


 クラリスはいう。


「最近、あやつは魔法が上手く使えなくなっておるだろう」

「前よりは、という注釈がつきますが。一人前の魔法使いよりは上手ですよ」

「そう揚げ足を取るな。魔法は自由好きであるべきなのだ。だから、気負いがありすぎると使えなくなってしまう。気負いだけでは魔法は使えないのだ」


 だから。


「そんな気負いも捨てて、儂に怒鳴り叫び、逃げて欲しかったのだ。自由だけを手に入れて欲しかった。そういう意味では、最近あやつが練習しているダンス。あれは本当にいい逃避自由だ」

「……それは自由と言えるのですか?」

「言えるだろうて。少なくとも儂はそれ自由だと思っている」


 だが。


「少々見くびりすぎておったな。まだ幼いであろうに、好きと気負いを両立できるようになるとは」

「強い『好き』でなければ、案外両立できるものですよ」

「子供はいい意味でも悪い意味でも『好き』に対する思いが強いから、適度な『好き』を手に入れるのは難しいと思ったのだ」


 反省しなければ、とクラリスは呟いた。


  

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