第27話
「水琴さん、このあと時間あるかな?」
鉄斎の車で『雨之御橋』のある地下室から鍛治川の邸宅へ戻ったあと、部屋で待っていた従兄弟の鉄仁からそう言われた。
まだ太陽は中天を過ぎたばかりだったので時間にはかなり余裕がある。私と同じくあの霊具に関して知っているものとして話したいことがあるのだろう。「大丈夫ですよ」と鉄仁に言うと、彼は庭園で話をしようと言いながら部屋を出ていく。
私もそれについていくと、しばらく屋敷内を歩いたところで鉄仁の妻の春花さんとばったり廊下で出くわした。彼女は赤ん坊を胸に抱いており、春花さんの隣には京華も連れ添っていた。
春花さんと目が合う。
私と鉄仁が二人でどこかへ行こうとしているのを察したのだろう、彼女はにっこりと笑みを浮かべて「私もついていきます」と言ってきた。特に何も考えてなさそうな京華もそれに便乗したため、私達は赤ん坊含む5人で鍛治川家邸宅の日本庭園に向かった。
■■■
庭園内を通る砂利敷きの小道を4人と赤ん坊で進んでいく。春花さんと京華が付いて来ているせいでなかなか本題を切り出せない鉄仁はもどかしそうにしていた。
4人で世間話をしながら綺麗に整えられた和風庭園を進んでいく。この池に鯉がいるとか、ここには春になると凄く綺麗な花が咲くのだとかを京華に教えてもらう。
拝観料を取れそうな庭園だなと思いながら風景を眺めていると、京華が「この先にお姉様に見せたいものがある」と言い出した。何となく見せたいものに心当たりがあったものの、気づかないふりをしてそのまま歩いていくと、予想通りそこにあったのは
「うちにある水琴窟のなかではこれが一番音色が綺麗なんです!」と楽しそうに京華は言う。
水琴窟とは日本庭園の装飾の一つで、地中に逆さに埋められた瓶の底に貯まっている水に、天辺から水滴を落とすことで地下で水音が反響するというものである。
しばらく4人とも黙って水琴窟から響く音を聞いていると、急に全員が黙ったのが怖かったのか春花さんの抱いていた赤ん坊が泣き出してしまった。
軽くあやしても中々泣き止まない我が子を見て春花さんは気を使ったのか、水琴窟のある場所から少し離れた場所に移動してまた子供をあやし始めた。
それを見ていた京華もそちらに付いて行って、春花さんの手提げかばんから取り出したおもちゃで赤ん坊の機嫌を取ろうとしている。
結果的に、水琴窟のすぐそばには私と鉄仁氏の二人だけが取り残される形となった。
「……水琴さんも、御爺様にあの霊具は見せてもらったんだよね?」
「はい、スペアキーも預かりました」
「―───そうか、なら良かった」
一人の人間しか隠れられない『雨之御橋』のスペアキーを私が持っていることを伝えても、彼はほっとした様子で、そこに焦りのようなものは全く感じられなかった。
「もし僕があの霊具を起動することになったら、春花も鉄雄も見捨てて行かないといけないからね……、まったく御爺様の乱心には困ったもんだよ」
そう冗談めかして言う鉄仁氏だったが、彼の笑い方は酷く渇いているように感じた。
「鉄雄くんって、あの赤ん坊ですよね?」
「うん、もう生後半年になるかな」
水琴窟の音が一つ大きく響いた。
「……春花も鉄雄も見捨ててあの霊具の中に隠れて、起こるかどうかもわからない妖魔の沈静化を何十年も待って、それで人工的に人間を作るなんてさ……たぶん僕は正気ではいられない」
「でも鉄斎はあなたにスペアキーを渡したんですよね」
「あの霊具の隔離扉には僕の術式が必要だったからね、『雨之御橋』に関しても僕がしつこく聞かなかったら教えてくれなかっただろうし……、まあ知った以上はってことでスペアキーなんか預けられたけれど、たぶん御爺様も僕があれを起動できるとは思ってないと思うよ」
そう自嘲気味に鉄仁は呟いた。
「ねえ水琴さん、最前線で戦う国家指定退魔師である君に聞きたい」
「……なんですか?」
「御爺様の妄執の根源にある、世界を終わらせる妖魔は本当にいつか現れると思う?」
そう私に質問してきた鉄仁氏の目線の先には、鉄雄くんをあやす春花さんと京華がいた。
鉄雄くんが泣き止みかけたところで、先程まで京華が振っていたガラガラと音がなるおもちゃを、京華は鉄雄くんの手に握らせた。
鉄雄くんもぶすりとした表情でしばらくそれを鳴らしていたのだが、やはり何かが気に入らなかったのだろう、ガラガラのおもちゃをいきなり遠くに投げ出してしまった。
赤ん坊の膂力にしてはかなり遠くに飛んだため、京華も春花さんも驚いて二人共少し笑いながら、京華は飛んでいったおもちゃを探しに草むらの中に入っていった。鉄雄くんはどうやら疲れて眠り始めたらしい。
また、水琴窟の音が一際大きく響いた。
「そこまで強大な妖魔は……現れないと思います」
龍神の顔が私の頭をよぎったが、鉄仁氏には私はそのように答えた。彼は私の返答を聞いても、微笑むだけで何も言わなかった。
■■■
「じゃあ京華、送り迎えありがとうね」
「いえいえ、私にはこれ位しか出来ませんから」
蛇谷神社に京華と一緒に車に乗って戻ってきた。やっぱりドイツ車の乗り心地は最高だな、なんて改めて思いつつ、けれども今の私の年収ならしばらく貯金すれば買えるのだ。国家指定退魔師になったおかげでかなり収入が増えた。問題は車の免許を取れる年齢ではないというところくらいか。
蛇谷神社の前で車から降ろしてもらい、鍛治川家に戻る京華を乗せた車を見送ってから、私も自宅に戻った。『琴天都の剣』が入った紙袋を隠しながら自宅に入り、さっさと二階の自室に戻ってクローゼットの奥にその霊具を押し込む。
今日は色々あったなと思いながら一息ついて、部屋着に着替えようとしたところで私のスマホに着信が入った。さっき別れたばかりの京華かと思ってスマホの画面を見ると、そこに表示されていた名前は私の担当税理士の名前だった。
「はい、もしもし」
『あ、蛇谷さんお久しぶりです、税理士の鈴木です』
鈴木先生は私の父が無くなって相続が発生したときに色々と手伝ってもらった先生だ。それ以前も父の確定申告等も手伝ってもらっていたらしい。
私も今年からは個人事業主として確定申告やら諸々をしなければいけないので、鈴木先生もそのことで電話をくれたのだろうか?
特別国家公務員とは言いつつもその実態がただの嘱託の個人事業主なあたり日本の役所のブラックさを思い知らされる。
「鈴木先生お久しぶりです、父の相続の際はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそお父様にはお世話になっておりましたから―──ええと蛇谷さん、今お電話宜しいですか?」
「はい、大丈夫ですよ、来年の確定申告のことですか?」
そう聞くと鈴木先生は「そうです」と言い、話を続けた。
「すみません、私も退魔師の業界には疎くてですね……ええと先月現れた鬼神を倒したのは蛇谷さんで間違いないんですよね」
「ええ、そうです」
「その際に妖結晶と、あと妖魔由来の素材を手に入れられましたよね」
鬼神を倒して得たのは鬼神の妖結晶と鬼神の角の2つだけだったので、「そうです」と鈴木先生に答えた。私が妖結晶と角を手に入れたのが何か問題になるようなことだっただろうか?
(でも妖結晶とか妖魔由来の素材とかって非課税だったはずだけど……)
日々手に入れては霊符に加工していた妖結晶(今はもうしていないが)に一々課税されてしまっては退魔師としてはたまったものではない。
「蛇谷さん、落ち着いて聞いてくださいね」
「はい」
「去年から税制が変わりまして、大型以上の妖魔から得られた妖結晶や素材に関しては税金がかかるようになったんですよ」
「……え?」
「ですので、今のうちに妖結晶と鬼神の角の鑑定を取っておいて欲しいんです、たぶんかなり高額になると思いますので、納税資金の確保も必要になってくるかと思います」
徐々に自分の現実を理解してくると、スマホを持つ手が震えてきた。鬼神の角はもう霊具に加工済みだし、妖結晶に関しても霊具製造の報酬として鉄斎に受け渡し済みだ。
(あ、確か鉄仁が鑑定書は桐箱の中に入ってるって言ってたっけ?)
「蛇谷さん、大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫です。鬼神の角と妖結晶の鑑定ですよねわかりました、どこかに依頼しておきます」
「よろしくお願いします」
「ちなみに、鑑定金額ってそのまま私の収入として計上される感じですかね」
「そうですね、鬼神を倒したのが先月ですので、今年の所得に鑑定額がそのまま乗っかるような感じになります」
その後、軽い社交辞令だけ済まして、後日また連絡するということを伝えてから鈴木先生との通話を切った。
「まあ、取り敢えず鑑定書だけ確認するか」
つい先程仕舞ったばかりの紙袋を取り出し、その中に入ってる桐箱を引っ張り出して蓋を開ける。
鉄仁氏の目の前で検分させてもらった『琴天都の剣』と、その側には封筒が入っていた。
封筒を開き中を見ると小綺麗な和紙が2枚入っており、それぞれ鬼神の妖結晶と角の鑑定額が記載されている、また鍛治川家の署名と印鑑も押されていた。
「鬼神の角が1億5千万円で、妖結晶が5千万円……合わせて2億円か……」
累進課税だと、この収入なら半分くらいは税金で持っていかれるはずなので、私は来年の3月までに約1億円を納税しなければいけない。
あと半年もないのに、1億もどうやって確保すればいいんだよ……
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